今の思いを、一冊の本として書き留めておきたい。そう思ったきっかけがありました。
二〇一六年一月三一日、「NHKスペシャルママたちが非常事態!?「最新科学で迫るニッポンの子育て」という科学番組がNHK総合で放映されました。この番組制作に、人間の脳と心の育ちを専門とする研究者の立場から関わる機会がありました。制作局科学・環境番組部の井上チーフプロデューサー、兼子チーフディレクター、小林ディレクターらが中心となり、一年以上の歳月をかけて丁寧に検証、議論を尽くした末に誕生した力作でした。
子育てに関する悩みや解決策を取り上げた番組は、これまでも数多くあったと思います。しかし、科学的アプローチから子育てにまつわる問題に本格的に切り込んだ番組は、これが初めてだったのではないでしょうか。この番組制作の目的は、育児ストレスなどの深刻な問題が起こる理由を科学的知見に基づき説明すること、真に妥当な解決策はその土台の上に見出せるものであること、子育てという営みを通じて、子どもだけでなく、育てる親の側の脳や心も発達し続けるという事実を社会にきちんと伝えることでした。
放送後の反響は、私たちの予想をはるかに超えるものでした。さまざまな疑問や意見、続編の希望が視聴者から多数寄せられ、放送後わずか一カ月足らずで、第二弾「ママたちが非常事態!?2――母と〝イクメン〞の最新科学(二〇一六年三月二七日・NHK総合)」の制作、放映が決まったのです。こうした展開は、NHKスペシャル始まって以来とのことでした。その後、海外版の制作、そしてDVDや書籍化も実現しました。さらに二〇一七年には、思春期の子どもたちが抱える問題や夫婦不和などをテーマとした「ニッポンの家族が非常事態!?」と題した続編も制作、放映されています。
現代社会では、真っ暗なトンネルの中で出口が見えないまま、不安な気持ちで子育てに向き合っている方々が何と多いことか。番組放送後に起こった大きな反響が、それを明確に物語っていました。同時に、記憶の彼方に葬られていた、十数年前に私自身が経験した子育てのつらさ、苦悩が鮮明によみがえってきたのです。
その数日後、私はフランクフルトに向かいました。世界中から選抜された二〇名あまりの科学者が一堂に会して行われるクローズド世界会議、「the Ernst Strüngmann Forum」に参加するためです。この会議の目的は、WHOが現在掲げている乳幼児の精神発達・保健の思想の柱となってきたジョン・ボウルビィ(一九〇七〜九〇)の「アタッチメント(愛着)理論」(第三章で詳しく取り上げます)を科学的根拠に基づいて再考すること、それをふまえ、WHOに対してアタッチメント障害の国際的な分類の見直しを求める答申を諮ることでした。
ボウルビィは、健康な身体発達にとって適切な食事が不可欠であるのと同様に、子どもが養育者(母親的な役割を果たす者)との間でアタッチメントを形成することが健康な精神発達にとって不可欠だと考えました。人間が発達するということの科学的理解に、彼が果たしてきた功績は計り知れません。今も、心理的、社会的発達に問題を抱える子どもの治療方針や、子育てや教育に関する政策を立案する際の拠り所となっています。
では、なぜ今、彼の理論を再考することが必要なのでしょうか。
ひとつめの理由は、ボウルビィのアタッチメント理論は、ニホンザルに代表される旧世界ザルに特徴的な母子関係を念頭において提唱されている点です。
ボウルビィは、同時代に生きたハリー・ハーロウ(一九〇五〜八一)によるアカゲザルの代理母実験の影響を強く受けていました。ハーロウは、生後すぐに母親から引き離した子ザルに二種類の「代理母」を与えました。ひとつは哺乳瓶が取りつけられた針金で作られた代理母、もうひとつは哺乳瓶はつけられてはいませんが、柔らかい布で覆われ体温くらいまで暖められた代理母でした。子ザルの反応は明瞭でした。一貫して、布製の代理母を好んだのです。おなかがすくと針金製の代理母に移動して乳を飲みますが、その後すぐに布製の代理母のほうへ戻ります。フロイトに始まる当時の精神分析学では、子どもは栄養を与えてくれる存在を信頼し、求めようとするという考え方が主流でした。しかし、ハーロウの実験は、温かな身体の触れ合いこそが子どもにとって必要であることを見事に実証したのです。
この結果は、学術界だけでなく、一般社会にもセンセーションを巻き起こしました(後日談ですが、ハーロウの実験は実験動物の扱い方という点で非難が高まり、アメリカで動物愛護運動が盛んになるきっかけともなりました)。
ハーロウが実験に用いたのは、アカゲザルという霊長類です。ニホンザルの仲間で、旧世界ザルに属します。旧世界ザルの多くは、母親がひとりで子どもを育てます。出産から数週間は、子どもは二四時間母親の胸にしがみついたまま育ちます。アカゲザルにとって、母子の関係は特別なものです。
ところが、こうした特別な母子関係は、他の霊長類すべてに当てはまるわけではありません。マーモセットという、南米に生息する新世界ザルがいます。マーモセット科の多くの種は、一夫一妻型の配偶関係を築いています。彼らの子育てのしかたは、アカゲザルとはずいぶん異なります。父親が積極的に養育に関わり、出産後すぐに子どもを運搬する役割などを担います。兄や姉にあたる個体も、養育を手伝います。マーモセットの父親が子育てを積極的に行うことには、生存をかけた理由があります。霊長類の多くは一度に一個体だけ産むのに対し、マーモセット科の多くは一度に複数(多くは二個体)産みます。おまけに、新生児の出生時体重は母親の体重の一〇%以上あるので、母親だけで複数の子どもを同時に育てていくことはできません。
アカゲザルの母子関係のイメージを、ヒトの母子にそっくりそのまま当てはめ、アタッチメントについて議論することにはもっと慎重であるべきなのです。
この問題と関連しますが、ボウルビィのアタッチメント理論について留意すべき点の二つめは、彼が想定していた母子関係は、欧米圏の白人中流階級に特化したステレオタイプに基づくものであったことです。
近年の人類学や社会学は、ヒトの子どもと養育者間でみられるアタッチメントは、文化によって多様である点を強調しています。例えば、アフリカのアカや南米のアチェなどの狩猟採集社会では、母子という二者関係に限定されない、複数で共同して養育する形態が一般的であると言います。アカは、母親をおもな養育者としつつも、およそ二〇名が子どもの養育に関わります。そして、実際に子どもがアタッチメントを示す対象は、母親を含む五〜六人にしぼられていくそうです。
ヒトのアタッチメントの生物学的・文化的な多様性、そしてそれが柔軟に形成されていく多様な軌跡を科学的に解き明かすことで、ヒトのもつアタッチメントの本質と意義をより正しく理解するべきである。今、学術界でこうした機運が高まっているのです。
フランクフルトでの会議に話を戻しましょう。
会議の一年前、コアメンバーのひとりとして三日間にわたる議論に参加し、招聘する研究者を慎重に選出しました。一年以上時間をかけてようやく実現した会議ですから、会議当日は思いもひとしおでした。会議には、神経科学、医学、心理学、人類学、霊長類学など、各分野を代表するトップリーダーが集まりました。まるまる一週間、朝八時から夜一九時まで会議場にこもって議論を重ね、ホテルとの往復をひたすら繰り返すという、きわめてハードな日程でした。学会などで普段使い慣れているパワーポイントなどの視覚媒体は一切使わず、口頭での議論のみで進行していきます。英語を母国語としない私にとって、これまでにないほど心身が消耗した会議でしたが、その時空間には、参加した研究者全員が一丸となって目標に向かっているのだという一体感がありました。そして、最終的にまとめた内容に対して、責任感と達成感を世界レベルで共有することができたのです。
その成果は、『The Cultural Nature of Attachment: Contextualizing Relationships and Development』と題する一冊の本にまとめられました。そして一年後、この本の重要性が世界で認められ、Ursula Gielen Global Psychology Book Awardを受賞しました。
今、現代社会が強く求めているもの、世界中の研究者の志、これらの現実を目の当たりにした私は、帰国後、私が生きる場に目を向けずにはいられませんでした。子どもへの虐待、母親のうつ、歯止めのきかない少子化現象など、子育てにまつわる問題は深刻さを増すばかりです。二〇一六年に厚生労働省が発表した調査によると、児童相談所が対応した虐待事例は年々増え続け、二〇一五年にはとうとう一〇万件を超えました。
子どもたちも、苦しんでいます。いじめ、不登校、不安障害、引きこもり、抑うつ、薬物依存や自殺など、自分と他者の心を理解することに苦悩し、対人関係に起因する精神的問題を抱える子どもたちの数は増加の一途をたどっています。知的発達に遅れはないものの、学習面や行動面で著しい困難を示す児童生徒の割合は、教師による回答(医師の診断によらない)だけで六・五%(二〇一二年調査、文部科学省・二〇一三)にのぼり、その多くが注意欠如多動症(ADHD)、自閉スペクトラム症(ASD)、限局性学習症(ディスレクシア等)などの発達障害を有しています。さらに、学齢期には症状として気づかれなかったものの、高等教育機関や就労場面において発達障害の診断が初めてつく症例も増加しています。
少子高齢化が加速度的に進むわが国において、次世代を担う子どもたち、そして彼らを生み育てる側の心身を守ることは、何よりの優先課題です。しかし、既存の対応策、議論、支援内容が現代社会の問題に対応しきれていないことは、もはや自明です。
ヒトの本性を科学的に理解することを目指している私たち基礎研究者は、まずはこの紛れもない現実を真摯に受け止めなければなりません。そして、基礎研究者としての立場から何をなすべきか、何ができるかを真剣に考えるべき時代がとうに来ていることを、もっと自覚する必要がある。「私は何をなすべきか、何ができるのか」。そうした思いが大きくなっていきました。
私が出した結論は、現代社会において対人関係にまつわる精神発達の問題がなぜこれほど顕著に起こっているのかの本質を証拠に基づいて説明する、つまり、ヒトの脳と心の発達のメカニズムを科学的に解き明かし、社会に正しい知識として届けることでした。その積み重ねの上にしか、現場で生かされる「真に適切な」子育て、教育支援を提案、実践することはできないはずだからです。
私は、本書を通じて、おもに次の二点を考えたいと思っています。
ひとつめは、先に述べたように、現代社会において急増する子育てにまつわる問題――発達障害の急増や児童虐待、産後うつなど育児や子育てにまつわるさまざまな問題、少子化、若年層の精神疾患の急増などの背景にある本質を正しく理解することです。
こうした深刻な状況に、もはや目を背け続けてはいられなくなった今、なんとかその改善を図ろうとする議論が活発に行われるようになってきました。一〇年前と比べると、格段の改善です。しかし、私が問題だと感じるのは、それらの議論は問題が実際に起こった後にどうすればよいかを考える、つまり、事後的な対処に終始している点です。それだけでは、これらの問題の根幹まで解決することにはならないからです。
では、具体的にどうすればよいのでしょうか。
詳しくは次の第一章で述べますが、本書の目的は、「ヒトとは何か」「ヒトはどのように進化してきたのか」といったヒトの本質を理解することを第一に挙げたいと思います。
ヒトは数百万年という長い時間をかけて環境に適応しながら、今あるような姿かたちを獲得してきた生物です。同じことは、目には見えない心のはたらきにも当てはまります。ヒトの心の特性は、進化の過程で身体を取り巻く環境に適応しながら獲得されてきた。そのまぎれもない事実をもっと考慮すべきだと思うのです。そうした基本的理解なくして、ヒトの心、そしてそれを生み出す脳のはたらきが創発・発達する道すじ、さらに、その過程においてさまざまな問題が立ち現れる理由を正しく理解することはできません。
本書では、「ヒトの育ちにまつわる現代社会が抱える諸問題の背後には、ヒトが本来もつ特性と現代環境のミスマッチが深く関わっている」という立場にたって論を進めます。そして、それによって引き起こされている問題を、何らかの新たな方法で埋め合わせることができないかと考え、企業と連携しながら新たな育児環境の提案と社会実装に着手しています(詳しくは下記URLなどを参照ください)。
http://www.unicharm.co.jp/company/news/2017/1206016_3926.html
https://www.youtube.com/watch?v=RRYllr1-2rU http://www.unicharm.co.jp/trepanman/toitore/index.html
そして、もうひとつ本書で目指したことは、人類の未来への責任を、今を生きる世代として果たすことです。
現在の深層学習(ディープラーニング)技術に基づく人工知能(AI)の急激な発展は、とどまるところを知りません。膨大なデータの取り扱いが可能となるAIは、日常生活上の便利なツールとしての役割を超え、ヒトの心的機能や行動、社会を予測的に理解するとまで言われています。
また、こうした情報技術を生かしたロボット開発を、国の政策として推し進めようとする動きがとても盛んになっています。二〇一五年、政府は経済産業省を中心に「ロボット新戦略」を打ち立てました。「日本の津々浦々に「ロボットがある日常」をもたらし、都市全体としてロボット技術と融合した日本の姿をロボット・ショーケースとして世界に発信していく」ロボット大国を目指すのだそうです(経済産業省「ロボット新戦略」二〇一五年)。
二〇二〇年夏に予定されている東京オリンピック開催に向けた準備が、その流れを後押ししているようです。外国人観光客向けの多言語対応サービスロボットを街のあちこちで見かけるようになる日も近いでしょう。
今、私たちが生きる環境は、「実世界と仮想世界とが交錯する」新たな時空間へと変化を遂げつつあります。VR(仮想現実・バーチャルリアリティ)やAR(拡張現実・オーグメンテッドリアリティ)技術の開発、普及が進み、仮想世界での知覚体験は、実世界でのそれと区別できないレベルにまで達しようとしています。仮想世界では、ある知覚情報を別の感覚へと変換したり、知覚時の時空間関係を自由に調整したりすることが可能となります。ヒトの脳と心が二〇万年という長い時間をかけて環境に適応してきた時間スケールを圧倒的にしのぐスピードで、環境が激変しているのです。
こうした環境が日常化したとき、それと相互作用する私たちの身体、そして脳や心には、いったいどのような影響が生じるのでしょうか。さらに未来に目を向けると、人類がこれまで経験したことのない未曽有の環境で育つことになる子どもたちの脳や心の創発・発達には、どのような影響がもたらされるのでしょうか。
今を生きている私たち人類は、これらの問題に正面から向き合い、次世代が生きる未来環境をどのように設計していくべきかを真剣に考える責任があると思います。そのためには、私たちが長い時間をかけて獲得してきた生物としてのヒトの特性と、それが創発・発達していく軌跡を理解しておかねばなりません。
本書が、人類の未来を皆さんとともに考えるきっかけとなれば幸いです。