ワイルドサイドをほっつき歩け

号泣しながら書いた人間の多面性

『ワイルドサイドをほっつき歩け』刊行記念対談

ブレイディみかこさんのエッセイ集『ワイルドサイドをほっつき歩け』刊行記念として、西加奈子さんと対談していただきました(2020年5月26日ビデオ通話にて)。 『ワイルドサイド~』に出てくるおっさんたちの話から、西さんの『おまじない』の「おじさん」にも話は及び、最後はコロナ渦のイギリス・ブライトンとバンクーバーの状況の話にも! 

世代論にも地味に感動した 

 

西:世代の話(第2章 解説編)も地味に感動しました。私も、例えば「ゆとり世代」の友人たちがいて、括られるのは嫌だろうなあと思って躊躇していて。でもそれを、「大勢の人々の性格や個性を世代で括ることには無理がある。が、話のネタとしては面白い」って(笑)。もし世代で括るとして、お連合いさんやお友達たちは「ベビー・ブーマー世代」(以下、イギリスでの世代区分。1946〜64年生まれ)じゃないですか。その世代ならではの楽観性とか感じます? 一方でサイモンの甥っ子は「ミレニアル世代」(1981年〜2000年代初頭生まれ)。息子さんは?

ブレイディ:「ジェネレーションZ」(2000年代初頭以降の世代)ですね。

西:「ミレニアル世代」や「ジェネレーションZ」世代の子たちが、例えばもし今のお連合いさんみたいな状況になった時に、笑い飛ばせると思いますか?

ブレイディ:いやあ、笑い飛ばせないと思いますよ。連合いたちの世代は、経済的にもいい時代だった。豪快なロック世代というか。文字通りワイルドに歩けた。私は『ぼくはイエローで〜』と『ワイルドサイド〜』って、新潮社と筑摩のPR誌で同じ時期に連載してたんです。それで『ぼくイエ』の息子の話を書いているときのほうが大人の話を書いてるみたいで、『ワイルドサイド~』のおっさんたちの話のほうが子どもみたいにやっちゃいけないっていうことをみんながやってる。

西:そうですよね。私、息子さんの大ファンになったって言ったじゃないですか。ちょっと私のメンターみたいな気持ちでいるんだけど、確かにおっさんと子どもがひっくり返ってますよね。

ブレイディ:そう。だからうちの息子たちは情報もたくさん持ってるし、思慮深く生きて、このおっさんたちみたいな失敗はしそうにない。でもこのおっさんたちはもう見事に失敗して、落ち込んで立ち上がって、それでまた懲りずに失敗する。

西:一方、スティーヴと同じスーパーで働いているブライトン大学の学生が、「彼を見ているとブレグジッターの中にもクールな人がいるんだって思う」と言っていて(第15話「君が僕を知っている」)。「理念と理念で対立し合う時代から、人と人が対話する時代へ。なんつうことがEU離脱で大揉めの英国では最近しきりに政治家や知識人の口から出るけれども、そういうことが机上の理念ではなくて本当に始まるのは、メディアでも学会でも議会でもなく、いつだって地べたである」と書いていらしてましたね。この部分も、ブレイディさんならではやと思います。正直私の周りでベビーブーマー、いわゆる団塊とミレニアルの人たちが一緒に何かやってるところはあまり見られない気がして。どうなんやろ。

ブレイディ:今、世代間闘争がすごいから。

西:ブレグジッターでEU移民嫌いだったはずのサイモンと、彼の甥っ子の恋人でまさにEU移民であるフランス人の女の子が、並んで労働運動のプラカードを描くシーンとか、すごく希望ですよね(第12話「燃えよサイモン」)。

 

おっさんも歩けば偶然に当たる

 

ブレイディ:たとえばスティーヴは人間的にすごくいい奴。若い人が、考え方が違ってもスーパーとかで同僚になったらめっちゃいい人って思うような人。イデオロギーが違う部分は話し合っていけばいい。ツイッターの争いでもそうなんだけど、否定し合って、からかいあって、どうだ、賢いだろうって自分の点数を稼ぐんじゃなくて、どう言えば自分のイデオロギーを別の立場の人に聞いてもらえて、ちょっとでも受け入れてもらえるんだろうかっていう努力が昔はあったような気がするけど、今、一切ない感じがして。

西:何が原因だと思いますか? やっぱり経済の余裕のなさかな。

ブレイディ:経済の余裕のなさはあるでしょうね。無駄なことはしたくないというか、コスパを求めて全体的に小さくなってる感じ。いつだったか日本に帰ったときにたまたま討論番組(「朝まで生テレビ!」)を夜中に見てたんだけど、あれは80年代からやってて、当時は西部邁とか右翼で、野坂昭如とか大島渚が左翼で真剣に怒鳴り合いの喧嘩とかしてたんだけど、ああいう人たちって喧嘩しながら、実は人間としては友達なんだろうなっていうおおらかさというか懐の深い感じがあった。でも今はそういうのがなくて、なんか官僚の会議みたいになってた。

西:インターネットで、世界はすごく広がったはずなんですけどね。コロナでバンクーバーがロックダウンになるかどうかってときに、カフェにテイクアウトに行ったんです。そしたら、おそらくイタリア系のおっさんらが4つくらい外に椅子を並べてコーヒー飲んでたんですよ。もう集まったらいけないのに。私が彼らを見たら、「テイクアウトだから! テイクアウトだから!」とか必死で言ってきて、笑ってしまって。でも、例えば私がこれをSNSに投稿したら、「そんなだからダメなんだよ!」とか言う人がいるんじゃないかと。

 間違っているかもしれないけど、そして、誰かを傷つけてしまうかもしれないけど、笑ってしまう、愛してしまうっていう瞬間は、もう淘汰されてゆくんですかね。

 

ブレイディ:でも傷つけあってこそ、すごい好きになるっていうのもあるじゃない? そういうのがコロナで、ソーシャルディスタンシングじゃないけど、余計離れていっちゃうのかな。私はネットがない時代から生きてて、こんな大量の情報は昔はなかったから、思いもしなかった偶然で何かを発見してしまったり、とんでもない人と出会ってしまったとかというのがストリートに転がってた。今は調べてからそこに行くからね。偶然ストリートを歩いていたら常識を覆されるような考え方をする人と話をしてしまった、とかいうことがなくなってる。デヴィッドみたいな嫌な奴が毎年隣りに座ってたみたいなことがなくなるだけでなく、偶然のミステイクで知り合ってしまったら意外と当たりだったとかいうことがなくなってる気はしますよね。

西:それはもう、自戒を込めてです。私個人は嫌な予感がする人と会いたくないんですよね……。情報だけ知って、「ゲスい奴!」と思っていて、それで万一会っていい人だったら苦しくて仕方ない。作家としては絶対にその多面性を書かなくてはという覚悟があるつもりなんですけど、人間としては本当に偏狭です。

 

人間の生きてる機微、不思議

 

ブレイディ:すごくいい奴であるスティーヴとかの身に何かあったら泣くとは思うけど、でも意外と、私はデヴィッドのときほど号泣しながら文章を書いたりはしないと思う。人間ってそれが不思議なんだよね。嫌な奴に限って強烈に心に残る人になったりするんですよね。

西:デヴィッドに対して持ってた思いと、例えばスティーヴに対して持ってた思いの違いを限りなく言葉にしたら何だと思います? 

ブレイディ:嫌な奴だったのに出会ってしまった、これは何? っていう。その「何」をずっと考え続けることなんだろうなと思う。「偶然」とか「必然」とか「運命」とか「単なる確率の問題」とかいうやばいところにも繋がっていきかねないけど。デヴィッドはビシッとして、スキンヘッドなんだけどジェントルマンなわけ。それが、私の着ていたモヘアのセーターからの抜け毛が飛んで、彼の服についたみたいで、それを嫌味くさくバンバン叩く。私の皿がテーブルにあるからバンバンされたら埃が落ちる。なのに、ぴんっと背筋を伸ばして上流階級風の高貴な座り方をしている人にバンバンってされると、私とか猫背の土建業者の娘だから弱気になって「すいません、私のセーターが……」とかつい言っちゃうわけ(笑)。すっごい嫌だったのに、マッドネスがかかって踊ってるときの嬉しそうな顔、可愛かったんですよ(笑)。

西:あのエピソードを思い出します。金子文子が牢獄に繋がれていても、看守がメザシを焼いてる匂いを嗅いで、ああこの人にも生活があるんだって。

ブレイディ:そうそう。転向政策とか取られて酷いことをされてたかもしれないのに、敵であるはずの女看守がメザシを焼いてる匂いを嗅いで、「あの人も生活が楽じゃないんだろうな」って瞬時に想像してしまう。そこは人間の機微、人間の不思議ですよね。それが人間が生きていることの美しさでもあると思う。

西:人類学者であり霊長類学者である山極壽一さんが、とても興味深いことをおっしゃっているインタビューを拝読しました。人間がチームワークを発揮するには、それってつまり共存してゆくためには、ということだと受け取ったんですけど、視覚とか聴覚だけではなく、「共有できないはずの感覚を共有することが大切」らしいです。つまり、「嗅覚や味覚、触覚を使って信頼を形作る必要」がある。インターネットやスマートフォンは、「身体は離れていても、脳でつながる装置」で、「安易に繋がったと脳は錯覚するけど、信頼は担保できない」そうなんです。それを読んでいると、ネットで罵詈雑言を書く行為は、「ああこの人もしんどいんやな」と共感できないことも一因なのかなと思いました。ブレイディさんがデヴィッドのことを思って泣いてしまうのは、嫌でも隣りに座ってたってことが、ものすごく意味があるんじゃないかな。デヴィッドから何か発してて、ブレイディさんも何か発してて、インビジブルだけど人間も動物だから絶対なんか感じてて。でも例えばZoomパーティーで、デヴィッドがNHSは廃止しましょうって言ってたら(笑)。

ブレイディ:むっちゃ腹立つ(笑)。

西:ブレイディさんともやっぱり「会いたい」し、こうやってお話ししてるのむっちゃ嬉しいけど、会えてる感じあんませえへん。

ブレイディ:私もすごくよく分かる。これから仕事はビデオ通話上でいいって言ってる人もいるじゃん。でもやっぱりこれは違うと思う。

西:メールも便利だけど、やっぱり何か足りないし。その足りなさもちょっと怖いんです。ネットに罵詈雑言を書き込むことは自傷行為だと言っている方がいて、ハッとしました。その瞬間スッキリするけど、やっぱり「足りない」んじゃないか。そうしたらどんどんエスカレートする。でも例えば面と向かって会って、「お前嫌いやねん!」「なんで?」って言いあえたら、結構もう足りるのではないか。例えば川原で殴り合って「お前やるな」の世界って、自分の体の半分では「じゃかましい! 昔のマッチョな価値観引っ張り出すな!!」って思うけど、もう半分は「確かに、殴り合ったら仲良くなる可能性があるのかもしれない……」みたいに思ってしまう自分もいて。もちろん、暴力は問題外だとして、少なくとも顔を見て、同じ場所で話し合う必要があるのではないかって。

ブレイディ:ネットにない全てがこの本のおっさんたちにありますよね。

西:そう。あと、『ぼくはイエローで〜』が先に出て、その後っていうのも完璧だなって思いました。若い子たちは絶対に『ぼくはイエローで〜』は分かることだし、その流れで読むから、「そっか。おっさんかって生きてんな」ってほんまに思う(笑)。もちろん、おばはんも生きてるし!

ブレイディ:そうそう。どっちかっていうと、女性に読んでほしいんですよね。おっさんを悪者にしておけばいいっていう風潮があるけど、おっさんだって生きているんだって、当たり前のことは認めるべきだろうし。でも逆に『おまじない』みたいな女の子がおっさんに救われる関係があってもいいですよね。

西:そうですね。その逆もあってもいいし。そこは本当に勇気をもらいました。

ブレイディ:ありがたいです。『ぼくはイエローで〜』のうちの息子って、なんだかんだ言っても、やっぱり分別のあるいい子タイプでしょう。それが日本でたくさんの方に読まれて、共感していただいた。そこへいくと、この本のおっさんたちは全然おりこうじゃないし、分別もなさすぎる。だから正直どうかなあって不安はあります。

西:よくある「荒くれ者自慢」じゃないのがいいんです。本当にあったことをきちんと惨めに、そして面白く書いてくれてるから。そしてすごく泣かされる。

ブレイディ:こういうふうに書くことに私が臆病にならないで済んでるのは、私が日本にいないからっていうのもあるんですよね。本当にこうやって話すのって西さんとかぐらいで。日本の作家の人とかほとんど知らないし、日本のサークルにいてみんなでご飯食べたりしてるわけでも、しょっちゅう日本に行って対談をしてるわけでもないし、そんなに知り合いもいないから。誰がなんて思おうと構わないみたいな部分がある。日本にいると書きにくいかもね。やっぱりいい子になりたくなっちゃうかもしれない。

西:そうですよね。私の場合は、自分の狡い性格があると思います。本当にどれだけいろんな人とつるんでても、勇気がある人はきちんとあるし、私はどれだけ距離をとっても、弱いんですよね。

ブレイディ:そんなことないですよ。

西:いやいや。同時に、自己愛強いから自分に「頑張れ!」って思ってるんですよ。「分かるで。ズルくなっちゃうあんたの気持ち」みたいなのがむっちゃあって。とにかく自分に甘いです。

2020年7月6日更新

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ブレイディ みかこ(ぶれいでぃ みかこ)

ブレイディ みかこ

ライター・コラムニスト。一九六五年福岡市生まれ。県立修猷館高校卒。音楽好きが高じてアルバイトと渡英を繰り返し、一九九六年から英国ブライトン在住。ロンドンの日系企業で数年間勤務したのち英国で保育士資格を取得、「最底辺保育所」で働きながらライター活動を開始。二〇一七年、『子どもたちの階級闘争』(みすず書房)で第十六回新潮ドキュメント賞受賞。二〇一八年、同作で第二回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞候補。二〇一九年、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)で第 七十三回毎日出版文化賞特別賞受賞、第二回 Yahoo! ニュース|本屋大賞 ノンフィクション本大賞受賞、第七回ブクログ大賞(エッセイ・ノンフィクション部門)受賞。 著書は他に、『花の命はノー・フューチャー DELUXE EDITION』(ちくま文庫)、『アナキズム・イン・ザ・UK』(Pヴァイン)、『ヨーロッパ・コーリング――地べたから のポリティカル・レポート』(岩波書店)、『 THIS IS JAPAN ――英国保育士が見た日本』(新潮文庫)、『いまモリッシーを聴くということ』(Pヴァイン)、『労働者階級の反乱――地べたから見た英国EU離脱』(光文社新書)、『女たちのテロル』(岩波書店)などがある

西 加奈子(にし かなこ)

西 加奈子

1977年、テヘラン生まれ。2004年『あおい』(小学館)でデビューし、05年、『さくら』(小学館、のちに小学館文庫)がベストセラーになる。07年、『通天閣』(筑摩書房、のちにちくま文庫)で織田作之助賞を受賞。他の小説作品に『きいろいゾウ』『しずく』『窓の魚』『炎上する君』『円卓』『漁港の肉子ちゃん』など。

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