笙野頼子

小谷野敦著『現代文学論争』をめぐって 第2回 続・告発と検証
小谷野敦博士、『現代文学論争』、における名誉毀損、事実誤認、無取材、不勉強、資料未読、奇妙な憶測、言語不明瞭、明らかな誤読、不当省略等、百箇所以上に関して

  第二回です。前回の纏めと、それに対する反応へのお礼を述べた上で、訂正に入ります。まず、纏めですね。そう、『現代文学論争』とは、どんな本か?
 それは笙野作品未読で書かれた笙野論である。また、笙野本人にも周辺にも無取材のまま、笙野しか知りえないはずの事実をやすやすと捏造した本でもある。笙野に関するたった二十一ページ程の記述の中に、事実誤認や名誉毀損が百箇所以上ある「創作」である。
 その著者は、積年笙野に対する根拠のない非難や、不当な請求を繰り返し、読者ブログにまで「死」とコメントした、小谷野敦博士である。笙野に対する加害がついには刑法の強要罪を構成する程の、名誉毀損を行った人物の著書である。博士は売った喧嘩に負けて笙野を提訴すると称し、提訴の期間が過ぎても三百万円を請求し続けている。その彼がネットで行った名誉毀損をそのまま流し込んで出した本、それが、『現代文学論争』である。
 ネットに出る以上、批判は覚悟です。百年未来の読者や、今も私で卒論修論を書こうとしている若い人々が、この本によって迷惑を受けぬようにと私は連載を始めました。
 すると、ごく一部とはいえ、勇気のある方が応答してくれた。私は一方的に叩かれる予定だったのですが、感謝しつつもまだ、驚いています。なぜならこれは大変な困難を克服した上での反応ですから。小谷野氏の行状を知る人こそ声が挙げにくいのだ。
 博士の攻撃には提訴可能性の通告がある。なのに……RT等ありがとうございました。全部大変感謝しております。ただ恐縮しつつ、ひとつ。
 前回のエッセイ中、百円ライター使用博士と申し上げた事にけして名誉毀損の意味はありません。というのも博士のブログにおいて、芥川賞落選後に発表された小話らしき文、出てくる小道具が百円ライターですから。これが由来です。
 悪口として使われる百円ライターという語は、私の聞くかぎりでは、百万部売れた書き手に対するものです。相手を選ぶ悪口という事ですね。現時点の小谷野氏には使えません。
 でもそれはともかく、激励ありがとうございました。一方、ご批判も戴きました。笙野は放置推奨というもの以外は博士と同じ意見でした(根拠なく馬鹿、狂人、と)。

 中立の御指摘で文章が怪文書のようという声もありました。だけどパッケージされたマスコミ言語に、慣れすぎていませんか。それが笙野の文体だと、読者らしき方の反論もありました。肝心なのは、怪文書のようであって真実を書いている事。
 この文が発表された直後、例によって博士は、私への要求は謝罪のみという内容をツイートされました。しかし、例の草案を見ると、まだ三百万円と金額がある。
 今も博士は不当な請求や狂人呼ばわりをして、私に義務なき謝罪(と支払い)を強要しています。
 とはいえ、そんな彼の『現代文学論争』はなるほど、怪文書のような文体で書かれてはいない、なにしろ博士の特徴はしつこい非難を、たどたどしいまでに単純な、少ない言葉で「明晰」に表現する事ですから。不法行為も「正直」に見えるほどに。
 言葉が少ないから簡明に見える、一方、語尾等は結構あいまいです。ある種の人々に受ける書き方ですかね? 一見簡明中身なし、それはマスヒステリーの「快適」なゆりかごです。文学を一言で片づけて「安心」したい「インテリ」は自己判断放棄のまま、博士の「主観」に身を委ねます。
 さて、訂正です。第一回の番号にあったのは全体のたった六分の一、でも後百箇所程どうしよう。今気付いたけど、博士は怪文書という言葉の定義まで間違えています。でも、結局私はすりあわせ中断した二十箇所程の訂正の、後ろに同類をいくつか付記するのみで。
 訂正1 まず、紙の資料、というテーマですね。
 P328  
 誤 閉塞状況が危機招く
 正 閉塞状況が表現の危機招く
 新聞の見出しです。重役氏と小谷野氏のすりあわせの結果、ネットの資料なら誤の方の表記ですというお答えが来ました。ふうん、博士は紙の新聞調べないんですか? 法務局の登記情報だってネットは間違っている事ありますよ。私の論争本は許可付きで読売記事引用あるけどね。
 訂正2 まず新聞関連を四つ纏めます、前期論争のきっかけになった理由と終わった理由に関しての誤認。始まる理由も終わる理由も知らないで本を出す博士である。
 P328
 誤 読売は、以前から文藝時評を月評ではなく季評にして
 正 月評と季評の両方があった
 P328
 誤 尾崎真理子記者による「文藝98」と、鵜飼記者による季評に切り替えていた
 正 月評が記者、季評が専門家になっていた。しかし98年から専門家ではなく鵜飼記者になり、名称も変わった。

 さて、私が本格的に前期論争を始めた理由ですが、これ、季評がなくなって文芸時評が素人だけになったので怒ったというものです。というか専門家から一記者が取り上げた欄に売上文学論を書きはじめたから怒りました。システムの変化に危機を見たわけで。まあそこを間違ってたらどうしようもないですわ。しかも論争本に書いてあるのにね。
 ていうか、週刊現代で前哨戦やって、私の本に収録したのに、それも書いていない。それでP329、「それまでに「純文学叩き」への不満を鬱積させていた笙野頼子が」って……。さあ次は終わった理由です。
 前期の論争は記者を批判する事で紙面に専門家を取り戻す戦いでした。私の批判の中でたまたま記者の文芸季評は中断した。そこで私は読売に手紙を書き季評を専門家に戻す交渉をしました。で、論争を止めた。やれやれまず前期論争に関し、小谷野さん全滅ですね。
 P330
 誤 九九年一月で鵜飼の「文芸ノート」が終わり
 正 季評は三回で中断
 P330
 誤 二月から松原新一による季評が復活したからでもあろうか。
 正 松原新一氏は西部本社において同人雑誌評を99年二月から06年三月、また月毎の文芸時評を93年四月から96年3月まで。季評はしていない。
 この正解確認のため、笙野は当時の記事担当に昨年電話をしています。これが裏取り。
 ちなみに「あろうか」と書いているから間違いではないという向こう様のすりあわせ回答も来たが、それこそまさに「主観」の見切り発車一典型。でもよく考えたら、結局松原氏は季評してないからこれ間違いです。折角語尾を推定にしても、間違い。
 その他博士は論争文の出た理由等理解してません。誰に対して、何時、何の為に、がごっそり抜けている。そして抜けたところで笙野は「怒」りです。
 訂正3 私の作品を読んでいません。まず、私の育ったのは古市遊廓の跡地。今もずっと意識しています。これがだいにっほん三部作で初めて出たように彼は書いた。読まず批評だね。
 P340
 誤 もっともその後笙野は、古市遊廓のことを持ち出して、いかに娼婦らが悲惨であったか、十代から客をとらされていたかを小説中で言うようになるのだが、
 正 野間文芸新人賞受賞作「なにもしてない」収録のイセ市ハルチから既に言及あり、芥川賞受賞記念対談において古市遊廓の女性に言及、竜女の葬送ラストにも。
 そう言えば博士は松浦笙野時代の対談も読んでいないのですね。上野批判は昔からだ。

P339
 誤 笙野はまるで、女を批判してはいけないみたいなことを言っているわけで
 正 笙野には上野千鶴子批判坂東眞砂子批判がある
 あっ博士は論争文自体まともに読んでいないです。
 P336 
 誤 笙野は福田が柳美里ゆうみりの『ゴールドラッシュ』を批判した頃は柳に同情的だったが、
 正 笙野は鵜飼が柳美里の『タイル』の帯だけを取り上げて揶揄した事を批判した。
 『タイル』の時点、私は(柳氏が私の後任で読売の読書委員をつとめていたため)入院したと聞き、彼女の体調等心配した。でも知人ではない。見舞ってもいない。『ゴールドラッシュ』については、福田批判の文脈において取り上げたけど「私とは直接関係ない」と明言している。つまり柳氏はその時点でもう福田を批判してへこませるほど強かったのだ。「同情」の対象ではない。
 これも、「主観」でそう思っただけという重役氏と小谷野氏のすりあわせ回答が。
 さて読まず批評の付記です。すりあわせには出さなかったものランダムに二種。
 P338 『水晶内制度』は、問題作である。ここでは現実と幻想が、日本神話を交えつつ、SFのような形式で「ウラミズモの国」が描かれていくが、これはフェミニズムの帝国のように見えつつ、エリート・フェミニズムや、美人、恵まれた女たちのフェミニズムへの批判にもなっている。だが笙野のそうした批判が常に複雑な形をとるのは、小谷真理のような、有力な夫を持つ盟友に遠慮しているからだ。
 さて上の(カマトト風の)文からまず
 誤は、「現実と幻想が」
 正は、一貫して近未来の話または脳内なので全部「幻想」。
 次に
 誤は「SFのような形式」で、
 正しいのはSFで、またはSF的内容でまたはSF的形式で、です。
 さらに、
 誤「フェミニズムの帝国に見えつつ(中略)恵まれた女たちのフェミニズムへの批判にもなっている」
 正、最初からまっとうなフェミニズムに悪意を抱く女達の国と書いてあるよ。権力を握った権力者の醜を性別を超えて浮かび上がらせ、並行してこの国独自の悲しみを描く。

 え? 今のは厳しすぎる、作家の読みを押しつけるなと? しかしこの「恵まれた女たち」がこの後何に掛かってくるか。誤「だが笙野の(中略)小谷真理のような、有力な夫を持つ盟友に遠慮しているからだ」。へええ初耳ですねえ。ここまで調べようと思ったら、その「恵まれた女たち」の中に潜入しなければ無理なんじゃないですかw。何よりも私は批評性の作家。彼は私の作品を語るレベルの言葉を(数も質も)持っていません。
 あ、あとひとつこれは短いです。だいにっほん三部作のストーリー。
 誤「「御章魚教」と呼ばれる宗教が政権をとった世界が描かれており」(P344)。御章魚教は弾圧される側で、おんたこが権力、三ページも読まないで、最小限書いても、間違えたってさ。
 訂正4 さてここは引用の表記統一について疑問二つ纏めます、他の人にならここまで聞かないけど。近くの記者の文をカギカッコでくくっていて私の本は正確引用せず博士の地の文にいれています。統一とか誤植とかうるさい人と思っていたのでつい聞きました。
 P330
 誤 とかくの風評のある人物が、仮名で原稿を見せないかと言ってきた
 正「とかく風評のある人物が、で原稿を見せないか」と言ってきた
 P330 
 誤 途中で気づいて慌てて撤回した、とある
 正 「途中で気がついて慌てて撤回した」
 ついでに、上の原文の仮名に傍点付けているのは仮名の主が誰か知っていたからです。引用としては要約なんだから法的にはOKでしょうけどね。でも学者の論文だったら何ページ何行とか明記じゃない? ていうか参考文献なし感謝なしでよくも人の文を地の文に混ぜてねえ。
 そうそうお金の事だって無頓着だ。博士の敵視してるオルタ裁判原告の請求額なのに。
 P333
 誤 三千万
 正 三千三百万
 御回答はだいたいの額なのでこれでいいという内容です。この誤差三百万って私への請求額と同じ。三百万は小銭かね? あ、気取った表現も「人迷惑」です。

 次は論争後期の「解説」──ですが……
 P339
 誤 大塚との直接のやりとりの後
 正 笙野と大塚に面識はない
 これも誤ではなく各々の論争文が出たことをそう称しただけだそうですけど、しかし雑誌における論争文を発表って普通しないよね。この書き方、何か、私が会って「裏取引」でもしたように見えましたねえ。おや、博士は警察や裁判にも無頓着ですよ。訴訟三昧の割に。
 P343 
 誤 自分で抗議文を書いて内容証明つきで笙野宅へ送った
 正 単なる抗議文ではない。裁判の可能性を通告してあるもの
 ただの抗議は放置出来るが裁判なら弁護士に相談しないと。無頓着なのか裁判の意味が判っていないのか。不当省略でもある。だけど、御回答は必ずしも間違いではないそうで。
 P344
ツイッターで笙野がうるさいって博士が言ってたのこれでございます。
 誤 警察へ届けておいたとか書いてあった
 正 警察に届けるとは被害届けまたは刑事告訴状提出、何も提出していない
 未提出、未だに筆で戦っております。告訴状出してもいいの? まあ当分筆で頑張るわ。
 P343
 これは実は前に集英社の校閲が私に入れたアカです。私は従いました。
 誤 もうすぐ『徹底抗戦』が出て三年になり時効になるから
 疑 時効ではなく提訴の期間では?民事でも時効と使うけれど文脈だと名誉毀損を刑事でやるか民事でやるかが判りにくくないですか? ──意味が判らないという御回答です。
 そういえば新聞の見出しと題名の区別も無頓着ですな。エッセイの題名
 P330
 誤 なお単行本では「馬鹿が純文学は……」になっており、こちらが原題だと思われる。
 正 単行本の題名は「ほらまた始まった馬鹿が純文学は駄目だってさ」、「ほらまた始まった純文学は駄目だってさ」は整理部の付けた見出し。
 訂正5 さて、博士の「主観」がひときわ輝くここがポイントです。

 P350
 誤 美人作家たちを敵に回すことになるから、言えず、代わりに男たちに敵対
 正 一冊の本小谷野博士連載第二十回「美人の経済効果」において博士が桐野、小池と
 並べて配置、客観的に美人と認定したのが坂東眞砂子である。私、批判しています。
 だがこれは、「純文学の美人作家」の意味にすぎないと反論的な御回答です。えっ、だったら私が純文学女性作家を批判しないという最初の論点から変形した異様な論ですなあ。世間全体でも美人は少数なのに、純文学で美人って二重限定かよ。まあ私と比べれば全員美人だけど。とりあえず笙野の「秘密」を空想三昧の、博士お疲れ様、はずれでございますよ。
 訂正6 
 P337
 誤 笙野はこれには反論しなかった
 正 事実誤認。反論として、「お出口はそちらですよ大塚英志先生」あり
 さてこのすりあわせの後、昨年末彼のブログには、これが論争本に収録されていないから出た反論とみなさない、と書いてありました。しかし年が改まるとなぜか論争本の掲載年が誤植なので見落としたと責任転嫁して改竄してあったw。だがこのエッセイ、題名を目次に出してある。そして本の目次はそこだけ見ても論争の流れが判る配置である。
 また、内容が単なる個人攻撃なので論争文とはみなさないとも彼のブログにはあるのですが、群像で書けなかった重要事実、「群像の完売赤字」について延べ、赤字を批判しながらそこに書きたがる大塚氏に出ていけといった、大切な内容を含んでいます。あ、そうそう笙野の論争は個人攻撃が殆どなんでしょ、博士。だったらその理屈だと元々論争文なんか発生してないよね? やれやれ改竄しても改竄しても真実なきブログだねえ。
 訂正7
 P330 
 誤 論争文に大幅に書き足したもの
 正 原則加筆なしの論争文に書き下ろしの解説、序文、注、付記を加えたもの。

 私が論争本を作る時の苦心ですけれど、論争文は出来るだけというか原則雑誌からそのまま本にします。自分の失敗も間違いも残すしかない。ただ、博士が平気で書いている記者の実名(その割りにこの本紙資料の有名スキャンダル載ってないね笙野は「言え」るけどね)を私は版元との折衝で(実名報道のコードや家族への影響故に)イニシァルに変えた。エッセイ一編だけ実名で書いていたから。だから実名にしない理由という書きたしを付けた。本来論争文本体は無傷で残すべき、改竄したら資料にならないからね。但し書評等の「作品」や終了時の纏めエッセイとか、没になったものを使い回しする時は同時収録でも改稿する場合はある。でも論争文は残します。え?「大幅に」?「書き足し」?
 訂正8
 P340
 誤 『早稲田文学』の編集長・市川眞人まひと
 正 市川真人(読みはまこと)
 眞とあれば誤植です。これも自分でウラ取りしました。ウラ取り体質の笙野頼子です。
 訂正9
 さあこれが博士の正体です。ウラ無し「主観」主義が露呈した瞬間です。この間違いに彼、開き直りました。そしてこれこそ彼に騙される読者の方々に突きつけるべきもの。
 P329 
 誤 在学中から作家を目指し、
 正 司法試験を受けるために大学に残ろうとしたが失敗した。公務員試験も落ちている。
 ふん、一月二十日の彼のブログで上記の私の突っ込みが批判されています。その内容はというと(既にまき散らされてるし改竄も無理かもね)私の自筆年表にそんな事書いてないから知らなくて当然という意味の反論でした。でもね。作家を目指したのは卒業後です。
 その上に博士、だったらこうして年表に書いてない事は知らぬという博士は、そもそもわたくし笙野頼子しか知りえない内面の秘密や行動を一体どうやってあの本に書いていられるのでしょう。そ・れ・ら・が・著・者・自・筆・年・表・に・あ・っ・た・?
 無取材、年表だけ、新聞もネットだけ、作品未読、それでよく「凄い、これで全部笙野の人生が判った」と思われるようなをお書きになれましたねw。こんなの一まだあるあと三桁。三回目は少しお休みしてから発表します。よろしくお願いいたします。

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