世の中ラボ

【第143回】
東京五輪という敗戦

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2022年3月号より転載。

 2013年9月に東京オリンピックの招致が決まって以来、この欄ではすでに三度、五輪問題を取り上げてきた。
「復興五輪」の名の下で行われた招致活動の欺瞞について(14年3月号)、新国立競技場のコンペのやり直し、エンブレムの盗用疑惑、JOCの不正献金疑惑など、続々と発覚した五輪トラブルについて(16年10月号)。大会が迫るにつれて浮上した東京の酷暑やボランティア搾取などについて(20年1月号)。
 われながら、よくもまあ飽きずに、だ。というか、正直いって、内心ではもう飽きている。ただ、この欄で話題にしたっていうことは、新しい問題が絶えず湧いてきたことの証しであり、また新刊の五輪論が絶えず出版されてきたことの証しでもある。
 何度もいうが、私は13年の招致決定当時から、東京五輪には反対だった。五輪開催中は東京以外のどこかに疎開しようかとも考えていた。だがまさか、こんな事態になろうとは。
 五輪トラブルの最後のカードは新型コロナウイルスだった。20年夏に開催予定だった大会は一年延期され、その後も再延期や中止を求める声が止まなかった。結果的に開催はされたものの(21年7月23日〜8月8日)、聖火リレーをはじめとする関連イベントは大幅に縮小され、大会自体も無観客開催となった。いささか飽きてきたとはいえ、ここまで五輪を追ってきて、その結末を見ないわけにはいかない。最新の本を読みつつ振り返ってみよう。

不祥事とトラブルにまみれた開催
 本間龍『東京五輪の大罪』は、招致決定以来、一貫して東京五輪を批判してきた著者による、いわば今回の五輪の総括本。
「ちくま」22年1月号に載った玉木正之氏による、この本の書評がおもしろかった。〈私は「東京2020オリンピック・パラリンピック大会」の開催賛成派だった。という以上に大会の招致活動にも積極的に協力した大会推進派の一人だった〉という玉木氏。一三年に〈大会の開催が決定したときには、ちょうど出演していたテレビの深夜特番で他の出演者とともに快哉を叫んだ。が、同時に喉元に小骨が刺さったような違和感を感じたことも事実だった〉。
 玉木氏の著作を愛読してきた私は、彼が東京五輪賛成派であることにじつは憤慨していたのである。だからこそ彼がこの本をどう読んだかが気になったのだが、書評は〈このときの小骨は、時間とともに驚くほど大きくなった〉と続き、最後はこう結論づけられる。
〈かつての「東京五輪推進派」〉としても、本書によって〈「平和の祭典」などと表向き呼ばれているオリンピックが、本当はそのような理想とは懸け離れた《恐ろしいほどのコストがかかるオワコン(終わったコンテンツ)》であること〉が暴かれたのは喜ぶべきことだ、と。そりゃそうなるよね。
 実際、本書が巻頭で列挙した、東京五輪にまつわる不祥事は多岐にわたる。コロナ前だけでも、ほれ、この通り。
 ①招致活動における二億円の賄賂疑惑。②安倍元首相が「福島原発はアンダーコントロール」と言明した欺瞞。③「5月の東京は温暖な気候」という嘘をついての招致。④五輪エンブレム盗作問題。⑤「コンパクト」のはずが、際限のない予算の肥大化。⑥新国立競技場建設をめぐる混乱と建設費用の増大。⑦神宮再開発による団地住民の強制退去。⑧11万人を超える無償ボランティア搾取。⑨「復興五輪」のはずが復興の妨げに。⑩選手村用地の不当廉売。⑪酷暑下の開催で選手・ボランティアに熱中症の危険性。
 そうしてここにコロナ禍による想定外の事態が加わったのだ。
 五輪の一年延期が発表されたのは20年3月24日。それまでメディアは五輪関係の広告と記事で溢れていたが、5月に入ると様相は一転、延期どころか中止の可能性すら囁かれはじめた。それは〈まるで栄耀栄華を誇った平家が、栄光の座を転がり落ち、断末魔の苦しみのなか壇ノ浦に追い詰められたかのよう〉だった。
 断末魔の関係者を追い詰めたのは、コロナウイルスだけではなかった。21年に入ると、さらに予期せぬトラブルが続いた。
 まず、五輪関係者の辞任ドミノである。
「女性が出席する会議は時間がかかる」という女性差別発言による、森喜朗大会組織委員長の辞任(2月12日)。女性タレントの容姿を侮蔑した企画案発覚による、開会式総合責任者・佐々木宏氏の辞任(3月18日)。障害のある同級生への過去の虐待が発覚したことによる、開会式音楽担当・小山田圭吾氏の辞任(開会式四日前)。ユダヤ人ホロコーストを揶揄した過去の動画発覚による、開会式演出責任者・小林賢太郎氏の解任(開会式前日)。
 いま思い出しても異常事態というほかないが、このような失態が続けざまに問題視されたのは、オリンピック憲章との関係が大きい。
 2020年に改定されたオリンピック憲章には〈このオリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会的な出身、財産、出自やその他の身分などの理由による、いかなる種類の差別も受けることなく、確実に享受されなければならない〉と明記されている。
〈それを、あろうことか組織委の会長と開閉会式の責任者たちが揃って踏みにじっていたのだから、揚げられていた高邁な理想など、ただのスローガンであったことが満天下に明らかとなった〉。
 コロナ禍への対応もひどかった。
 森前組織委会長も、橋本聖子新会長も、菅義偉首相も直前まで大会開催にこだわった。「必ず開かれる」と発言しながら、コロナ下でも安全に開かれる根拠については誰も明言しなかった。ワクチンは足りない、治療薬もない、感染拡大は止まらない。世論調査では七〜八割が「中止」か「再延期」を求め、大半の医療関係者が開催に異を唱えていたのに、決断は先延ばしにされた。
〈開催を強行すれば、大会中や大会後に感染爆発する危険性が指摘され、世界各国に東京で発生するかもしれない新たな変異種をばらまくおそれが危惧されていた。(略)だからといって五輪を中止すれば、コロナ制御に失敗して五輪まで中止に追い込まれた無能政権というレッテルを貼られ〉、夏の衆院選で大敗するのは目に見えていた。だから政権は最後まで開催にこだわったのだ。
 もとより十分なコロナ対策をした上で開催される五輪であっても、大きな矛盾を含んでいる。感染対策と五輪の理念の二律背反。〈ひたすら感染を防ぐことのみに執着し、選手同士や観客との交流を制限する五輪に、一体どんな開催意義があったというのか〉。

オリンピックは資本主義の化け物
 この五輪においては、もうひとつ看過できない問題がある。戦争協力とも翼賛体制ともいうべき、メディアの姿勢である。
 東京五輪はスポンサーの数が異常に多かった。旧来の五輪では10〜15社。しかるに東京五輪では67社。しかもそのすべてが電通の独占契約。〈「電通の、電通による、電通のためのイベント」と言っても過言ではなかった〉と本間はいう。中でも全国紙各紙(朝日、読売、毎日、産経、日経)と民放各局がスポンサーに名を連ねたのは、恥ずべき汚点というべきだろう。批判的な報道は封じられ、開催の是非を問う筆も鈍る。報道機関がこんな形で五輪に参加したケースはロンドン大会でもリオ大会でもなかった。
 結果、東京五輪はどんな結末を迎えることになったのか。
 吉見俊哉編著『検証 コロナと五輪』は巻頭で、東京五輪は〈閉幕と共に、急速に人々の関心から遠のいていった〉と述べている。パラリンピック(8月24日〜9月5日)の閉幕とほぼ同時に菅義偉首相が退陣を表明し、人々の関心は自民党総裁選に移って〈五輪の余韻が人々に残ることはなかった。「そもそも東京五輪なんてあったの?」という問いすら発したくなるほど、五輪は存在感の薄いものとなっていった〉。招致にあれほど浮かれ、数々のトラブルですったもんだし、コロナと五輪の二律背反の中で政権さえ揺るがした東京五輪の〈これが結末であった〉と。
 振り返れば、この五輪は05年、当時の石原慎太郎都知事が「お祭り一丁やろうじゃないか」といいだしたことに端を発している。それは北京五輪(08年)の準備が進んでいた中国を意識した発言で、彼が狙っていたのは「国威発揚」だった。
 16年五輪に向けた招致(09年)は失敗に終わったが、招致活動は東日本大震災後の11年に再浮上し、そこで発明されたのが「復興五輪」という方便だった。背景にあるのは、〈二〇世紀日本の開発主義を貫いてきた「お祭り」型の復興ドクトリン〉だと吉見はいう。関東大震災からの復興を期した1940年東京五輪(後に開催権返上)もそう、戦後復興を謳った64年東京五輪もそうだった。しかし、いまやメッキはすっかり剥がれた。
 国際的に見ても、五輪はすでにオワコンだと考える人たちは少なくない。ジュールズ・ボイコフ『オリンピック 反対する側の論理』は〈今日のオリンピックは資本主義の化け物だ〉と断じている。膨大な費用、環境破壊、都市開発による住民の追い出し。反五輪運動は国境をこえて広がり、24年のパリ大会、28年のロス大会に対しても現地では大規模な反対運動が起きているという。反五輪は「サーカスよりパン」、公正を求める運動なのだ。
 本間龍は今回の五輪の開催は太平洋戦争の敗北(1945年)、福島第一原発の事故(2011年)に続く「三度目の敗戦」だと述べている。理念が消滅した中で強行開催された五輪が残した負債は〈可視化できるものから精神的なものまで、多岐にわたる〉。
 13年の招致から21年の大会開催まで都合八年。奇しくもそれは日本が日中戦争に突入(1937年)してから敗戦を迎えるまでの時間に相当する。この八年で何を失ったのか。それがはっきりするのはこれからだろう。私たちは焼け跡に立っているのだ。

【この記事で紹介された本】

『東京五輪の大罪――政府・電通・メディア・IOC』
本間龍、ちくま新書、2021年、902円(税込)

 

〈ウソと借金まみれの祭典の真実〉(帯より)。大会の一年延期が決まった20年3月から、コロナ下で大会が開催された21年7月までの期間を中心に、関係機関の迷走ぶりと五輪が残した負の遺産を徹底検証。延期にともなう追加経費は三〇〇〇億円。無観客試合で取り損なったチケット代金は九〇〇億円。全体の経費は三兆円以上! 東京五輪の問題点はほぼ網羅され、資料性も高い。

『検証 コロナと五輪――変われぬ日本の失敗連鎖』
吉見俊哉編著、河出新書、2021年、968円(税込)

 

〈なんのための五輪? いったい何だったのか、あの日々は――?〉(帯より)。今回の五輪をメディアはどう報じたか。「復興五輪」が「コロナに撃ち勝った証としての五輪」に変わるまでには何があったのか。報道記事を中心に、主として五輪の語られ方を検証。スポンサー契約で手足を縛られた大手新聞より「週刊文春」ほかの雑誌やネットニュースが力を発揮したなどの分析がおもしろい。

『オリンピック 反対する側の論理――東京・パリ・ロスをつなぐ世界の反対運動』
ジュールズ・ボイコフ/井谷聡子他監訳、作品社、2021年、2970円(税込)

 

〈すでにオリンピックは歴史的役割を終えた――『NYタイムズ』紙〉(帯より)。著者は元サッカー五輪選手。五輪招致運動の衰退(招致に積極的な都市は減る一方)、五輪反対運動の歴史と現在、28年のロス大会に反対する「ノーリンピックスLA」の闘いぶりなど、世界に広がる反五輪運動をレポート(19年には福島も視察している)。運動の予想外の広がりと奥行きにやや驚く。

PR誌ちくま2022年3月号

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