PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

両立する気持ち

複雑な心、非定型な人生・1

PR誌「ちくま」11月号より北村みなみさんのエッセイを掲載します。

 二〇一九年の六月、私は初めての出産を経験した。
 分娩台の上でしなしなの土人形になりながら一番に感じたことは、初めて我が子を抱いた喜びでも、生命の神秘への感動でもなく、地獄のような妊娠期間からの解放感、そして明日からきっと始まる新しい地獄への不安だった。

 幼少から、いずれ我が身に降りかかるかもしれない「妊娠出産」のことを考えると、死を想像する時のように体が震えた。
 保健体育の授業や本で学んだことによると、それは大変につらいもののようだった。
 つわりという現象があり、何ヶ月も吐き気が止まらないらしい。赤ちゃんはお腹の中でスイカのように大きくなり、体から取り出す時には、当然ながら大変な痛みを伴うらしい。赤ちゃんは昼夜関係なく泣き続け、そんな赤ちゃんのお世話は、基本的に母親が請け負うのが「普通」らしい……。
 正直、全てが嫌だと思った。しんどい思いも、痛い思いもしたくない。なぜ自分だけが、短くない時間を家庭に捧げなければいけないんだろう。そんな経験はしないまま、目をつぶって人生を駆け抜けたいと考えていた。
 しかし、結婚をして、散々悩んだ末、正に案ずるより産むが易し……と、挑戦することになった。夫は「早くできるといいねえ」と涼しい顔をしている。代わりに出産してほしいところだが、無理なのでしょうがない。
 いざ妊娠すると、ジェットコースターの頂点を下るように、なすがままだった。幼い頃に想像した恐ろしいあれこれは、解像度を上げてほぼそのまま現実になった。

 あの濁流のさなかから二年半を経て、当時「可愛い」というより「よくわからない」生物だった子供は、とても大事な存在になった。
 しかし、妊娠出産へのイメージは良くなるどころか、鮮明な記憶とセットになって、より恐ろしいものになっている。
 もう一度妊娠出産をする気はないのか、訊かれることがある(まずそんなことを人に訊くなよ)。心構えは人それぞれだろうが、何度も経験し、乗り越えてきた女性が大勢いることも解っている。でもあの頃の恐怖、しんどさ、痛み、不安、孤独を思うと、とてもイエスという気になれないのが私の心情だ。

 一般的に、妊娠出産は「またとない経験、尊く幸せでポジティヴなもの」と定義されることが多い。
 そのような概念を見聞きするたび、親になってさえ大人になりきれない自分が恥ずかしく思えて、こそこそと隠れたくなる。
 でも、実際につらい思いをした・するのは、他でもない私なのだから、堂々と胸を張って「嫌だ」と言っていきたい。
 そして何よりも解ってほしいのは、一見矛盾しているように思える「子供を大事に思う気持ち」と「妊娠出産をネガティヴに感じる気持ち」は、きちんと両立するということだ。
 きっと人間誰もがそれぞれに、作られた定型にはまれない複雑な生き物なのだから。

PR誌「ちくま」11月号

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