PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

集合体としての長いもの
長いものに巻かれる話・3

PR誌「ちくま」10月号より河野聡子さんのエッセイを掲載します。

 さて長いもの好きの私であるが、ここ数年はネットに発見した「長いものの集合体」の行く末が気がかりである。それは無料で読める「ウェブ小説」で、いくつかの小説投稿サイトに掲載された膨大な数の物語だ。私は数年前からこれらの物語群に魅せられて、相当な数の作品を読んできた。投稿サイトに書く作者の九九パーセントはアマチュアだが、ここには独特のダイナミックな魅力がある。とはいえこの魅力についてはいささか説明しがたい。個々の作品のひとつひとつが優れて面白いというわけではないからだ。たいていは稚拙だったり典型に属しすぎていたりするし、未完の作品も多い。だがこれらの物語群を総体としてみたときに、物語という生き物が今まさに生まれ、動いているように感じられて、それを追うのが面白いのである。
 投稿サイトの参加者は作者と膨大な数の読者である。作者はアクセスやポイントといった指標を通じて状況に敏感に反応するから、発表される物語の傾向は短いスパンで移り変わる。その一方で人気を博した作品には一大長篇が多く、数年にわたって連載される場合もある。ランキング上位に長篇の人気作が居座る一方で、様々な変異を試みる作者も常に現れる。
 そして読者はスマホが自由に使える場所ならどこでも、つまり電車の中や家事の最中や休憩時間や布団の中で読み、作者に続きを要求する。物語は永遠に続くことが期待され、相当な冗長さや稚拙さも読者はそれほど嫌がらない。そればかりでなく他の書き手が生み出したパターンが模倣され、無数の変異体が作られることも、読者は喜ぶ。作者はそんな読者の動向を感じながら書き続け、やがて読者の中からも、読むに飽き足らずに書く者があらわれる。すると既存の物語群に新たな変異が付け加えられるのだ。現在ウェブ小説はこのような「長いものの集合体」として生きている。
 ところで、多数の作り手によって生み出された物語群の変異と拡張をたくみな方法で構成し、ひとつの長い作品にまとめあげた例が人類史上にはある。『マハーバーラタ』というお話である。いわずとしれた古代インドの叙事詩で、中心をなすのはバラタ族のパーンドゥに生まれた五人の王子と同じバラタ族のクルに生まれた百人の王子の戦争の物語だが、それ以外の部分がめちゃくちゃ長い。主要なお話の前段や途中にメインキャラの祖先や子孫や前世の人物の物語がごっそり挿入されるからだ。慣れないうちは「なんで突然こんな話がはじまるの?」とあっけにとられたりもする。
 要するにこの叙事詩にはバラタ族の半神話的英雄の伝説のほか、起源神話や説話や宗教哲学、法思想まで組み込まれているのだが、重要なのは、それらの要素は単純に並べられているのではないということだ。読んでいるうちにわかるのだが、『マハーバーラタ』は入れ子のような構造の語りを使って、一見関係なさそうな要素同士を繋げ、ひとつの要素は別の要素の伏線や結末となるように巧妙に配置されている。ものすごい力技だが、おかげで古代インドの物語は今にまで生き残っている。
 さてさて、それでは私たちのインターネットにある「長いもの」はこの先いったいどうなるだろうか。長いもの好きとしては、そんなことを時々考えるのである。

PR誌「ちくま」10月号

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