ちくま文庫

気配を勘繰らさせていただきます
『日本の気配 増補版』解説

『日本の気配 増補版』(武田砂鉄 著)の解説を公開いたします。「空気」と「気配」の違い、「勘繰る」「自粛」「忖度」「させていただく」という独特の日本語についてよくわかる解説です。

 空気ではなく、気配なのだ、と著者は言う。
「今、政治を動かす面々は、もはや世の中の「空気」を怖がらなくなったように思える」と、冒頭にある。「空気」として周知される前段階の「気配」なのだ、問題は。
 この違いを、本書の単行本が出た2018年やそれ以前の時点で、わたしが明確にわかっていたかどうか心もとないのだけれど、2021年、緊急事態宣言下でオリンピックが開催されようとしているいま(これを書いている)、わたしは完璧にこの違いを知っている。
 だって、2021年5月の朝日新聞の世論調査では、中止か延期を希望する人が8割以上だったのだ。これは「空気」だろう。空気は「中止か延期」だったのだ。ところがなにかの「気配」を察したメディアが、そーっとゴールポストを動かした。「無観客か有観客か」が世論調査で問われるようになり、もう中止も延期も無理だ、議論すべきは観客の数だ、みたいな「空気」が作られていく。あの、5月から6月にかけてあった、え? と、なにかを二度見してしまうような感覚、二度見した目の先にあったもの、あれが「気配」だ。
 本書の扱う時事は、たとえば新国立競技場建設計画の撤回だったりする。あれは2015年夏のことだった。けっこう遠い昔のことに感じられるのは、ケチのつき始めがあれだったみたいな気がするからかもしれない。オリンピックのために立ち退きをさせられた霞ヶ丘アパートの住民の声として、こんな言葉にぶつかった。「私たちがひとりの『人として』尊重されていると感じることができません」。この言葉はいまや、かなり多くの人々の胸に刺さるのではないだろうか。ワクチンも打ってもらえずに、補償のあいまいな休業要請や自粛を迫られつつ、オリンピックの狂騒に巻き込まれることになった多くの人の胸に。
 マルティン・ニーメラーの有名な言葉、「ナチスが◯◯を攻撃したとき、わたしは何もしなかった。なぜならわたしは◯◯ではなかったから」というリフレインが続き、最後に、「自分が攻撃されたときは抵抗してももう遅かった」と語る言葉を思い出す。あれはたしか「発端に抵抗するためには、終末を見通せなければならない」ことの説明として続く言葉だった。新国立競技場が「発端」かどうかもわからないが、多くの人が終末を見通せていたら、いま、ここには至っていないのかもしれない。
 本書には、このように、ああ、これ、警鐘だったのにと思わせるところがあって、悔恨めいたものを抱かされもするのだが、ハッと気を取り直して現在を鋭く見据える契機にさせてもらえるような考察にも出会う。
 わたしはテレビをあまり見ないので、小池百合子のどこがいいのか、さっぱりわからない。マジックのように票を操る彼女には、なにか特別の才能なり、魅力なりがあるのであろうけれど、わからない、わからないと、ずっと思っていた。でも、わかった。そうか、「テレビ活用」の達人なのか! たしかに、彼女を応援する層と、テレビのワイドショーを無批判に観る層は、かなりな部分で重なるに違いない。詳しくはぜひ本文を読んでいただきたいが、「小池百合子とラーメン屋とテレビクルー」で解説されるこの都知事像は、話題になったノンフィクションよりもずっと説得力があった。小池百合子の思惑どおりに、テレビが彼女のイメージを「氾濫」させ続けるかぎり、彼女の権力は盤石だと思う。
 テレビといえば、官邸のメディアへの介入、圧力も、本書が扱う大きなテーマのひとつだ。ここに、「勘繰れ」という言葉が出てきた。NHKが戦時性暴力を扱った番組をつくったときに、安倍晋三氏(当時の内閣官房副長官)が放送総局長を呼び出して言ったとされる、「ただでは済まないぞ。勘繰れ」というもの。「勘繰る」という言葉は、命令形ではほとんど使われないが、権力者が恫喝に使ったとなるとインパクトがある。類義語を探せば「邪推せよ」だが、安倍氏は国語が苦手……ではなかった、国語辞書に新たな意味を追加する名人でもあるので、「最悪を想像しろ」くらいの意味だろうか。相手が自発的に人の意向を汲んでアクションを起こすことを強要するニュアンスが、「勘繰れ」と「自粛(要請)」には共通する。もちろん「忖度」もしばしば暗に要求される。わたしたちはそうした、自発的隷従を他発的に強要される社会に生きている(「隷従」は第2章のテーマでもある)。考えてみれば、「コミュニケーション」をテーマにした第5章で論じられた「させていただく」にも、自発的隷従のニュアンスが籠っている。「気配」を「勘繰」って「自粛」「させていただ」いたりする、この奇妙な動きを、やめなくてはいけない。
 奇妙な動きはずっと続いている。ここがマックスだ、ここが底だと思っても、まだまだ底があるような続き方をしている。この「気持ち悪さ」と、とりあえずは向き合う必要がある。「ムカつくものにムカつくと言う」ことを決意した著者の感じ取る「気持ち悪さ」と「ムカつき」から、目を逸らすことができずにいる。

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