「ぼくは、うんと気にいった本に出合った時は、読者を本屋さんに走らせなければいけないという覚悟で書評を書いています」
これは、丸谷才一の、あるインタビューでの発言だ。
現在の日本で、彼ほど「書評」という文化に、長い年月情熱を捧げた文学者はいないのではないか。今回文庫化された『快楽としての読書』二冊を読めば誰だってそう納得せざるを得ないと思う。そこには一九六〇年代から二十世紀の終りまでの、なんと二三九篇に及ぶ書評が収められているのだから(しかも、これでも彼の書いた全書評の三分の一ほどなのだ)。
丸谷書評の魅力を紹介するために、まず個人的な体験を語ることから始めたい。
一九七〇年のある日、当時大学生だった若者は偶然新聞紙上で、ある書評に目をとめたのだった。
その「書き出し」がすごかった。
「若さを失った読者はこの長篇小説を読んではいけない。青春の風がまともに顔に吹きつけて来て、息苦しくなるから」
この冒頭の数行を読んだら誰だって最後まで読んでしまうにきまっている。わずか四〇〇字三枚ほどの中に、まことに見事なストーリーの要約と魅力あふれる引用が続く。そして、小説としての評価。
「構成は一見、挿話的に見えながら、しかしじつに堅固で、物語は夏の終り、彼らの青春の終りへとまっしぐらに急いでゆく。そして階級と風俗は見事に書き分けられ、イタリアの社会は彼らの背景として頑丈にそそり立っているようだ」
そして、最後にこう書く。読書共同体を祝福するように。
「この美しくて力強い青春小説を読者たちにすすめることは、書評者の喜ばしい義務であろう」
この本は、チェーザレ・パヴェーゼというイタリア人作家の『丘の上の悪魔』という作品だった。「朝日新聞」に掲載された、この匿名書評(当時、ほとんどの書評は匿名だった)を読んだ若者がすぐに書店に走ったのはいうまでもない(この書評は「ポー河のほとり」というタイトルで、『快楽としての読書 海外篇』に収められている。もちろんこちらは歴史的かなづかい)。
以来その若者=ぼくは、その後、四十年のあいだ丸谷書評を追い続けることになる。その間、この文学者は、休むことなく書評を書き続けた。「朝日新聞」「週刊朝日」そして現在の「毎日新聞」(この新聞の書評は、長さが三枚半と五枚の二種。それだけでも他紙とは一線を画す)と、主な掲載紙誌は変っても。
今回まとめられた丸谷書評傑作選を通読して、改めて驚くのは「選書」の幅広さだ。小説はもちろん、内外の古典の新訳・新編集、古今東西の詩歌、歴史、そして辞書・事典まで、さらには純文学からミステリー、なんと小学生の作文まで、本好きにはたまらない献立が並ぶ。
その一品一品を、俎上に載せ、
1 内容を手際よく紹介し、
2 読むに価するかどうかを評価し、
3 流暢で優雅、個性的な文章の魅力で語り、
4 その作品を文明のなかに位置づける。
それが、丸谷書評の魅力だ。
読者は、ある本は買いに走り、別の本は、書評の助けを借りて読んだふりさえできる。既読のものであれば、改めて再読へと誘惑される。
「書評というのは、ひとりの本好きが、本好きの友だちに出す手紙みたいなものです。しかも、文章だけで友好関係、つまり信頼感を確立しなきゃならない。その親しくて信頼できる関係、それをただ文章だけでつくる能力があるのが書評の専門家です。こういう人のすすめる本なら一つ読んでみようか、という気にさせる、それがほんものの書評家なんです」と語る丸谷書評の名篇がたっぷり詰ったのが、この二冊の文庫である。