単行本

遠い星でおなかがすく
雪舟えま『凍土二人行黒スープ付き』

PR誌「ちくま」1月号より、詩人の河野聡子さんによる雪舟えま『凍土二人行黒スープ付き』の書評を掲載します。とあるとても寒い星で生きるひとびとが口にするあたたかい食べ物や飲み物たち、そこにこめられた思いを読み解きます。

 読むことがごはんを食べることに似ている物語、というのがごくまれにある。ページをめくり、文字を目で追うことで、口の中で味を感じたり、料理の湯気で空気のにおいが変わったような気がする物語。『凍土二人行黒スープ付き』にはそんな物語が四個入っている。ただしい日本語では物語を「四個」と数えるのがおかしいということはわかっているけれど、この本にかぎってはこの方がぴったりすると思う。しゃれた風呂敷で包まれたきれいな塗りの重箱においしそうなお話が四個つめあわせてあって、ごちそうに箸をのばすようにしてページをめくるのだ。するといたるところに「黒スープ」「紅苹」「白苹」「揚げ麺麭」「華菓子」「薄焼きピンパ煎」なんて名前の食べものが登場するから、むしょうに自分もなにか口にいれたくなってくるけれど、この本は料理のレシピ集でも食いしん坊の食べ歩き記事でもない。なにしろ登場する食べものや料理の名前はこの地球のどこにもなさそうな、見慣れないものばかりなのだ。

 すぐにわかるのだけど、四つの物語の舞台は地球ではない。四つとも、宇宙のどこかにある四つの異なる惑星の出来事で、そこにはガスの大きなたまりが海になっている場所や、冬に巨大な繭玉みたいな生き物が山から現れる地域があり、「家読み」という耳慣れない職業で放浪してくらすひとや、一年のあいだに性が転換するひとびとが生きている。とはいえ、「シガ」とか「ナガノ」とか「アキタ」とか、ききなじみのある音も名前として登場するから、きっとこれは遠い未来の物語なのだろうと思う。たぶん地球がなくなるくらいの時間がたったあと、ひとびとが遠くの惑星に移住していった、ずっと未来のお話なのだ。

 遠くで起こる未来の出来事の事物には知らない名前がついているから、言葉のひびきはエキゾチックで幻想的だ。だから白苹を蒸して皿に盛る、なんてシンプルな描写ひとつが登場しても、なにか素敵なことが起きている気がする。だいたい白苹って何だろう。じゃがいものようなもの? 紅苹はリンゴのようなくだものだろうか。黒スープはきっとコーヒーみたいな飲みもので、香ばしくて、あたたかいのだろう。いろんな味を組みあわせてお弁当をつくるという調理ブロックはたくさんの種類があるカロリーメイトみたいなものにちがいない。時間や距離の遠さには魔法のような効果があって、ありふれた出来事にも特別なフィルターがかかって感じられ、四つの物語はどれも甘くて食べやすいお菓子のような気がする。

 ところが、そう油断しておいしくお話をいただいていると、突然どきっとさせられる。珍しい風味のお菓子を食べていたはずなのに、とつぜんガラスに触れたように、なじみぶかくあまり楽しくない現実が肌にひやりとせまってくるときがあるからだ。じっさい、物語に登場するいろいろな生活は、甘いお菓子のようなものではない。単調で感謝されない労働から逃げ出し、排除されて、それでも労働に戻っていくクローンたち。故郷から遠く離れた土地でさびしさに泣く子ども。地震で住めなくなった住居を離れるとき、犬をおいていく一家。親から逃亡し自立しようとする学生。物語と現実のはざまには透明な薄板一枚があいだにあるだけで、遠くの星で起きたこれらの細部は、私たちの現実で起きている出来事にオーバーラップしているとわかるのだ。

 たしかにこの本は料理のレシピ集でも食いしん坊の食べ歩き記事でもない。でも、登場人物はみんなすこし空腹で、すこし寒がっているとはいえるだろう。だから物語の中のひとが、たまたま出会った他のひとと一緒になり、お腹をみたし、あたたまることができたなら、この本の物語を読んでいる――食べている――私たちも、同時に空腹をみたし、あたたかくなることができるのだと思う。読むことが食べることに似ている、というのは、じつはこういうことなのだ。

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