重箱の隅から

予言について①

 7月の下旬だったか、新聞で『ノストラダムスの大予言』で知られた五島勉氏(90歳)の死が報じられているのを見て、大予言シリーズの累計が600万部以上のベストセラーだったことを、昭和史の一コマとして振り返って考える、という類の新聞記事を切り抜いてあったのを思い出したのだった。もちろん、一種の違和感を感じたからである。
「昭和史再訪」というシリーズ記事(朝日新聞ʼ13〔平成25〕年12月14日)は、昭和48(1973)年に上梓された『ノストラダムスの大予言』が、折からの「終末ブーム」を背景に大ベストセラーになった当時のことを紹介しているのだが、記事中の「証言」というコラム仕立てのコーナーの「ノストラダムス研究室主宰の田窪勇人さん(49)」の発言への違和感が、この記事を切り抜いておいた理由だ。
 16世紀フランスの医師で占星術師でもあったノストラダムスについて、「原書を取り寄せ翻訳をしましたが、つづりも意味も現代と違っていて、苦労しました」と素人的な発言をする研究室主宰は、「一九九九年の人類滅亡の説は明らかに間違い」だと言うのだが、そんなことはどうでもいいことで、びっくり、、、、したのはその歴史意識の過度な子供っぽさである。「70年代の日本は科学の進歩と迷信がまだ混然一体の時代で、ノストラダムスの誤った情報をうのみにするしか」なかったが、今は「インターネットで簡単に事実を調べることができ」るのだから「予言が人心を惑わせるようなことは起きないように思」うと発言しているのだが、40年前に9歳の少年だった頃と、ほとんど変化していないかのような思考ぶり、と思わざるを得ないところだ。
「昭和史再訪」の記事を書いている記者は、もっと若いのかもしれないが、それでも当時の資料に多少目を通し、インタビューもして、ルポライターの五島勉が祥伝社編集者の企画で、雑多な資料を集めて2カ月で「ペラペラっと書いた」ということを記事にしている。もちろん、『ノストラダムスの大予言』を読んでみればというより読まなくても、それがトンデモ本であることは自明のことだったはずだ、と当時を知る者としては思うのだが、しかし、当時、終末ブームというか、終末論ブームがあったことは確かで、折からの地震予知ブームと重なった小松左京の『日本沈没』の映画化が「空前の大ヒット」だったと記者は書いているし、そうしたエンタメ系とは趣を異にする左翼・インテリ系とも称すべき作家たちが同人だった季刊雑誌『終末から』(筑摩書房)も刊行されたのだが、70年の終末論ブーム、、、、、、は、田中角栄の『日本列島改造論』(72年)に水をさされつつ、二度のオイル・ショックを経て80年代のバブルの中に消えていったと言うべきだろう。野坂昭如、井上ひさし、小田実、埴谷雄高らが常連執筆者だった『終末から』は、82年に岩波書店から『岩波ブックレット№1 反核』として上梓された署名宣言「核戦争の危機を訴える文学者の声明」を境に、当時流行した文化人類学的知的文化人を再集合させた『へるめす』に姿を変え、筑摩書房の路線は『逃走論』(浅田彰、84年)や映画雑誌『リュミエール』(85年創刊)へと一時変更されるのだが、それはそれとして、朝日の記者が書いているように「70年代前半は東西冷戦のまっただ中」と言えるだろうか。72年の宗教的対立と植民地問題がからみあった北アイルランドの「血の日曜日」事件や、ミュンヘン五輪の「黒い九月」事件は後々まで続くが、72年にはニクソンの訪中、75年はベトナム戦争がサイゴン政権の無条件降伏で終わり、80年にはポーランドで労組の「連帯」が結成され、やがて東西ドイツの統一、91年のソ連崩壊へとつながる兆候が色濃くなる時代と言うべきだろう。
 上野昻志の『戦後60年』(05年)の66~79年に触れた「戦後三十年と、戦後の消滅」ではこの時代は10の見出しが年代順(やくざ映画/三里塚闘争/全共闘運動/アングラ、ヒッピー/大阪万博/三島由紀夫事件/連合赤軍/石油危機/田中角栄/ポスト角栄)に語られているのだが、常識ある成人として上野は当時の状況について書いている。日本の70年代には、公害の企業責任が法的に明らかにされる一方PCBや水銀汚染がさらに広範囲に及んでいることが明らかになり、「インフレによる物価高騰や買い占め・売り惜しみによるモノ不足が、たんに経済的な現象にとどまらずに、自然環境の悪化や食品の安全性に対する不安と重なって、精神的・心理的不安をかきたて」た「時代の気分にピッタリ合ったのが」、73年の1年間で400万部の大ベストセラーになった小松左京の『日本沈没』であり、「終末」という言葉が流行し(上野は触れていないが、60年代末のアマチュアを巻き込んだいささかコッケイな地震予知ブームも影響があったはずだ)、「そして、『ノストラダムスの大予言』が売れるのが、その翌年のこと」で、出版商売上の旨味のある企画だったことを、9歳の子ども、、、、、、でない者は知っていたのだが、(ペラペラっと書いた、、、、、、、、、という軽さが、新書判の装丁からも直接伝わる)、朝日新聞の「昭和史再訪」の記事を書いた記者は70年代前半を「いつ核ミサイルのボタンが押されるかわからない不安が国民にあった」と書き進めるのだが、いかにも茫漠としているのは、当時小学生か園児だった世代の記憶が反映しているせいなのかもしれない。「高度経済成長期で、海や川、大気の汚染が深刻化し」ていたのは事実だが、「さらに、本発売(『ノストラダムスの大予言』のこと。引用者)と同時期に始まった石油ショック。トイレットペーパー買い占め騒動、ガソリンスタンドには長蛇の列……。街を暗い雰囲気が覆っていた」と続けられるのを読むと、その前に『日本沈没』が大ベストセラーだったのよ、と言いたくなってしまう。
 79年の2度目のオイル・ショックの影響で医療費の削減が行われ、メディア(当時はまだマスコミと言っていたが)では、たいした病気でもないのに、老人医療が無料のせいでヒマつぶしに医者通いをする老人を無駄飯喰い扱いしてしきりと問題にしていたことを思い出すのだが、『大予言』は刊行の翌年には映画化もされて大ヒットし、東京湾のゴミ捨て場「夢の島」も舞台になった。「ゴミから発生した有害物質の影響で巨大ナメクジ」が現れ「自衛隊が出動し、火災放射器で焼き払」い、「核戦争の特撮シーンは観客を戦慄させ」たそうで、「環境汚染や核戦争への警告がメッセージにあった」ことから、文部省(当時)推薦映画になったそうだ。当時の小学生たちは、もしかすると映画教室で『ノストラダムスの大予言』を見せられたのかもしれない。万博の記録映画などと同じセンスで。私は見ていないし、そういう映画があったことも知らなかったが、記事中に制作会社も出演者も触れられてはいない。
 記事は、SF作家の、「日本人が予言に振り回された」のはキリスト教的な終末論になじみのある欧米人と違って「終末の予言に対して免疫がなかったから」という意見を紹介しているが、これは日本人がなじみ、、、だの免疫、、だの、振り回された、、、、、、だのの話ではなく、作者といくつかのメディア(出版社、映画会社)が「大ヒット」の利益をあげることができた時代だったということで、予言が問題なのではないことは、当時を覚えている者(子どもとしてではなく、成人として騒ぎを知っていた)にはあきらかに思えるのだが、「そして迎えた99年7月」と記者は書く。「人類には何の異変もなく五島さんには非難の声が殺到し」、インタビューに答えた五島氏の「世の中にショックを与えたことは謝りたい」という言葉が最後に引用される。この記事が書かれた2013(平成25)年は、東日本大震災から2年目で、18年前の95年には阪神・淡路大震災があり、地下鉄サリン事件があり、震災もそうだが福島の原発事故処理の見通しもついていなかった(いまだに、と言うべきだが)し、予言の年の99年3月にはコソボ内戦に介入したNATO軍がユーゴ全域の防空・軍事施設への空爆を開始、日本では石原都政が始まった年、国旗・国歌法、通信傍受法の成立した年でもあるのだから、人類に何の異変もなく、、、、、、、、、、とは決して言えないはずなのだが、こうした事件や戦争は、いつでも地球のどこかに常にあるものと無意識に考えているのかもしれない。
 しかし、新型コロナウィルスが引き起こした世界的規模の騒動は別らしいのである。1999年の末、私たちは世界中のコンピュータの日付が変わる瞬間に何が起きるかという二〇〇〇年問題、、、、、、、について騒いでいたが、よほどの予言おたくでもない限り、ノストラダムスの名など思い出しもしなかったはずだ。ところが、五島勉氏の死によって、予言が思い出され、東京新聞の紙面批評の若い書き手は、ノストラダムスの予言を今振り返る、という記事について(むろん、五島勉の死から思い起こされた記事)、「大流行した予言の背景には、環境汚染や公害、核戦争への恐怖があったという、、、」(傍点は引用者)と推測によって、今日も「終末への恐怖」は継続していて、「収束の見えない新型コロナウィルスの猛威、世界的な気候変動への対応が進まず、日本でも繰り返される豪雨災害、危機的な米中対立…」という状況の中、「むしろ、記事中で演劇研究者の笹山敬輔氏がいうように、「時期が少しずれたが、予言は間違っていなかった」のである」(今野晴貴「新聞を読んで」8月2日東京新聞)という感想を書きつけ、別の新聞の切り抜き(「昭和史再訪」と一緒に入っていた)では新作の『95』という小説を発表したばかりの早見和真がインタビューで「ノストラダムスの予言は、外れた。私たちは、世紀末の社会が抱えていた「病理の処方箋」を見つけられないまま、さらに余裕をなくした社会に生きている。だからこそ、『物語』が復権する予感もある。それに応えられる作家になっていく」と語っている(朝日新聞ʼ13年12月14日)。
〈この項つづく〉

 

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