PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

解りづらくあること

複雑な心、非定型な人生・2

PR誌「ちくま」12月号より北村みなみさんのエッセイを掲載します。

 私は絵や映像の制作で生計を立てており、仕事の営業ツールとして、またプライベートでもよくSNSを利用している。
 普段はそれなりに楽しく付き合っているが、どうしても苦手な瞬間がある。著名人の結婚報道に対する嵐のような祝福投稿だ。
 タイムラインに、たくさんの「おめでとう」が並ぶ。しかし私には、結婚自体が「おめでたい」という認識がない。一人でも楽しく生きている人がいるし、誰かと一緒でも幸せとは限らない。同じ気持ちの人は他にも沢山いるのだろうけど、そんな捉えどころのない話を、わざわざ書き込む人はいない(私も書かない)。結果「おめでとう」が一番傷つく人の少ない発言ということで、ブラウザが優しい祝福で溢れる。しかしひねくれ者の私は、微妙に形の合わない椅子に座っているようで、お尻がむずむずしてしまうのだ。
 それと対をなして、著名人が亡くなった時のお悔やみも少し苦手だ。故人への想いが深いほど、平常心でタイムラインを眺める事が難しい。
 それぞれに自分なりの、十人十色の悲しみや送り方があるだろう。でも、様々なお悔やみを眺めているうちに、個人的な想いは雑踏の中にかき消えて、大きなムーブメントの一部になってしまうような感覚がある。そういう時はインターネットから距離を置き、自分のやり方でその悲しみと向き合うようにしている。
 皆が同じ話題を共有し発信することで、全てが大きなうねりになり、個が見えなくなる瞬間が、私は恐ろしいのかもしれない。

「バズる」という現象がある。SNS上での投稿が多くの人の反応を得て、拡散されることだ。
 なんとなく「バズる投稿・作品は面白く魅力的である」という世間の共通認識があると思う。因みに私の作品は、全然バズったことがない。反応が少ない自分の作品がつまらないもののように思える時もある。
 しかし長年SNSを眺めるうちに、魅力的なものに反応が集まるのは紛れも無い事実だけれど、かと言って「反応がない=魅力がない」という単純な話ではない事が解ってきた。流れの速いタイムラインで、短い時間で呑み込める「解りやすい」ものほど多くの反応を得やすいのだ。
 自戒を込めて書くが、「解りやすさ」は大事な一つの魅力の指針ではあるけれど、それが全てではないはずだ。SNS自体も、この広い世界のほんの氷山の一角なのだし。
 自分を形作るもののほとんどは、微妙で複雑で超個人的なものだ。それを、時間をかけて表現したり、何度も読み込んで理解してゆく。生涯誰にも理解されない感情もあるだろう。それも含めて、最終的に人は「解りづらい」から面白いのだと思う。

 私がSNSをやっていて楽しい瞬間は、深夜のタイムラインに、本当に私的な友達の作品を見つけた時。そして、誰にも理解されなくて良いと吐き出した言葉に、一つだけポツンと「いいね」が灯る時だ。
 共感がひしめくタイムラインで、多くの人が共感しない、自分だけの宝探しに、本当のSNSの楽しみが眠っている。
 

PR誌「ちくま」12月号

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