丸屋九兵衛

第54回:中条きよしとポピュリズムの末路。
民主主義という名のイバラの道について

オタク的カテゴリーから学術的分野までカバーする才人にして怪人・丸屋九兵衛が、日々流れる世界中のニュースから注目トピックを取り上げ、独自の切り口で解説。人種問題から宗教、音楽、歴史学までジャンルの境界をなぎ倒し、多様化する世界を読むための補助線を引くのだ。

 演歌や昭和歌謡に特別な思い入れはない。が、そういったレコードやCD(や時にはカセットテープ)を売り続ける店は応援したいと思う。
 上野アメ横の「リズム」。
 東十条商店街で異彩を放つ「ミュージックショップ ダン」。
 赤羽スズラン通りにある「美声堂」。
 都電・早稲田駅近く、大隈通り商店会の「サウンドショップ ニッポー」、等。
 それらの店舗が支える粘り強くしぶといマーケットの中で、現在の中条きよしがナンボほどの地位にあるのか、寡聞にして知らないが。

 なんにしても、そんなマーケットを基盤に票を集めて参議院議員となった中条きよしの話だ。
 同議院・文教科学委員会における初質問で「私の新曲が9月7日に出ております。昭和の匂いのする『カサブランカ浪漫』という曲でございます。ぜひ、お聞きになりたい方はお買い上げください」、さらに「12月28日に中条きよしラストディナーショーというものをやります。今年最後のディナーショーではなく、芸能界最後のラストディナーショーです」と語り出した男である。

 翌日の謝罪コメントは、輪をかけてひどい。
「中条きよしでございます。昨日はですね、文教科学委員会で私が最後にちょっと自分のCDの話とディナーショーの話をしました。宣伝だと、全く知りませんで、自分ではそのラストディナーショーというのを芸能界最後にして、新しく来年から新しい舞台で頑張らせていただきます、というつもりで話をしたんですが、そう取られた方、本当に不適切だと大変申し訳なく思っております。これを今回、場を借りて謝罪いたします」

 ……70代半ばにして、「それが宣伝行為に当たるとは知らなかった」と言ってのけるアホに、政治家たる資格があるか?
 しょせんは歌手であり、タレントなのである。「しょせんは日本維新の会」という要素も大きい。
..............................................................
 単なる人気投票が「総選挙」と呼ばれ続けた結果、本物の選挙すら人気投票に変質。政治が荒廃しきった我が国ならではの現象……と書きかけたが、しばし待たれよ。
 そもそも政治家への投票が、単なる人気投票と本質的にどれほど違うだろうか?

 外見で人を惹きつけ、弁舌が効果的に機能し、それやこれやを含めたカリスマ性が決め手となるのは、芸能も政治もある程度までは同じ。だから有名人の政界進出は理にかなったこととも言える。口惜しいが。

 選挙が人気投票と化すのは、簡単にポピュリズムに堕落しうる民主主義特有の弱点だろう。これを改めるには人々の政治リテラシーを高めねばならない。だが、民衆の知識の乏しさと関心の低さのおかげで地位を保持している政治家たちが改革に乗り出す可能性は……。
..............................................................
 かつてはアーノルド・シュワルツェネッガーがカリフォルニアで、ジェシー・ヴェンチュラはミネソタで州知事を務めた。この両者が揃って出演していた映画『プレデター』は「州知事輩出映画」と形容されたこともある。二人とも、政治家としてもなかなか有能だったように思える。

 つい最近まで政界進出を期待され、自身も希望していたセレブリティといえばウィル・スミス。
 彼の望みは例の一件で潰えたが、それでも我々にはザ・ロックことドウェイン・ジョンソンがいる。「ロック様を大統領に」と本気で望む声は、国民の58%にも達するというのだ!
 そのアンケートそのものの信頼性が疑問ではあるが、上院か下院の議員、もしくは知事レベルなら、実現の可能性は高いのではないか。
 数年前であれば、赤(共和党支持者)が多いプロレス界出身なだけに、シュワルツェネッガーに通じる共和党の最左派的なポジションでの活躍が予想されただろう。しかし、昨今の共和党の極端な右傾化ぶりからすると、"民主党最右派"が現実的かもしれない。
..............................................................
「世界最大の民主主義国家」とはインドの別名だ。あの恐るべき映画『ザ・ホワイトタイガー』には、この文句が何度も登場した気がする。
 だが、以前に聞いた話では、ヒンドゥー神話系の映画でヴィシュヌやシヴァを演じた俳優は、政治家に転身して選挙に打って出ても票を集めやすいとか。
 有権者とは、これほどにも操りやすいものか?
..............................................................
 操りやすさに関して。

 保守党に鼓舞されて踏み切ったBREXIT以来、UKで何かいいことってありましたっけ?
..............................................................
「日本を愛する日本人」は「山本(太郎)氏は民主主義からかけ離れた人、極左です」とのたまう。

 そんなところに、"国際政治学者"を名乗る三浦瑠麗から「暴力でなければ国を変えられないと考える学者もいるようですが、そんなことはありません。自分が勝たなければ正しくないというのは民主主義の否定です。勝っても負けても命まで取られず次を目指せるからこそ政権交代が可能になる。民主主義は対抗する勢力への最低限の信頼を必要とする制度です」と諭された日には、アホらしくて「民主主義やめたろか!」という気分になる(それが狙いかもしれない)。

 人々の脳内に踊る民主主義のイメージすらも分断された2022年。
..............................................................
「試練に直面しているのは、もはや個別の政策ではない。民主主義のルールそのものだ。結果が期待通りでなかったら選挙そのものを否定してもいい、今はそんな時代だから」と語ったのはオバマだ。

 それでも――おそらくジェネレーションZのおかげか――、今回のアメリカ中間選挙では民主党が思いのほか健闘。上院での過半数を占めるに至った。バイデンは支持しないが、民主党が共和党よりマッチベターな選択肢であることは間違いないと考えるわたしとしては、「首の皮一枚でつながった」という思いだ……と書いていたら、「中間選挙としてはケネディ大統領時代以来の好成績、快挙だ!」という表現を見かけた。
..............................................................
 それを祝福するよりも、ここでは西欧諸国とアメリカがやってきたことを振り返ってみたい。

 大航海時代から彼らが世界各地に築いた植民地帝国。その多くは20世紀半ばまで続くことになる。
 彼らの帝国が撤退した後、旧植民地ではかなりの確率で独裁政権が生まれた。その独裁者たちがNATO寄りになびけば(サウジアラビアや当初のイラン)、同盟国として自陣営に半ば組み込む。政変であれ、真っ当な選挙を経たものであれ、結果として反米に転べば、軍事侵攻も辞さず。その"独裁者"から民衆を"解放"した後に、「君たちは自由だ!」デンデンと宣言して「民主主義への道を提示」し、去っていく。
 こういったアメリカ合衆国と仲間たちによる介入のおかげで、政情がさらに不安定化した例がいくつある? 一方、民主政に辿り着いた例は?

 時おり、わたしは自問する。
 そもそも、民主主義は人類に適したシステムなのか?
 あるいは、人類に民主主義が可能だろうか?
..............................................................
 統一教会のアレコレのおかげで政教分離の大切さが語られるようになったこの数ヶ月。わたしとて、少なくとも現時点の日本において、政教分離は必要な原則だと思う。
 とはいえ、今日の我々が知る政教分離、その起源は近代ヨーロッパ。あの忌むべきフランス革命の中で象られ、鍛えられたものだ。ユーラシアの片隅で生まれたローカルルールを、人類全体にとって普遍の真理のように考えていいのか? 同時期に生まれた概念「国民国家」が、世界をこれだけ苦しめているというのに。

 もちろん、政教分離の原則は現在に至るヨーロッパ社会の発展に寄与した。わたしだってそう思っている。だが、本来的に宗教と政治が不可分なはずのイスラム世界に対してそれを推奨することの是非はどうだろう。あるいは、政教分離がなされていないことを理由に彼の体制を断罪することも。
..............................................................
「部族、国民国家、人種、派閥。いつだって"我々 vs 彼ら"で考える方が簡単だし、歴史の大半で人類はそういうやり方を取ってきた。一方、民主主義はもう少し難しい。自分と意見が一致しない人とも共存していかねばならないから」
 そんなバラク・フセイン・オバマの言葉を噛み締めながら。