単行本

おっさん嫌いのおっさん好きに捧ぐ本

『ニュー・ダッド――あたらしい時代のあたらしいおっさん』書評

ゲイの立場から、これからの時代の「父性」「男性性」のあり方を真面目に、ときめきながら考える一冊『ニュー・ダッド』。本書を小説家の柚木麻子さん(『ついでにジェントルメン』『BUTTER』ほか)に読み解いていただきました。(PR誌「ちくま」8月号より転載)

 映画やアニメに出てくる、中年のくたびれた刑事や渋いパパは大好きで白髪や皺や丸いお腹にさえときめくのに、現実社会にいる権力を振りかざす「おっさん」は大嫌い。

 本書はアップデートを願うおっさん当事者はもちろんのこと、そんなフィクションに登場する中年男性のみ愛している、おっさん嫌いなおっさん愛好家に、ぜひ読んでもらいたい一冊だ。なにしろ、著者の木津毅さんは類まれなるおっさん好きである。とはいえ、彼が熱い視線を向けるほとんどが欧米のフィクションの登場人物やミュージシャンや俳優。日本のカルチャーとなると、『おっさんずラブ』の吉田鋼太郎演じる上司にきびしい目を向け、唯一好意的にとりあげているのが『クッキングパパ』の荒岩一味なのだから、信頼しかない。木津さんが胸を焦がすのは、若者や弱者を支配する偉大なる父ではなく、見守り支え一緒になって悩んでくれる「父性」を持つ男性であると読み進めるうちにわかってくる。そんな正しい「父性」を持ち合わせる中年男性を木津さんは「ニュー・ダッド」と名付ける。心の底からこの言葉が「イケオジ」にとってかわって欲しい!

 取り上げられるのは、『ストレンジャー・シングス』の保安官ホッパーや『ありがとう、トニ・エルドマン』のお父さんなどフィクションのキャラクターも多いけれど、変化を恐れないセス・ローゲン、パパ系インスタグラマー、ギター職人のリック・ケリー、そして今一番熱い俳優、オスカー・アイザックに、男性の弱さを歌うボン・イヴェール……。中でも傑作なのが、アメリカ発のおっさん同士の恋愛シミュレーションゲーム『ドリーム・ダディ』に木津さんが夢中になるくだりだ。シングルファーザーの主人公の前に魅力的なおっさんがたくさん登場するけれど、木津さんはセクシー系不良ダディに夢中になってしまって振り回され、向こうの気持ちがわからないまま遊ばれてゲーム終了。しかし、何度もトライするうちに、不良ダディもまた傷ついた一人の人間であることがわかり、彼の本音を聞き出し、分かり合えたところでようやく攻略できる。おっさんがおっさんを救い、心を見せ合うってなんて新鮮なんだろうか。

「ダッド」がアメリカでは男性の性的魅力を示す一般的な言葉であることからもわかるように、我々が恥ずかしくてあんまりおおっぴらに話せなかった、おっさんの魅力は、向こうではかなりメジャーなトピックだったのである。そう、おっさん嫌いなのにハリウッド映画のおっさんだけは好きなんて矛盾していないかな? なんて後ろめたさなんて感じなくてよかったのだ。そのあたりは、パーティーが大好きで日常を愉快にする才能があるゆえに、楽しいことに罪悪感を抱かせようとする社会の方を解体していこうとする、木津さんならではの視点の賜物だろう。魅力的なダッドはユニコーンのような想像上の生き物ではない、いや、努力すればどんなおっさんでもなっていける存在なのだ、と。

 ゲイ当事者として発信を続ける木津さんは、こんなふうにおっさんをウキウキ愛でつつも、おっさんの持つ特権性にはいつも鋭い眼差しを向けている。しかし、「持つもの」であるおっさんも、傷ついていいし、悩んでいい、と様々な著名人の言動が教えてくれる。そして、それをさらけだしていい。その上で他者とコミュニケーションをとりながら、次世代がより生きやすい社会を目指していく。日本にはまだなかなかそのモデルはいないが、これだけのニュー・ダッドがいるのだから、と思うと、心強くもある。

 本書を読み終わって初めて気がついたが、私が好きな中年男性キャラクター、みんな主役ではなかったな、ということだ。主人公に振り回されながら、普段は物静かなのに、ここぞという場面で支えてくれる、有能な白髪のおっさんが昔から好きだった。「ちびまる子ちゃん」の「ヒデじい」とか。あれはみんな「ニュー・ダッド」だったかもしれない、日本にもいるじゃん、と夢中になって反芻しているところだ。



ニュー・ダッド――あたらしい時代のあたらしいおっさん

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