二百ページに満たない薄いヴォリュームのなかに沢山のことが詰まった本である。近代大衆俳句の起点は明治の子規ではなく江戸後期の一茶のうちにすでにあるとする刺激的な史的展望がある。それが子規、虚子を経て加藤楸邨、飯田龍太に至っていかなる困難に逢着したかという鋭い問題提起がある。立原道造や大岡信によるソネット形式の詩に『新古今集』の語法がいかなる影響を及ぼしているかをめぐる斬新な考察がある。その『新古今集』が『古今集』の地平から、すなわち中世が王朝から離脱することを可能ならしめた契機を禅の思想に求めたうえで、そこに不意にシュルレアリスムの自動記述の問題を重ね合わせるというスリリングな視点の提示がある。
長谷川櫂の奔放な思考は詩的直観の論理に導かれて飛躍に飛躍を重ねるが、しかしそうしたすべてを貫いて、本書の記述が絶えず立ち返りつづける求心的な一命題がある。詩歌の創造の現場で、歌人は、俳人は、詩人は必ず主体の閉域から逸脱する、というのがそれである。
それがもっとも鮮烈に表われるのは連句の場合だろう。芭蕉によって美的に完成された歌仙の形式を借りて、長谷川氏自身、岡野弘彦、三浦雅士とともに連俳を試みているが、その実例をつぶさに紹介しながら彼が示すのは、句から句へのダイナミックな運動が実現するには歌仙の連衆が「句を付けるたびに自分を離れ、自分ではない別の主体になる」ことが必要だという点である。それによって生じる「間」がなければ句と句は「付きすぎ」て、詩趣はたちまち停滞してしまうからだ。しかし、これは実は集団制作の芸術としての連句にかぎったことではない。単独の作者による詩歌の作品もまたことごとく、自分がもう一人の自分になることによって可能となる、とまで断言するところに長谷川氏の主張の眼目がある。
たとえば俳句の切れ字とは何か。それは「間」の装置にほかならない。芭蕉はまず、「蛙飛こむ水のおと」と詠んだのだろうと長谷川氏は想像する(支考の証言に基づく)。そのうえで、それにふさわしい上五は何がいいかと案じる過程が来る。何秒か何分かの「間」があり、「空白の放心状態」のただなか、芭蕉は自分が自分でなくなる場所に遊ぶ。そのとき「現実の芭蕉から心の世界の芭蕉へ、主体が入れ替わ」り、そしてふと浮かび上がってきたものが「古池や」の五音だった。この放心ないし遊心の「間」を表象し、読者に追体験させてくれるものが「や」という切れ字なのである。
ところが、この「切れ」と「間」は一句中にあるばかりでなく、実は句の前にも後にもあり、詩の生成の必須の要件をなす。「心が自分の体を離れて空白の時空に遊ぶ」この境地を長谷川氏は「魂抜け」と呼び、それをまた「ぽーっとする」というきわめて卑近な擬態語で言い換える。その背景には、たとえば詩人肌の民俗学者・国文学者であった折口信夫が「どこで行き斃れてもよい旅人ですら、妙に、遠い海と空とのあはひの色濃い一線を見つめて、ほうとすることがある」(「ほうとする話」)と表現した静謐な旅愁の反響がある。
放心する。それは何ものかに縛られていた心を解き放つことだ。では、何が心をそれまで拘束していたのか。日々の生計をめぐる様々な思案、言葉と言葉の決まりきった慣習的な連結、因果関係に支配された合理主義的な論理連関、等々であろう。それらすべてから「切れ」て、心が無我の時空に「ぽーっと」遊ぶとき、どこからとも知れず不意に湧出するもの、それが歌であり俳であり詩なのである。
この命題が俳人長谷川櫂にとってことさら重要なのは、子規による「写生」、それをさらに先鋭化した虚子による「客観写生」という、近代俳句を決定的に方向づけた方法の提唱に、この放心の境地を忘れさせてしまう弊があったからだ。眼前の事象をじっと凝視しそれを客観的に写しとる。そこには心が遊ぶ空白の「間」が介在する余地はなく、結果として「ガラクタ俳句」が量産されたとさえ長谷川氏は極言する。俳句における創造的な詩心の在り処をひたむきに指し示し、今日の「俳句大衆」を真摯に啓蒙しようとする、きわめて有益な警醒の書としてわたしは本書を読んだ。
PR誌『ちくま』2018年4月号より、詩人であり作家でもある松浦寿輝氏による長谷川櫂『俳句の誕生』の書評を転載します。