「おかしいんだよな。こんなの初めてだよ」
トラックへ荷物を積み込むアルバイトをしていた高校生の私に、倉庫内の電光掲示板を眺めながら若手のフォークリフト運転手が話しかけてきたのは、たしか仕事納めの日だった。掲示板には三千個ほどの予定出荷数が出ていたと思う。
「去年は一万以上あったんだよ。今月は師走とは思えないほど少ないし。どうしたのかな」
春先から働き始めた私には、むしろ十二月は他の月より出荷増で忙しく、最終日の減少ていどは納得しているくらいだった。
首を傾げていた運転手も、もちろん自分も、誰もがわからなかった。その時がバブル崩壊の始まりだったことを。
配送現場を仕切っていた主任さんがいた。
主任さんは部活のように毎日出て働き詰めていた私に目を掛けてくれた。休憩時間に会うたび、腹減っただろうとパンやジュースを奢ってくれて、給料表を見せてみろと言われ、渡すと、頑張ったじゃないかと喜び、それを持って事務所へ行き、時給を上げてきてくれた。同じ歳の娘が商業高校に通っていると言っていた主任さんは豪快で、優しい人だった。
そんな主任さんを最近見かけないなと思っていた時、夜逃げしたことを聞いたのは、下請けのトラック運転手達からだった。金融屋、会社、社員をはじめ下請けの人達からも金を借りたまま、姿を消した。
「あの人から言われたら断れなくて、俺もやられちゃってさ。きみは貸してないよね」
そう聞かれ、私は首を振った。そこそこの金額を稼いでいることを知っていた主任さんは、高校生の俺からは奪おうとしなかった。副業に失敗した噂話を聞きながら、同じ歳の娘さんはどうしたのかをずっと気にしていた。
それからあとは、おかしなことばかり続いた。給料の減額提示にベテランのフォーク運転手達が怒って辞めていったり、出入りのトラック運転手が、ひとりまたひとりと来なくなったり、深夜の仕分け作業員が夜間帯の自分達の前に終業したり、そういえば賄いの弁当が減って早い者勝ちになったりもした。おかしいと誰もが思っていたが、その時はそれがなぜなのかわからなかった。
私達の世代は、失われた世代なんて呼ばれたりしていて、たしかに、目の前からいろいろなものが無くなっていったと思う。町にあった大きな自動車工場は取り壊され更地になり、そのそばで日本一の売上を誇ったコンビニは潰れ、テナントすら入らなくなった。大勢の人が去り、間違いなく地域は廃れた。
小さな頃から様々なものが周りにあり、発展することが当たり前だった私達は、失われていくものを目の当たりにし、得たかった機会とか環境だけではなく、自分自身を見失っていくこともあったかもしれない。
この『色彩』には、なにかを失った人物達が出てくる。色づいていたものは消え、それぞれが自分の立つ場所に染められ、動きづらくなるほど塗りつめられて、それすらやがて色あせていく。そのなかで気づかされたものを登場人物達は見つめなおす。
ありきたりな営みのなかで、彩りある確かなものを見つけるのは、持ち続けていては気づかない、なくしたからこそ、わかることがあるんじゃないかと思う。それは世代ではなく、どんな人でも、その彩り放つ光りを求めていて、またリングに立つのではないかと、この小説の最終場面を書いて思っていた。
ちなみに、工場が取り壊されたあとの更地だが、今は大きなショッピングモールや総合病院ができた。食品工場や配送センターも建てられ、働いている知り合いもいる。コンビニのあった通りは裏道になってしまい人通りは少ないが、テナントにはよくわからない健康用品店が入り、目張りでなかは覗けないが、たぶん、なにかやっている。そういうたくさんの光景を目の当たりにしながら、私達は生きていく。
第35回太宰治賞受賞作「色彩」の単行本刊行を受けて、阿佐元明さんが自著にこめた思いをwebちくまのために特別に書き下ろしてくれました。ご覧下さい。