梯さんとは、何度かお会いしている。
たいていは、小説家の楊逸(ヤンイー)さんがいっしょで、親しい編集者さんもともに、気楽にご飯を食べることになる。旅の思い出から家族の状況、世界情勢から資産運用の方法まで、マシンガントークを繰り広げて笑いの渦に巻き込むのは楊逸さんで、それらに絶妙のタイミングで相槌もしくは茶々を入れ、最後におっとりと、
「よくそんなにいろいろやるよねえ。わたし、仕事がなかったら、絶対何にもしない。服もいいかげんだし化粧もしない。うちから一歩も出ないで、テレビ、ぼーっと見てる」
と、おっしゃるのが梯さんである。
「わたしもしなーい。テレビも見なーい」
横で便乗的な意見を表明するのが、もっとも口数の少ないわたし自身だが、わたしと梯さんでは「何にもしない」理由が大違いである。
梯さんの「仕事」は、史実を求めて列島を駆け回り(ときにはもちろん外国にも足をのばし)、読むのを得意とする地図を頼りに、誰かの証言や遺品、書簡、人の生きた証を求めて、どこへでも訪ねていくことだ。そして集めた膨大な資料を丹念に丹念に読み込み、それを筆に起こす。
そういう積極的なアクションが必要な「仕事」を持っている彼女が、仕事以外では外に出る気にならないのは、これは人としてありうべきバランスを取っているということなのであって、単に怠惰で半径二キロくらいの現実とともに生きているわたしとは、えらい違いなのである。
ノンフィクションを書く作家は、対象となる人なり史実なりを、まともに抱き止めざるを得ない。我々の同世代(梯さんはわたしより少しお姉さんなのだけれど、わたし自身も、イチゴの柄のコップに憧れた経験を持ち、札幌オリンピックを記憶している仲間なので、同世代とひとくくりにして間違いはないと思う)で、梯さんほど太平洋戦争に真摯に向き合った人は、まずいないだろう。史実というのは、それがどんなに小さな逸話でも、扱おうとするとその重さに驚く。凡人はその重さにひるむのだが、重さは重さとして真正面から受け止めて、史実の中に確かに流れた感情の動き、空気の気配、生きた人の血潮とその温もりのようなものを、ご自身の胸で蘇生させるようにして書く、その梯さんの史実の扱い方に、いつも瞠目させられる。
本書冒頭に置かれたエッセイは、副題に「戦争を書く」とあるが、ここでは、梯さんが史実と向き合うときの、ノンフィクション作家の心模様の一端を垣間見ることができる。栗林中将(もう、今日からわたしたちも「閣下」と呼ぶべきではあるが)が妻に書き送った「台所のすきま風」への心配に、作家・梯久美子は惹きつけられる。その着眼点の柔らかさが、梯さんらしいなあと思う。
梯さんは、お会いしてみると、とても気さくで飾り気のない、そしてユーモアセンス抜群の楽しい人である。初対面の人と、さっさと打ち解けてしまうのは、これは職業的な訓練の賜物なのか、天性のものなのか。台湾旅行で次から次へと食べ物をもらってしまう話があるが、これも梯さんならではの話だなあと思う。情景が目に浮かぶのである。
「誰かにものを食べさせるとき、人はどうしてあんなにやさしい顔になるのだろう」とあるが、それは梯さんがほんとにうれしそうな顔をするからに決まっている。あの、両方の目を三日月形にして。この人、これ食べさせたら喜ぶだろうなあと思わせる顔を、梯さんがしているに決まっている。この人に、この話をしたら喜ぶだろうなあ、聞きたがっているんだろうなあ、あの人のことが好きなんだなあ、あ、そうそう、うちに古い書きつけがあったな。あれも見せちゃおうかな。だって、この人、喜ぶだろうからなあ―。
梯さんの守護神である「食神」は、あちこちで梯さんに食べ物をもたらすとともに、大切な大切な人の生きた証である資料を彼女にもたらすところの、あの笑顔を授けたに違いないとわたしは思っている。
梯さんは、熱い人でもある。膨大な資料へ向かっていくあの情熱、粘り腰、エネルギー、なんといったらいいのだろう。火の国・熊本生まれの血がなせるものか、はたまた北海道の大地が培ったのか。そうしたものがあることはつとに感じていたが、朝九時の銀座線渋谷駅で、紫スーツの大男の胸ぐらつかんで「卑怯者!」と怒鳴りつけ、一歩もひかなかった話には驚いた。心底、驚いたけど、いや、梯さんなら。梯さんだから。やるかも。やるだろう。やっただろう。
その一方で、鍵っ子の、作文の上手な、遊びに来た友だちを帰らせたくなくて時計を隠してしまう人懐っこい少女も、現在の梯さんの心の奥に、まだいるような気がしてきた。
このエッセイ集を読みながら、わたしは何度も梯さんを思い浮かべ、うるうるしたり、笑ったりした。ノンフィクション作品で作家・梯久美子に出会った読者が、本書で彼女個人の魅力に触れることができるのは、また新たな楽しみになることだろう。