丸屋九兵衛

第40回:いま振り返る、冷戦と昭和と1980s。シャネルズと保毛尾田保毛男の日々

オタク的カテゴリーから学術的分野までカバーする才人にして怪人・丸屋九兵衛が、日々流れる世界中のニュースから注目トピックを取り上げ、独自の切り口で解説。人種問題から宗教、音楽、歴史学までジャンルの境界をなぎ倒し、多様化する世界を読むための補助線を引くのだ。

 冷戦時代に想いを馳せるのはわたしの習慣。だが、最近になって特にその傾向が強くなったのは、迫り来るオリンピックのせいでもある。
 というのも……わたしが大学生のころ、レスリングの先生が折に触れて「ああ、モスクワ・オリンピックのボイコットさえなければ。俺も今ごろ新日本プロレスのスターだったろうに……」と言っていたからだ。もっとも先生は、その8年後に開催されたソウル・オリンピックには出たのだが。

 ここで説明しておくと……モスクワ・オリンピックとは、ソヴィエト連邦のアフガニスタン侵攻に反発した西側諸国が大挙してボイコットし、「スポーツと政治」の関係が問われることとなった大会。1980年の夏季五輪である。
 一方、8年のブランク(?)を経て先生が出場したソウル・オリンピックは1988年夏季だ。
 その間に挟まれた1984年のロサンゼルス・オリンピックでは、社会主義諸国(東側諸国)が、前回のお返しとばかりに総スカン的ボイコットを敢行。だから1988年のソウル・オリンピックは、12年ぶりの真に世界的な大会となった。
 日本人からすれば「昭和最後のオリンピック」となったソウル・オリンピックは、いろいろな意味で節目だったと言える。翌1989年に始まる「ベルリンの壁、崩壊」〜「冷戦終結」〜「ソ連解体」という怒濤の展開で、長らく世界を隔ててきた「鉄のカーテン」が消滅したがゆえに、ソウル・オリンピックは旧「東側諸国」が旧体制のまま参加した最後の大会でもあったから。

 80年代。冷戦が終わり、昭和が終わった時代。
 その頃の露骨で差別的でイグノラントな風潮を思い出すのも、これまたオリンピックのせいである。此の期に及んでゴタゴタを繰り返す泥縄な泥舟ぶりに、一時期浮上していた「渡辺直美 as オリンピッグ(豚)」というアイデアを記憶から消し去れないからだ。
 開会式演出担当メンバーの反発を買って撤回に至ったのは不幸中の幸いではあった……が、わたしは思う。「これが80年代であれば、このオリンピッグ案がそのまま通っていたのではないか」と。

 レイシズムとセクシズムに満ち満ち、男尊女卑とマジョリティによる絶対支配がまかり通っていた時代。そんな過去の日本に想いを馳せながら、いくつか書き出してみる。80年代を念頭に置いてはいるが、それは昭和全般に当てはまることかもしれない。さらに、残念ながら今でも死に絶えていない風潮もあるのだ。

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■西のコンキスタドール

 80年代は不寛容だったわけではない。むしろ寛容な面もあった。寛容すぎる面、と言おうか。
 つまり、不寛容であることに寛容、ということだ。多数派による絶対支配に世の中が慣れきっていた時期とも言える。あるいは「勝者が書いた歴史を信じ切っていた時代」かもしれない。

 学研の図鑑『探検』を見返してみる。
 目次に踊る名前は、まずダレイオス大王、アレクサンダー大王、ハンニバル、ヴァイキング、マルコ・ポーロ。まあ、このあたりまでは納得できよう。
 しかし彼らに続くのは、コロンブス、マゼラン、ピサロにコルテス、キャプテン・クックにリヴィングストン、スタンリーといった面々。張騫とイブン・バットゥータという僅かな例外を除くと、見事に白人ばかりなのである。
「鄭和はどこに行った?」という疑問もあるが、何より重要なのは、それら白人探検家のほとんどが植民地主義の手先だったり、コンキスタドールだったりすることだ。
 侵略者・奴隷商人・大量虐殺者を「大海原の勇者」「先見の明がある英雄」扱い。「日本スゴイ」も危険だが、欧米中心史観に洗脳されきったアジア人というのも厄介な存在だ。

 この洗脳はまだまだ残っていて、今も各所で散見される。最近では、EXITという人たちが出した「なぁ人類」という曲が冴えていた。歌詞に曰く、「コロンブスがアメリカ大陸を見つけた時代の方が よっぽど自由と希望溢れてただろ」。
 何を夢見ているのだろう。いい大人が。

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■アブノーマル伝説

 アブノーマルという語彙はアブノーマルなものだと聞く。
 つまり、英語話者にとって、それは基礎的なヴォキャブラリーではないらしいのだ。
 なのに! 英語の語彙が貧弱なことで知られる我々日本人は、なぜかアブノーマルという単語に慣れ親しんでいる! このことは、英語圏のみなさんにとって、一つの驚異であるという……。

 かつて同性愛は「異常」と見なされていた。アラン・チューリングのことではなく、昭和後期の日本においてもだ。
 証拠として、我が家にある『男色大鑑』を取り出してみる。1976年に出たものだが、1980年代のムードを探る手助けにはなろう。
 その序文「鑑賞のしおり」にはこうある。「近代のアブノーマルなホモとちがって、当時は一般的に衆道といい、男性的な意気地と面目を重んずる同性愛であった」。
 付録扱いの後書き「男色から衆道へ」にも「男色の起源などということは、口にする方がおかしいのかもしれない。それがアブノーマルな愛欲であるにしても、本能的な行為であるからには、文献に現れるはるか以前から存在したに相違ないからである」と書かれている。
 それにしても、よくもまあ見事にアブノーマルを連発してくれましたな。少数派を「異常」と見なす時代のあり方が窺えると同時に、かつて我が国に存在した「ヘテロセクシュアルをノーマルと呼ぶ傾向」も現れている。
 実際のところ、わたし自身も何度「君はノーマル?」と問われたかわからないぞ。

 この「アブノーマルなホモ」観をネクスト・レヴェルに到達させた戯画化が保毛尾田保毛男だと思えてならないのだ。
 お笑いバラエティなぞ知ったこっちゃないわたしがそれを知っているのは、マイケル・キートン&ジャック・ニコルソン版『バットマン』と、プリンスが歌う主題歌"Batdance"のパロディがあったからである。
 黒装束に身を包んだ保毛尾田保毛男は「ホモマン」で、曲は「ホモダンス」。嗚呼……。
 多数派による少数派揶揄に対し徹底的に寛容だった時代、それが伝わってくる。これが許されるのであれば、『ティファニーで朝食を』のユニオシだって許容せねばならないだろう。性的傾向と人種という違いはあれど、マイノリティを笑い者にすることには変わりない。

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■遅れてきたミンストレル

 「黒人のくせに、なんでフランスの香水の名前をつけてるんですか?」
 ……というのは、某歌番組でシャネルズ(現ラッツ&スター)に投げかけられた質問だという。

 その時、黒柳徹子が涙ながらに「●●人のくせに、などという発言はすべきではない」と説教したという話が美談として語り継がれているようだが……ちょっと待ってくれ。
 シャネルズはもちろん、黒人を気取って顔を黒塗りにしている日本人でしかない。見事に騙されて(?)そんな連中に対して「黒人のくせに」とぬかすアホさかげんも凄いが、黒柳徹子の説教の場違いさも物凄いぞ。
 状況が違えば確かに感動を誘う展開なのだろうが、問題は「そもそも、顔を黒塗りにして黒人を演じるという行為自体が、当の黒人が最も憎むものだ」ということだ。

 怠惰で愚鈍で狡猾、プランテーションでも歌と踊りにばかり興じている。
 それが、かつてアメリカ白人が黒人奴隷に対して抱くイメージだった。どうやったら愚鈍と狡猾が両立しうるのかは謎だが、偏狭な心は不可能を可能にするものである。
 とにかく、白人たちが顔を黒塗りして「自分たちが考える能天気ニグロ」を演じるレイシズム炸裂系演劇が、ミンストレル・ショウだ。
 それは、19世紀前半のアメリカで盛り上がり、南北戦争を境に衰え、20世紀初頭には衰退しきっていたはずだ、エンタテインメントとしては。しかし、「他人種が顔を黒く塗って黒人を演じること」はアフリカン・アメリカンの民族的記憶の中に消し去れない傷跡を残した。

 そんなアメリカ黒人の音楽に憧れた日本人たちが……よりによって、黒塗りでデビュー? それも戦前や戦中、戦後間もない時期ならともかく、1980年代にもなって。
 幸いにも、今ではシャネルズ改めラッツ&スターとしての活動はごくごく稀だ。だが、ゴスペラーズという連中と組んだ黒塗りユニット「ゴスペラッツ」としては2006年と2015年にそれぞれアルバムを出している。後者2015年には、ももいろクローバーZとの黒塗り共演も話題になった。

 おい、今は21世紀だぞ。まあ、ダウンタウンが証明してくれたように、この国は昭和と20世紀を脱しきれていない部分が多々あるから。

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 ここまで書いてきて思い出したのが、以前も引用したこのツイート。

なんか障がい者とかセクシャルマイノリティーとか…。
世界中がおかしい…。
どんな人も皆、多少の不自由の中で生きている。
「権利」には「責任」が伴うけど、「責任」は果たせているのでしょうか?

 とても昭和なマインドセットの持ち主のように思われる。
 だが、こと障害者に対しては、昭和が終わって何年か経った後の90年代にも、彼らを「人間以下」と捉えている者がいた……と小山田圭吾という人が教えてくれたことは記憶に新しい。

 そんな小山田が開閉会式の音楽制作をオファーされるあたり、やはりオリンピックは過去に想いを馳せる機会なのである。我々がそんな機会を望んだわけでないが。