ちくま文庫

外国語に対する熱い愛が止まらない!!!!

見開き2頁で100の外国語について綴ったエッセイ集『世界のことばアイウエオ』(黒田龍之助著)。解説は外国語への愛情あふれる高野秀行さんに書いていただきました。言葉への惜しみない愛情を描いた解説を公開しますので、ぜひご覧くださいませ。

 本書の「目次」を見た途端、頭と体がカーッと熱くなった。
 アムハラ語、アラビア語、アルバニア語、インドネシア語、ウォロフ語、ウルドゥー語……。ア行だけでも、私がこれまでに出会った言語が六つもある。もちろん、その後も、わりと熱心に学んだ言語から、現地に行ったときに片言を習っただけの言語まで、次々と登場する。夢中で本文を読み始め、気づいたら半分ほど一気読みしていた。懐メロのように、過去に出会った言語とそれにまつわる記憶が甘く切なくぐるぐる回っていた─。
 (以下、本書に登場する言語には目次の番号が振ってあります)
 私は、黒田さんのレベルには到底及ばないものの、同じように、言語をむちゃくちゃに愛する者である。しかも黒田さん同様、「小さな」言語を偏愛している。でも、黒田さんが十代の頃から純粋に知的好奇心から言語へ深い関心を寄せていたのとは対照的に、私のマイナー言語学習は純粋に功利的な動機から始まった。ありがたいことにその経緯は「96 リンガラ語」のページに紹介していただいているので読者はそこを読んでいただきたい。要は大学時代、アフリカのコンゴへ探検部の部員たちと遠征したとき、現地の言葉(それがリンガラ語)を話せれば、コンゴの人たちと仲良くなれるんじゃないかと思ったのだ。
 私の直感は当たった。仲良くなれるどころか、私たちがリンガラ語をちょっとでも喋るとバカ受け。「おい、こいつら、リンガラをしゃべるぜ!」と、まるで口をきくパンダのような扱いで、道端でも人だかりができるほどだった。地味な人生を歩んできた私に突然スポットライトがあたり、何か途轍もない感動をおぼえた。
 私にとっての「言語ビッグバン」である。
 以後、取材や旅に役立つからだけでなく、言語自体の魅力に取り憑かれてしまった。例えば、リンガラ語の場合、現コンゴ共和国と現コンゴ民主共和国(旧ザイール)の両方で共通語となっているのだが、二国間で方言差がある。例えば、「4 アゼルバイジャン語」で紹介されているエピソードとそっくりのことをコンゴ人が言う。「ザイール人のリンガラを最初聞いたときはびっくりしたよ。『木から下りる』っていうとき、『木から落ちる』っていうんだから」
 すごく面白いし、こういうネタを仕入れておくと、次からコンゴ人相手に「ザイール人のリンガラは笑っちゃうよね」なんて話して受けをとれる。旧ザイールの方が経済的にも文化的にも上だったので、格下に扱われがちなコンゴ人はこういうところで鬱憤を晴らしていたのだ。
 いっぽう、これ以降、現地のマイナー言語を話すがゆえのデメリットも味わった。なめられるし、騙される。なにしろ相手は母語なのに対し、こっちは幼児のような言語力。自動的に関係までが大人と子供のようになってしまう。また、現地語で話していたらいつの間にか私がみんなに酒やなんかをおごるはめになっていたとか、料金が五千シリングから五万シリングに微妙に変化していたなどという怪奇現象が起きた。
 「65 ハウサ語」の頁で、ハウサ語テキストの著者が「[ハウサ語習得の利点]全くありません」と自虐的に語っているのに同感してしまう。アフリカではこの傾向が強いようで、私はソマリランドやソマリアでソマリ語を喋って何度痛い目にあったかわからない(ちなみに、私は一昨年、ナイジェリアのハウサの村を訪れたとき、「おいしい」とか「これでおしまい」などといった言葉をその場で習って喋ったら和やかな雰囲気になった。その程度なら利点はあるようだ)。
 でも、いったん言語の魅力にとりつかれると、そこから離れるのは不可能。次第に、次の旅(取材)でどんな言語を習うのかがこの上ない楽しみにもなってきた。これまで味わった最大級の言語的悲喜劇は、今から十数年前、インドでの謎の怪魚探しにおいて生じた。インド東部のオリッサ州の海辺で漁師が謎の巨大魚を捕まえて食べているという目撃報告を受け、探しに行こうとした。もしかしたら、その魚はシーラカンスにも匹敵する未知の魚である可能性があった。というか、私はそう信じていた。
 探索にはコミュニケーションが必須だ。インドでは英語が通じるとされているが、それは外国人が出入りする場所や知識層の人たちの間だけで、どうやら英語を話す人はインド全人口の一割にも満たないらしい。英語のインド映画がいくらもないことからもそれは察せられる。
 したがって現地の言葉を習わねばいけないが、それが何種類もあるのである。まず「74 ヒンディー語」。ボリウッド映画のおかげで、現在インド人のみならず南アジア全体で八億人が共通語として使用していると言われるが、黒田さんがおっしゃるとおり、そんな統計は全く当てにならない。オリッサ州の田舎の庶民までそれを解すかどうかは未知数だ。
 次の候補はオリッサ州の公用語であるオリヤー語。これならオリッサ州のほとんどの人が理解するらしい。だが、問題なのは肝心の漁師。彼らは隣りのアンドラプラデーシュ州から越境してきた人々で、母語は「 57 テルグ語」だという。
どれにしようかと悩んでいるときが語学マニアにとって至福である。結局、上野に住んでいるオリッサ出身のインド人ビジネスマンを見つけて訊いてみたら、「オリヤー語がいちばん通じるだろう」とのことなので、彼に三カ月ほど集中特訓レッスンを受けた。「その魚はどこで見ましたか?」とか「その魚はどこでよく捕れますか?」とか「魚を見つけたらすぐ私に教えて下さい」といったような、怪魚探しに特化したオリヤー語の会話例文を作って覚えたのである。準備は─―少なくとも言語的には─万端だった。
 しかし結果は悲惨というかコメディーというか。私はかつて、やむを得ない事情で、ビザなしでインドに入国して強制送還されたことがあった。その記録がコルカタの空港イミグレーションに残っており、入国を拒否されたのだ。空港内で五日間拘束されたが、この間、空港職員や警察の係官にオリヤー語で自分の入国の目的(怪魚探し)を説明すると、意外にもけっこう理解された。コルカタの人たちの母語は「85 ベンガル語」で、オリヤー語と想像以上に近かったのだ。こんなところでオリヤー語が通じても全く意味がなかったのだが。
 悲しいことにまたもや強制送還。執念深い私は、今度はオリッサ州以外も探索範囲に広げるべく、「74 ヒンディー語」を学習して捲土重来を期したが、結局二度とインドに行けることはなかった。完全にブラックリスト入りしてしまったのだ。
 ヒンディー語、けっこう頑張ったのに無念!─と思っていたら、つい二年前、パキスタンで使う機会に恵まれた。本書で紹介されているように、パキスタンの公用語である「19ウルドゥー語」とヒンディー語は同じ言語と呼んでも差し支えない関係だ。ただ、文字が決定的にちがう。私はヒンディー語を「36 サンスクリット語」由来のデーヴァナーガリー文字で習っている。ところがウルドゥー語はアラビア文字だ。
 黒田さんは「7 アラビア語」で、「アラビア語は秀才の言語」と妙に恐れているが(こういうところが黒田さんに親しみをもてるところだ)、私がアラビア語でいちばん厄介だと思うのは、文字を右から左に書くとか、発音とかではなく、文字に子音しか表せないことだ。語頭と長母音だけは表記されるが、語頭以外の短母音は一切表記がない。したがって「彼は書いた(カタバ)」と「三冊以上の本(クトゥブ)」が同じ表記になるなんて有り得ないことが起きる。毎回、前後の文脈から、どの単語(音)なのか探っていくしかないのだ。
 さらにアラビア文字を導入した全ての言語にこの問題まで一緒に導入されているの
が遺憾すぎる。ウルドゥー語の他、「67 パシュトー語」や「83 ペルシア語」もそうだ。かつてはソマリ語や「61 トルコ語」もアラビア文字表記だったが、二十世紀になって、どちらも近代化のかけ声のもとにラテン文字に替えられた。イスラム法学者などから大反対を浴びたものの、結果として両言語とも識字率が飛躍的にあがったそうだ。母音、やっぱり表記した方がみんなのためなのだ。ウルドゥー語やパシュトー語もラテン文字にしたら学習者数が飛躍的にあがる……なんてことはないか。
 ともかく、私はウルドゥー語とヒンディー語両方の単語帳をもっていき、二つ対照しながら単語を調べるというか思い出そうとしたのだが、さすがに無理だった。そもそも、そのときはウルドゥー語に格別興味がなかった。パキスタンへ行ったのは、ブルシャスキー語をかじるためだった。取材ではなく純粋に趣味である。
 ブルシャスキー語は言語学者や言語好きの間では知られた存在だ。ユーラシア大陸で数少ない「孤立言語」なのだ。孤立言語とはインド=ヨーロッパ語族とか、チベット=ビルマ語族といった言語系統との関係が不明な言語のことで、ユーラシア大陸では他に「68 バスク語」や、「32 グルジア語」が含まれるコーカサス諸語が有名だ。
 私はバスク語については『バスク語のしくみ』(白水社)を読んでその独特な文法構造に大いに興奮させられた。私が知っている言語とは全くちがう。それでブルシャスキー語もどんな言語なのか自分で確かめたいと思ったのだ。
 特に関心があったのは、本書でも再三登場する能格。この能格ってやつを自分でしゃべってみたかった。まったく不思議なことに、バスク語、コーカサス諸語、そしてブルシャスキー語は他の文法構造や基礎語彙はまるで異なるにもかかわらず、能格があるという一点で共通しているのだ。能格を「辺境言語の特徴」とまで言う人もおり、マイナー言語偏愛者にして辺境作家を自称する私がそそられないわけがない。面白いことに、パシュトー語やヒンディー語・ウルドゥー語にも能格があらわれるが過去形においてだけである。全ての時制で能格が出現するのはこの三つの言語(グループ)にかぎられるらしい。
 さて、実際にパキスタン北部のフンザという場所に行って、三週間ほどブルシャスキー語をかじってみた。トレッキングをしながら、ガイドやポーターに例文を聞きまくって文法を解析しようとしたのだ。あまりに困難かつ無意味な作業で、「言語学者でもないのに俺は一体何をやってるのか」と眠れない晩もあった。
 いまだにこの話を全く書いていない。どう書いたらいいのかわからないのだ。言語の話は書くのがすごく難しい。文法や発音を詳しく説明したところで、ブルシャスキー語や言語学を知らない人(つまりほとんどの読者)には付いてこられない。
そう思って放置していたのだが、今回、本書を読み、気づいた。
 「そうか、黒田さん方式でやればいいのか」
 私は黒田さんのエッセイが好きで、これまで十冊ぐらい読んでいる。思い返せば、それらも黒田さんならではの書き方がされていた。黒田さんはプロの言語学者だが、エッセイを書くときは文法や音声のことなど詳しく書かない。もちろん多少は書いているが、あくまで舞台背景である。では何を書いているのかというと、「気持ち」を書いている。私たち一般人と同じ立ち位置での気持ち。本書でもそうだ。
 泥酔して記憶を失っていてもロシア語が流暢に話せたときの嬉しさ、奥さんのために韓国語でトイレはどこ? と訊いてちゃんと答えを得たのにそれが男性用トイレだったときのトホホ感、うまく喋ったつもりが動詞の活用を間違えていたと後で気づいたときの悔しさ、そして「カンボジア語」をはじめ、世間では「小さな」言語と軽く見られている言語に対する熱い応援の気持ち。そういう些細にしてリアルな気持ちが、同じように言語に苦しみながら言語を愛する人たちに共感と励ましを与えてくれるのだ。
 私もブルシャスキー語を学んだときの気持ちを書いてみようか。でもちょっとは文
法にも触れたい。特に能格。
 誰かに共感してもらえるかどうか不明だけど、熱い気持ちだけは伝えたいと思うの
である。