キッドのもと

『キッドのもと』増刊号

『キッドのもと』文庫化記念 浅草キッドトークイベントより

8月11日に『キッドのもと』文庫化を記念して、八重洲ブックセンター本店にて浅草キッドのトーク&サイン会が行われました。キッドの二人が揃う貴重な機会ということでチケットは早々に完売、満員御礼でむかえた当日は、その熱気に応えるかのように浅草キッドらしい危険な芸能界トークが連発され会場は終始大爆笑に包まれました。今回は特別にイベントで披露された話の中から『キッドのもと』には書かれていない、コンビ結成前のエピソードの一部をお届けします!

芸名秘話と博士の異常なファッション

 

――二人がはじめてお会いした瞬間というのは、オールナイトの出待ちのときですか?

水道橋 弟子志願の出待ちのときに、僕は一方的に赤江君(玉袋)のことを知っていたんです。言わば、超高校級デビューですから。追っかけの高校生として番組の中でも話に出ていたし、芸名もすでについていたんですよ。
玉袋 高校二年のとき、殿に名前と顔を覚えてもらうために仲間と作戦を立ててね。「たけしさん、芸名をつけてください」って。そのとき、もらった芸名が鬼怒川マッサージ。友達が本州力ね、もうひとりが熱海パンマ(笑)。
水道橋 それで「鬼怒川マッサージだと放送に出られないと思うんです」って言って、新しくついた名前が「えーへえ、さいく」。
玉袋 「えーへえ、さいく」は業界用語でいうと「屁が臭い」ってことだからね。だけど「えーへえ、さいく」ならまだよかったですよ。あのとき、横にいたタカさん(ガダルカナル・タカ)が「そーくめなお」って言ったんだよ!
水道橋 あったあった! そーくめなお。だけど『キッドのもと』に出てきますが、玉袋筋太郎っていう名前も三択ですからね。
玉袋 うらやましいよ「水道橋博士」が。
水道橋 僕の場合、最初から芸名がついてましたから。たのきんトリオの番組に水道橋博士っていうキャラクターがいたんですよ。
玉袋 あー、そうなんだ。
水道橋 それで、ある日「たけし城」の収録で走ってたら殿が「出ました、水道橋博士」って言って。「俺、もう芸名ついてるんだ」って、そこで分かって。
玉袋 確かに博士っぽかったもんね。
水道橋 あの頃、いとうせいこうさんチックなべっ甲の黄色い眼鏡をかけていて、いわゆる『ひょっこりひょうたん島』に出てくる、背の低い、眼鏡をかけたハカセのイメージなんですよ。
玉袋 そうそうそう(笑)

――「風雲たけし城」に出るようになって、交流が生まれたんですか?

水道橋 いや、その前に知り合ってます。
玉袋 俺、高校時代から博士の家に行ってるもん。
水道橋 一緒にバイトもしてますからね。一緒にワイシャツの採寸までやってるんですよ。
玉袋 博士は5歳上だからお兄ちゃんで一人暮らしもしていて、実家暮らしの俺にはうらやましくてね。
水道橋 その前に、俺のいでたちにすごく驚いたって話あったでしょ。
玉袋 驚いたよ! こんなダサい人が東京にいるんだって。(場内爆笑)
水道橋 上京してきたときDCブランドブームで「俺はなんてダサいんだろう」って思って。明治大学だと、明大中野とかから来てるヤツがまたすごいオシャレなんですよ。それを「けっ」と思ってたんだけど、少しはオシャレをしたいと思ってパルコのバーゲンに行ったんです。
玉袋 あの格好でパルコ入って大丈夫だったんですか(笑)
水道橋 そこでDCブランドを買って全部着込んだんですよ。で、鏡で自分の姿を見たときに、その無理をした……。
玉袋 頑張っちゃったんだ(笑)
水道橋 頑張った自分の姿を見て、そのまま着ていた服を捨てたんですよ。
玉袋 世捨て人みたいな格好してたもんね。
水道橋 ジーパンもあえてオタクが穿くようなものを穿いて、靴下もお母さんが買ってくれたような、アーノルド・パーマーのものすごく長いものを履いてた。
玉袋 アーノルド・パーマー、今はいいけどね。当時は恥ずかしかった。
水道橋 イキってる感じがすごく嫌だったんで、あえてそういう格好をしてました。だから、赤江君が僕をはじめて見たとき「この人、田舎者でも若者でもない。何なんだろう!?」って驚いたと思う。
玉袋 俺、博士のこと30歳くらいだと思ったもん。
水道橋 もっと上だって言ってたよ。70歳くらいのおじいさんだって。
玉袋 (笑)70歳はないけどね。

伝説のフランス座へ

 

――フランス座のエピソードを教えてください。

水道橋 当時、弟子志願の人たちは「たけし城」の収録に兵隊として来てもいいことになっていて7、8人いたんですけど、俺たちは「たけし城」に行くのも嫌だったんです。
玉袋 うんうん。
水道橋 芸もないし、本当はたけしさんになりたいわけだから「俺はフランス座に行きたい、たけしさんの人生をなぞりたいんだ」って言ってた。
玉袋 言ってたねー。
水道橋 そこから、ドリフターズのボウヤ理論ですよ(『キッドのもと』の「フランス留学」参照)。
玉袋 博士のオルグが始まりましてね。だんだん、俺も博士についていこうなんて思っちゃって。

――やっぱり漫才だっていうのがあったんですか?

水道橋 いや、それはなかったです。自分たちは何もできないと思っていたから。そのときはまだコンビすら組んでないですからね。話はよくしてたけど。
玉袋 たけし城のプレハブで「フランス座に空きができたから、誰か行きたいヤツいないか」って言われて、「待ってました! 小野さん(水道橋)」って二人で手をあげたら、ほかのヤツも全員手をあげてたんだよ。
水道橋 ダチョウ倶楽部システムです。
玉袋 それでみんなで行ったはいいけど、フランス座の岡山社長がケチな人で「一人でよかった」なんて言ってたんだよ。一人でよかったところにみんなで行っちゃったから嫌な顔してるわけ。お金払わなきゃいけないから。
水道橋 すでに小屋住みの、たけし軍団と関係のない芸人さんもたくさんいるんですよ
玉袋
 今でこそ浅草は凄いけど、俺と博士が行ったときはひどいもんだったよね。
水道橋 まあね。踊り子さんってのも本当に皆50歳以上でしたから。
玉袋 そう、だから高校の友達に「いいな、お前ストリップの照明なんて」って言われたんだけど「バカヤロー、俺のババアより年上だぜ」なんて返して。光を当ててたって踊らないんだから。
水道橋 「照明の位置が違う」って怒られてたら、なんのことはない、踊り子さんが行き倒れてた。
玉袋 杉エリカさんっていう踊れる人がいてさあ、オープン曲のときに頭を連獅子みたいに回して凄いんだけど、そのとき何かが飛んだんだよ。バッて照明を当てたら入れ歯だった。(場内爆笑)
水道橋 楽屋でジュウシマツを飼っていて、踊り子さんがすごく可愛がっていたから「みんな動物が好きなんだなー」って思ってたんですよ。そしたら何日目かにそのジュウシマツが踊り子さんの股間から飛び立っていったことがありました。
玉袋 すごいよね、平和の象徴だよ。
水道橋 いわゆる花電車っていう芸なんだけど。
玉袋 自転車引っ張ったり、すごかったよね。
水道橋 何がすごかったって、お客さんから千円札をもらって、アソコにねじ込めたら百円玉十枚出てくるっていう芸があった。(場内爆笑)

フランス座の岡山社長

玉袋 でも、あのときは本当に食えなかったね、一日千円しかもらえないんだから。
水道橋 たけしさんが17年前に修行したのと、給料がまったく変わらないんですよ。しかも小屋で8時間労働したあとに「スナック フランス座」の手伝いもあった。玉袋のいいところは、ガンガンお客のボトルを飲むから売り上げが上がるんですよ。
玉袋 「あのリザーブ空けに行け」って言われて「はい!」って。エライなー、俺。
水道橋 さらに、ほかの面々と比べて俺と赤江君はすごくトークが持つんですよ。
玉袋 座持ちがいいんだよな。
水道橋 座持ちがいいから、ずーっと「今日は赤江、小野」って、俺と赤江君だけ働いている。それで千円しかもらえないのはあまりにも理不尽だったから、俺が香盤表っていうのを作って、月曜日から土曜日まで皆が割り当てできるような表を貼りだしたんですよ、そしたら玉袋が社長室に呼ばれて……。
玉袋 「いいか赤江、小野ってのはな、この小屋の転覆を図っている男だ」(声真似をしながら。場内爆笑)
水道橋 それだけじゃなくて「あいつはアカなんです」って。アカ呼ばわりですよ(笑)そのころでも共産党をアカって言わないですよ。「あの不満分子をなんとか追い出すんです」とか言われて。玉袋は仕事ができるから岡山派なわけですよ。『仁義なき戦い』で例えるとわかりやすいんですが、社長は山守なんです。で、赤江君は山守に「お前はよくできる」って可愛がられてる役。で、そのときは金がないので銭湯なんて行けなかったから、社長に銭湯に連れて行ってもらえるとすごい嬉しかったんです。
玉袋 銭湯と上野のサウナな。毎日、俺は社長に銭湯に連れて行かれて、社長の背中流しながら「とにかくあの小野ってのを追い出さなきゃだめだ」って言うのを聞いて、「そうですか、社長」って答えたりして。で、銭湯で岡山節が出てくるわけだよ。
水道橋 そうそう。
玉袋 社長はフランス座で、ツービートのときのうちの師匠と同期なんだよ。うちの師匠は売れて、岡山社長は売れ残ったわけ。それでフランス座の社長をやってたから、俺が背中を流しているときにツービートが売れたときの恨み節を言うわけ。「赤江、あれな、たけしは売れたな」「そうすねー」「俺はつらかったんだお前、秋葉原行くだろ。テレビ売り場行くとなぁ、テレビが全部たけしなんだよ。それを俺はひとつひとつ消していったんだ」(場内爆笑)
「そうですか社長、辛かったですね」とか言って泣いちゃったりして。だんだん洗脳されちゃってさ。それをまた博士に報告したりね、いろいろやってたよ。
水道橋 フランス座時代の俺って異常で、香盤から何からすべて起こったことを日記に書いてるんです。それで、こういう話が残ってるんですよ。
玉袋 本当ひどかったよ。だってさ、80何キロあった体重が3か月で30キロ落ちちゃうんだもんね。あんなライザップないよ、本当に。まったく結果にコミットしてなかったけどね。
水道橋 楽屋で雑魚寝してるじゃないですか。僕、すごく皮膚が強いんですよ。布団を洗ってないようなところで寝ても、ぜんぜん平気なんだけど、赤江君がまた皮膚が弱いんです。
玉袋 今考えると、抵抗力もなかったんだって思うよね。それでダニに食われて大変なことになっちゃって。
水道橋 疥癬になっちゃった。
玉袋 かさぶただらけになっちゃって。
水道橋 「浅草のエレファントマン」って呼ばれてた。
玉袋 エレファントマンかハエ男かってね。
水道橋 『ザ・フライ』がちょうどやってたからね。
玉袋 皮膚病にかかって本当に自殺考えたからね。あんまり恥ずかしくってさ。で、実家帰って、風呂入るとき鏡で見たら、体がガリガリで、さらにかさぶただらけでってなったら、もうおふくろが泣きながら土下座して「もう、やめて帰ってこい」って言われちゃって。その後、大久保病院の皮膚科に行ったら、先生が俺の皮膚を削って顕微鏡で見て「おお、すごい! 疥癬が人に伝染するのは戦後以来だな、いまどき野良犬もかからない。頼むから図鑑に載せてくれ」って言われて。それでね、素っ裸にされてキンカンの原液を刷毛で塗られてさ、看護婦さんにうちわでパタパタ仰がれてたんだけど、これがすごい染みるんだよ。キンカンのプールで泳いでるって思ってごらんなさいよ。それ3日間やられてね。今までで痛かったエピソード1位じゃないかな。
水道橋 『キッドのもと』の中で良い部分っていうのが、フランス座の終わりのところで。この本はお互いが別々に書いてるから、相手が何をどう書いてるかってわからないんですよ。最後の場面、俺はこの話を書けないなと思って避けてたんです。それを玉袋が書いてるんですよ。
玉袋 太田さんの話ね。
水道橋 僕的には、そこがいいんですよ。「あ、俺はこれ書けなかった」っていう部分なんです。その人がどういう人で、どのように英雄だったかというところを読んでいただければと思います。

――最後にたけしさんのお話を聞かせてください。

玉袋 軍団の兄さんもいてアレなんだけど、浅草キッドが社長になって殿にごちそうする「社長会」やれるのがいちばん幸せだな。
水道橋 毎年、たけしさんが乗っかってくれてね。「社長、ちょっといただきます」とか言いながら、一本十万円以上のワインを飲むんです。毎回、百万づつもっていきますからね。
玉袋 あれが一番幸せだね。あと、やっぱり師匠がいないと、こんな人前で話すこともできないし、こんな衣装なんて着れないし、家族も育てることができなかったと思ってるんで。
水道橋 『キッドのもと』の中にも出てくるんですけど、俺たち自身が立ち行かないとき、例えばひたすらフルボウヤで漫才を練習する時間すらないときに直訴をしたら「キッドは解放しろ」って軍団に言ってくれて漫才ができる環境になる。それはやっぱりたけしさんですよ。親分が言ってくれない限り、永遠に卒業しない高3、中3がいるわけですから。それをどうやって戦い抜くかって話でもありますし。
玉袋 PLの野球部より厳しかったもんね。まあ、それをひっくり返すために「やっぱり浅草キッドは漫才をやる」っていう原動力になったね。
水道橋 いま、師匠と兄弟子がいて、という環境でお笑いやってる人っていないと思うんですよ。そういうのって、吉本のNSCのあるシステムとは違うから。うちは師匠がいて、兄弟子がいて。だから、学校の中のスクールカースト的な関係とはまったく違うんですよ。

 (2016.08.11 八重洲ブックセンター本店にて/司会・テリー植田)

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