PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

うすぼんやりとした味方
昔、一緒に暮らした人たち・2

PR誌「ちくま」12月号より古谷田奈月さんのエッセイを掲載します

 小学生の頃、兄と私は、毎晩のように口論を繰り広げる両親の醜態を観戦者の立場で楽しんでいた。親父はカッとなりすぎる、お母さんは無駄に煽るのがまずい、と子ども部屋まで届いてくる舌戦にコメントをつけては笑った。たいていは、『ストⅡ』などをやりながらの噂話だった。
 今も昔も、兄妹仲はあっさりしている。しかしこの、身内の問題を他人事のように眺める感性だけは、昔から共有していた。繋がりはあるけれども、本質的には関わりのないもの。ただそこに、うすぼんやりと存在するもの。私と兄は両親のことも、そしてお互いのこともそうとらえていた。
 もっとも、私は両親の不仲を心配できないことに劣等感をおぼえたこともあった。というのは、漫画やテレビドラマでは、仲の悪い親を持つ子どもはたいていひどく傷付いていたからだ。しかし兄は傷付くという選択肢など思い浮かべたことさえない様子だったので、私もすぐに安心して、離婚したらどのように両親を分配するかという話と、竜巻旋風脚のコマンド入力はどうやるのかという話を同列に扱う、明るく薄情な子どもになることができたのだった。
 成長するにつれ兄との会話は減り、大学に入った頃にはほぼなくなったが、それは私たちのあいだから『ストⅡ』のようなものが消えたためでもあったし、私が家族全員と距離を取り始めたためでもあった。その頃の私は、自分以外の誰かがいる場所に帰ることに強い抵抗を感じるようになっていた。毎晩遅くまで出歩き、あるいは深夜になって家を抜け出し、近くの公園で煙草ばかり吸っていた。
 大学卒業と同時に一人暮らしに踏み切ったが、意外にも、母が反対した。遠くに就職するわけでもないのにそんな必要がどこにある、と言い出したのだ。これまで放任気味だった母がいきなり親の顔になったことに驚き、裏切られたようにも感じて、私は言葉を失った。一人になる、というのは当時の私にとって生きることを意味していたが、それを母にわかるように説明できる自信がなかった。そうして一瞬、完全に絶望したときに兄が、珍しく苛立ちの滲んだ声で言った。「こいつは家から出さなきゃだめだ。そういう生き物なんだよ、見りゃわかるだろう」
 何年ものあいだろくに話もしていなかった兄が当然のように私の生態を見抜いたことに、私はさらに驚いた。しかしすぐ、子ども部屋の文化と、その頃から冷徹だった兄の眼差しを思い出し、自分は今確実に兄に救われたが、兄は私を救ったのではない、真実を尊んだだけだと理解した。
 温和な兄に噛み付かれて驚いた母は、もう二度と私の決断に口を出さなかった。そうしてようやく手に入れた自分だけの部屋で、時折、私は幸運に感謝した。兄の容赦ない公正さが、結果的にいつも私に味方するという現実に感謝した。
 今、兄とは同じ市内に住んでいるが、年に一度も会わない。会いたいとも思わない。ただ生存の気配だけうすぼんやりと感じられれば、私には十分に心強い。
 

PR誌「ちくま」12月号