単行本

”中の上機嫌”のひみつ
武田砂鉄『べつに怒ってない』書評

やろうと思ったけどできなかったことや、やる前に考えてしまったことを綴った武田砂鉄さんのエッセイ集『べつに怒ってない』を、酒井順子さんが書評してくださいました。武田さんの”中の上機嫌”はどこから来ているのでしょうか…?(PR誌「ちくま」より転載)

 仕事で何度か、武田砂鉄さんとお会いしたことがあります。その度に思うのは、「いつも、安定している」ということなのでした。
 機嫌の良し悪しが如実に顔に出る人もいますが、砂鉄さんの場合は、常にそこはかとなくにこやかで、中の上くらいの機嫌がキープされている。あの"中の上機嫌"に見える表情は何ゆえ? ……と思いつつ『べつに怒ってない』を読んで、私は謎が解けたような気持ちになったのでした。
 本書では、砂鉄さんの普段の生活における頭と心の動き方が開陳されています。路上で。乗り物で。仕事をしながら。……砂鉄さんの頭の中では、目に映る事象が自在に分解されたり結合されたりしているのであり、その映像はYouTubeなどよりも、ずっと楽しそう。だからこそ、あのアルカイック・スマイルが常に湛えられているのではないか、と思ったのです。
 たとえば電車に乗っていて手持ちの本を読み終えてしまったならば、砂鉄さんは目の前にいる人がどういう人なのかを、考えだすのでした。サラリーマンや塾通いの子供など、それぞれの人生を妄想しているうちに、砂鉄さんは見ず知らずの他人を応援したくすらなっています。
 はたまた、街中で何となく目に入った会社の名前を検索し、どのような会社なのかを調べてみる、砂鉄さん。社長の生い立ちや趣味嗜好も思いがけず知ることとなり、たまたま社長に道で出会うと、やはり心の中でエールを送ったりしているのです。
「考えるのはタダ」という一篇があるように、砂鉄さんは常に「考える」という娯楽を、存分に味わっているのでした。かといって、思考を追求するあまり、何かに対する怒りをあらわにするわけではありませんし、何かを絶賛するわけでもない。「極」と「極」の間にふるふるとたゆたう思考を、あえてふるふるのままで肯定しているのがこの本、ということになりましょう。
 豆乳ににがりを入れた直後のような、あるやなしやの凝固物は、はっきりとした思考と比べると掴みにくいものですが、砂鉄さんは短い文章の中で、それらを巧みにすくい取ります。さらにはふるふる部分をじっくりと眺めて、「なぜ今、この部分は凝固しかかっているのか」の理由をも追求し、読者をすっきりとさせてくれるのでした。
 そんな中でもすっきり感が大きかったのは、「野球のたとえ話」という一篇です。砂鉄さんは長年、
「野球のたとえ話であれこれ説明する人になってはいけない」 
 と決めていたということなのですが、それを読んで「あ」と思ったのは、私が野球のたとえ話が大好きだから。普段の会話においても、
「来た球を打つ!」
 などとつい口をつくのですが、砂鉄さんの「野球比喩は使用しない」との宣言を読み、私は物事を野球にたとえることのずるさのようなものを、初めて意識することに。
 対談やラジオ番組での砂鉄さんは、どのような話題でも受け止めてくださる話上手なので、
「鉄壁のキャッチャーって感じ!」
 などと思っていた私。しかし野球人ではない砂鉄さんをキャッチャーにたとえることによって安易に納得し、“いかにして受け止めているか”を考えずに済ませてきたのではなかったか。
 ……などということを、ごく短いエッセイ一本の中で読者に考えさせる武田砂鉄という人はまるで……。
 と、また野球比喩を考えそうになったのであわてて回避している私ですが、「とはいえ本当に野球をするとしたら、キャッチャーより外野手タイプではなかろうか」などと、比喩的にではなく本気で妄想していることは、ここに告白しておきましょう。