――「見ること」の政治学
橋本 さあ、そこで、何の絵からいきましょうか。ここまでのお話の続きでいくと、最初に絵を作らせるようになったのは天皇、貴族ということになります。この本の中で繰り返し登場する、あの方をお呼びするしか……(笑)。
山本 後白河ですね。後白河上皇、後白河院、後白河法皇というような呼び方をしますが、12世紀の後半に数多くの絵巻の制作にかかわって、かつ、その没後も様々な伝承とともに絵巻の価値づけに深く関わった人物が後白河上皇です。
京都の三十三間堂、正式名称は蓮華王院といいますが、後白河はそこに宝蔵を作らせて、経典や仏具などと一緒に絵巻を数多く収蔵しました。宝蔵自体は残念ながら現存しません。その宝蔵の中に収められていた絵が、後世、宝蔵絵と呼ばれ、鎌倉時代、室町時代、江戸時代に至るまで、「この絵巻は、蓮華王院宝蔵に伝来した、後白河ゆかりのものである」というような価値づけがなされます。伝説的な内容も含みますが、実際に、後白河は数多くの絵巻制作にかかわっていたようです。
橋本 日本の絵画作品と言われると、いわゆる屏風や掛け軸を思い浮かべる方が多いと思いますが、ある時期までの絵画のメインストリームといえば、絵巻です。
いくつかの例外はあるとしても、今のところ遡れる範囲での最も古い作品としては絵巻になります。その絵巻制作に深くかかわったのが、後白河。彼はいったい何のために、この膨大な絵巻を作らせたのか。
山本 後白河がかかわったことが確実視されている絵巻の現存作例として『地獄草紙』、『餓鬼草紙』、『病草紙』があります。そのほかに、本書でも取り上げる『粉河寺縁起絵巻』にも後白河の関与が推定されています。この絵巻の内容は千手観音を主人公とする話ですが、後白河自身が熱烈なる千手観音の信仰者でした。もう、自分を千手観音と一体化するぐらい。また、側近たちも後白河様こそが千手観音の生まれ変わりだともてはやす。後白河の千手観音信仰に結びついて、この絵巻が成立した可能性は十分あります。
もう一つが『後三年合戦絵巻』。これも本書の中に出てきますが、鎌倉時代14世紀になってからの模本です。後白河が作らせた原本とは違うようですが、合戦絵巻を作らせたという事実は記録の中で確認できる。合戦や地獄といったダークサイド、また、自身の信仰に基づく仏の世界がお気に入りの主題であったようです。
橋本 『年中行事絵巻』は、どうですか。
山本 記録絵巻としての、『年中行事絵巻』を忘れてはなりませんね。ドキュメンタリーとして、自分の行いを、威勢を丸ごとイメージとして残す。世界全体を可視化して、つかみ取って、所有して、保存する。アーカイブすることによって、それが自分自身の権威、権力のよすがとなっていくという発想を、どうやら後白河は持っていたようです。いわゆる、イメージ戦略ですね。
橋本 それに加えて、古代の天皇が行う国見(くにみ)という行為があります。それほど高くない山ですが、万葉集にも登場する甘樫の丘や雷の丘などに天皇たちが登り、そこから国土や民を見渡す。こうした行為には象徴的な意味があり、絵巻の制作もそれに類するものだったのでは、と考えられています。
山本 見ることの政治学というのが古代には強く存在します。つまり、見ることができる者こそが王権主宰者であるという考え方。どのようなものであっても、仏の世界であっても、あるいは最底辺にある地獄の世界であっても、上から下まで全部見ることによって、それを掌握するという発想のもと、しかも、もしかすると後白河自身の嗜好として、仏菩薩の世界よりもむしろ、人間以下の世界、畜生や餓鬼や地獄の世界をものすごくよく見たいという考えがあったのではないか。そんな思いが、これだけの絵巻を残した。
『病草紙』という、病気のさまざまなありさまを描いた絵巻があります。この絵巻も、人間そのものを隅々まで見たい、肉体そのものを見たいという欲求が作らせたように思います。
橋本 その『病草紙』を、実際に見てみましょうか。激しいところがありますね。
山本 「二形」(ふたなり)ですね。
(編集部注:『闇の日本美術』口絵・本文第三章に図版掲載)
橋本 京都国立博物館の国宝展に展示されましたが、NHKの「日曜美術館」では映せなかった作品です。
山本 『病草紙』には、歯が痛いとかお腹が痛いとかありふれた病気が描かれる一方で、現実には存在しない変わった病気も出てきます。これは「二形」(ふたなり)という両性具有者を描いたものです。女性器と男性器の両方がしっかり描かれている……。顔を見てみると、ほお紅と口紅を真っ赤に塗っている、だけど烏帽子をつけてひげを生やし、男性的な特徴も有している。そのようなイメージで描かれた両性具有者を、部屋の中に入ってきた男が、大笑いをして見ているという一場面です。
詞書を見ると、二形の職業は鼓を首にかけて「うらしありく」男だということが書いてあります。占いをして歩くという意味で、画面にも占いをする者の持ち物である鼓とか笛、首に長い数珠をかけていますから、確かに占い師だということがわかります。なぜ占い師が「二形」なのかと考えたときに、『梁塵秘抄』(りょうじんひしょう)という、後白河が編纂した今様集(いまようしゅう)にヒントがある。
橋本 今様というのは流行歌謡。コンテンポラリーな、いわば当時のJ-POPですね。
山本 要は大和言葉で歌うコンテンポラリー、和歌でもなく漢詩でもなく今様です。その中に、数多く女装する男巫女(おとこみこ)が出てきます。男なのに女性の姿をして巫女(みこ)、つまりは口寄せをしたり占いをしたりという仕事に従事している者のことです。
例えば、「東(あずま)には女はなきか男巫女さればや神の男には憑く」。東の国には男巫女(おとこみこ)がたくさんいるらしいですよ、女がいないんでしょうかしらねぇ、だから神様は男の口を使って託宣をするんですよという、京都から見た東の国を、ひなびた田舎として詠った内容です。一般的な巫女(みこ)から見た男巫女(おとこみこ)、京ではなく東、という、二重三重に周縁的な存在が詠われています。
これが、実際には都の真ん中で後白河の愛好する流行歌謡として楽しまれていました。こういう世界観と『病草紙』が重なってくるのです。
橋本 そう思います。
――武力というパンドラの箱を開いたがゆえの「闇」
橋本 『病草紙』はほかにも収録されていましたね。
山本 もう一つ、「不眠の女」が出てきますね。
橋本 あの青い闇の中で佇む……。
(編集部注:『闇の日本美術』本文第六章に図版掲載)
山本 画像では上半分が白くなっている部分、現時点ではもう絵の具がほとんど落ちてしまっていてなかなか肉眼では確認できませんが、黒く粒のように見えているところに、青い群青の顔料の粒がちょっとだけ残っています。もともとこの部分は、薄く群青を引いた青い霞(かすみ)が垂れ込めるような室内が描かれていました。そこに女が一人で起きているという状況です。
橋本 物思いにふけっているわけですね。ここで山本さんは、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を引用されていました。
山本 『陰翳礼讃』で、女が黒い闇の中にいて、そして女のお歯黒に染めた口の中から闇が蜘蛛のい(糸)のように出てくる、という一節があります。闇というものの本質を衝いていて、日本家屋の奥深いところに佇んでいるかつての日本女性の姿を捉えた名文だと思います。それを読むと、私はこの「不眠の女」のシーンを思い浮かべるのです。
現存する状態では、白々しい明るい空間の中に女性がいるように見えますが、当初は青い霞が画面の半分を覆っていた。そこに燭台の炎だけがあって、ほかの女性たちは皆寝ているのに、一人だけ半身を起こして、指折り数えて、今、何時だろうというような表情をしている女の姿。こういった暗闇の中でうごめいている女たちというものを、この絵巻は捉えているわけです。
橋本 これはやっぱり女を怖いものだと思っているわけですか。
山本 そういう視線を感じますね。平安時代の絵巻の注文主も制作者も、基本的に男性が主導する環境の中でこれは作られて鑑賞されて伝来したものです。そうすると絵巻の外側には、女性がゼロとは言わないまでも、大前提として男性の鑑賞者が想定されているはずです。その男性の鑑賞者にとってこの絵巻の中に繰り広げられる、歯が痛い、お腹が痛い、先ほどの二形、他にももっと苦しい病の世界。徹底的に他者として描かれた病の人々の中に、何場面かに女性が出てくるのです。
その女性の描かれ方が、絵巻全体に通じる何か怖い病を見る視点だけでなく、そもそも女が怖い、女が気持ち悪いという感覚が二重にかぶせてあるように感じられます。それが特に強烈に表れてくるのがこのシーンではないかと。
橋本 後白河、つまり最も高貴な場所にいた人が、こうした闇をこねて丸めたようなものを作らせたわけですが、彼にこういうものを作らせた恐れ、あるいは後白河だけではなく当時の貴族たちに共有されていた恐れとは何だったのでしょうか。
山本 12世紀の後半、特に院政期ということを考えるときに、一つには武力というそれまでに何百年も封印されてきた実力行使が現実のものとなったということが……。
橋本 そうですね。平安時代は死刑がなかった。
山本 つまり政治的な権謀術数でもってバランスを取りながら問題解決をしていた時代なんです。
橋本 平和ではない局面もあったけれど、殺し合いは一応しなかった時代ですね。
山本 殺し合いはしない、血は流れない、殺生はしない、これらが守られながら政治が運営されていた時代です。摂関政治を経て、天皇が自ら政治をつかさどる親政を挟んで、そして退位した天皇が政治の実権を握る院政の時代へと展開していきます。
院政期には、政治上の主権が時として天皇と上皇に二分され、各々の勢力に対立が生じることもあり、時には武力を使って紛争を解決せねばならない局面が生まれてきました。父と息子で争う、兄弟同士で争うというような、リアルに目の前で血が流れる、しかも近しい人の血が流れるという事態が発生する。後白河は自分の兄である崇徳院との保元の乱に勝ち抜き、続く平治の乱では息子である二条天皇側の勢力を圧倒し、さらに源平合戦の時代をからくも生き延び、そのプロセスの中で数多くの合戦を当事者として経験していきます。京都や奈良が戦火に包まれていきます。
そういう時代を生きていく中でのざらりとした実感として、炎や、そこで流される血や、人の恨みや、それに対する恐れというものを、本当の意味で抱いたのが後白河その人なのではないかと思います。
橋本 その恐怖を抱いた最初の人であり、最も強烈に、武力行使の封印を解いてしまった人だと。
山本 そのあと、武力行使が当たり前の時代となった。それまでかたく封印されていたパンドラの箱を自分が開いて、開いてしまったらもう収拾がつかなくなってしまった。それを抑え込む力が自分にはないということを、箱を開いたあとに気づいてしまった。そういう取り返しのつかなさに対して抱え込んだ後白河の恐怖、闇が、一連の絵巻制作の原動力になっている気がします。自分の来世はどうなってしまうんだろうという恐怖。
橋本 まさにそこが源信の語った構造の明確なところです。自分に関して、とても具体的な恐怖があった。それを可視化することで一つ安心するところもありますし、もちろん多数作善で救われようとする考え方もできる。お経を作るとか千躰千手観音、あれは清盛がプレゼントしてくれたものですが、美しいもの、それも過剰に美しいものを数多く作って善行を積んでポイントをためて、……、TSUTAYAさんみたいな感じになってきましたね(笑)。そうして、極楽に何とか行きたい、この輪廻の輪を断ち切ってというところから生まれてきたコレクションです。
(後編へ続く)