重箱の隅から

控えるということ

 医者専門の言葉というわけではなく、官が民に何かを要請する時に使われる言葉の一つでもあるらしいのだが、「控える」、「控えるように」という言い方がある。
 ちょっとした風邪や胃腸の具合が悪い時、医者に行くと、脂っこい消化に悪いもの、酒・煙草は控えて、、、と言う医者と(上記のものは)駄目ですよ、、、、、と言う医者がいて、どちらが忠告される立場にわかりやすいかといえば、もちろん、上から目線、、、、、の「控えて」より、「駄目」の単刀直入のほうに決まっている。
 福島の原発事故から一年はたっていない頃ではなかっただろうか、放射能汚染の数値の高い野菜が福島周辺の農家から市場に出荷されていたというニュースをテレビで見たのだが、画面に登場した農家の男性は、取材者に向かって、心底驚いたという様子で、出荷は控えるように、、、、、、、と言われたから控えていた、、、、、、と答えるのだ。どうやらこの農家の男性は、控え目に、、、、出荷するようにと言われたのだと信じていたらしいのだが、取材しているテレビ局の人間は、控える、、、ということは、駄目、、という意味だと思っていたらしく、この言葉に対する双方の齟齬については触れずに、役所の連絡の不徹底に加えて農家の放射能汚染と言葉についての無知といったものを匂わせつつ、現地からの報告を終えるのだった。
 私には、この報告が、汚染された野菜が市場に出回ってしまうのは、控える、、、という言葉の意味がわからない人間が東北にはいるからだ、と言っているかのように聞こえて、辞書を開いたのを覚えている。控え目、、、に何かを命じたり要請する時に使われる、このいかにも曖昧な控えるという言葉は、最初に書いたように、医者の口から患者に対して、あるいは台風の暴風雨への注意の呼びかけとして気象庁が発する、不要不急の外出は控えて、、、、、、、、、、、という、住民に対する控え目な警告、、、、、、として用いられるのだが、コロナ禍、、、、においては専門家である医者たちの要請をもとに政治家の口から不要不急の外出を控えることが繰り返し求められた。
 手元にある3冊の辞書の一番長い語釈と解説は23行、類語の例が7行、他の2冊も11行と9行とかなり長く、この災害時に曖昧な命令とも、あつかましい要請ともつかずに使用される言葉が、案外複雑な意味を持つことがわかるというものだが、私たちが生活上、よく目にしたり耳にするのは、いわば自粛と同義的な意味で何かをやめることを求められる時である。
 解説が一番長い『大辞泉』(小学館’95年第一版)を引用することにしよう(文法用語は省略)。東北の農民がなぜ仰天したかを考えるために。
 大雑把に意味は二つに分けられていて、まず「1」の「(ア)用事や順番に備えて、すぐ近くの場所にいて待つ。待機する。「次の間に―・える」(イ)目立たないようにしてそばにいる。「主人の後ろに―・えている」(ウ)空間的・時間的に迫っている。近くに位置する。また、近い将来に予定される。「後ろに山が―・えている別荘」「決戦の日が三日後に―・えている」「幾多の難問題が―・えている」」といった、どことなく封建的な古風な場面がイメージされる用法と「2」に分類される。
「2」の「(ア)度を越さないように、分量・度数などを少なめにおさえる。節制する。「酒を―・える」「塩分を―・える」」は、もちろん医者用語であり、(イ)の「自制や配慮をして、それをやめておく。見合わせる。「外出を―・える」「発言を―・える」」の場合、前者は「過度な性交などを―・える」という用例もあるだろうから医学・健康用語だが、「外出」「発言」に関しては社会的・政治的な自粛ということになるだろう。(ウ)は「空間的・時間的にすぐ近くにある。近い所に持つ。あまり時を置かないで予定している」、といった意味で使われることもあり、(エ)は忘れないように、また、念のため書きとめておく、(オ)は衣服などを、おさえつかんで、行かせないようにする。引きとめる。(カ)、引く、引っぱるだが用例が『笈の小文』から引用されている古語だから今日では関係ないだろう。類語としては、「2」(ア)慎む・抑える・節する・節制する/「2」(イ)見合わせる・やめる・自粛する・自重する・遠慮する、で、「2」(エ)書き留める・書き記す・書き付ける・記録する・メモする・ノートする、などが載っている。
「野菜の出荷を控えるように」と通達された農家の男性は、「2」の(ア)の語釈、私たちも日常的に使うことのある度を越さないように数などを少なめにおさえる、と通達を理解したわけである。医者に酒と煙草は控えて、、、と言われて、アルコールやニコチンの依存症系の人間は断然、「2」(ア)の意味で受けとるはずで、(イ)の自制や配慮をして、それをやめておくのほうは、物言いが控え目すぎて、念頭に浮かぶはずがないし、野菜の出荷停止の要請の場合は、こうした事例の法的なことは知らないが、野菜の汚染度の検査をして数値で示したうえで、この数値以上は出荷を控えるように、ではなく出荷禁止にして東電が被害を補償するとすれば良いだけだった。
「控える」ようにという要請は、大規模な自然災害が予測される際には「不要不急の外出は控えて」と使われ、コロナ禍、、、、でもむろん盛んに使われるメディアを通しての行政的な要請用語なのだが、テレビのニュースと天気予報が混じりあった番組で、しばしば緊迫感と共に読みあげられる「不要不急」という言葉も、あるいは「外出」という、ほぼ何気ない日常語も、使う人によって相当に解釈が違うのだ。
 たとえば、テレビにこの街の映像が映るたびに必ず「おばあちゃんの原宿」という字あまりのすぎる枕詞が付されるとげぬき地蔵通りには、いつものような人出があるという、外出自粛要請下、、、、、、、の東京の街の様子を伝えるテレビ番組の中で、マイクを向けられた高齢女性は、「だって、外出じゃあないよ」と不機嫌そうに答え、連れの高齢女性も深くうなずき、レポーターの男は戸惑って怯えた表情を浮かべ、画面は別のにぎわいを見せている都内の郊外都市の横丁に切りかわる。
 この女性たちにとって、とげぬき地蔵という場所に行くことは、屁理屈などではなく、外出、、ではなくお参り、、、(買い物や軽食をともなう)なのであり、外出、、にはたとえばガンのように、行く場所や空間によってステージがあるのかもしれない。家を出てどこかに用があって行くことを外出、、という抽象的で具体性に欠ける言葉ではなく、あくまで具体的に考えるのである。この断言の自信はどこから来るのかと言えば、私がそう考えて行動するからで、外出などという言葉は、たまたま出てしまった電話で居留守を使う時だけだし、外出着、、、という用法も、どこに着て行く服、、、、、、、、かと具体的に置きかえなければならない。
 説明が長くなったが、とげぬき地蔵はお参り、、、に行くのであり、他にどんな用事があるのか知らないが、近所のスーパーや商店街での買物、夫の墓参り、娘夫婦の家、孫の結婚式、区の体育館の体操教室、23年ぶりに劇場で映画を見る(お芝居は時々見る)、友人や知人の通夜などに行くことは多いが、それはそれぞれの目的のある場所に行くことであり、外出とは言わないのだ。そして、それ等の用事は、ある意味では(この年になると人づきあいが面倒臭いという観点である)不要不急と思って差しつかえないとしても、その反対に絶対必要不可欠と考える立場もあるのだから、不要不急というものも成立しない。控えるという言葉の曖昧さだけではなく、三つの無責任な曖昧さが三密、、に並ぶ「不要不急の外出は控えて」という言い方は、この際、というか今時、不穏当とさえ言えるだろう。何も伝えていないのと同じ言い方(アピール)なのである。
 5月の「緊急事態宣言」解除後に東京都が東京アラートとやらでいくつかの建造物を赤くライト・アップした時、小池百合子都知事は、今後も感染者の数が一定の数値を超えたら、「東京アラートが、キン、コン、カン、と鳴ります」とマスクのせいとばかりは言えない無表情な笑顔、、、、、、の尻上がりのリズムでアラートの鐘の音を真似、3月24日にオリンピックの延期が正式に決まった翌日の緊急会見では「感染爆発 重大局面」、緊急事態宣言時には「感染拡大 要警戒」と漢字4字と3字で語呂を合わせてはいるのだがリズムのセンスに欠ける標語(「夜の街 要注意」というのもあった)のボードを掲げたのだったが、同時に首相が5月、緊急事態宣言解除の会見で、自分で書いた言葉で語っているのではないにしても、そう信じてはいるのかもしれない「日本ならではのやり方で、わずか1カ月半で、流行をほぼ収束させることができた。日本モデルの力を示した」と胸を張って語る空虚さを眼にすると(テレビの画面でだが)、私たちとしては、直面しているはずのその重大さや緊急性や、いつわり、、、、とも言える収束宣言に腹を立てるという順序を踏み外して、まず、失笑して不快さを表明することになってしまうのだ。小池百合子の顔面の半分以上を覆うでかいデザイン・マスクと、安倍の顔面の5分の1ほどをかろうじて覆い、ほとんど意味のない幼稚な依怙地さを示しているだけの小さなガーゼのマスクが、視覚的に与える不快さと、それを外した時に口から出る言葉の空虚な不快さはよく似ているのだ。
 しかし、それ以上に不快で無気味な言葉だったのが、「医者たち」なのか、それとも「誰」がそれを発しているのかが曖昧なまま、それ故になおさら「絶対」であるかのような印象を与えて「提言」された、新製品(もちろんIT関係の)の広告キャンペーンの明るい未来を明示しているコピーのような「新しい生活様式」である。

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