今回の文庫化に「より一層の彫琢を経て」という謳い文句がついたことを知ったとき、ものは言いようだな……と感心した。もちろん私自身、単行本で読んで評価してくださった方々、そしてあの頃の必死だった自分と、なにより作品自体を尊重し、最低限の改稿で済ませたかった。だが、その「最低限」が尋常ならざる量だった。それだけである。
文章の稚拙さや視点の粗さなどに関しては、ひとまず置いておく。私が今回もっとも問題視したのは作中の重要なキャラクターであるメリッサ、そして全登場人物の性自認と性的指向と性表現を混同していたことだ。むろん当時は当時なりに全力だったし、いわゆる性的少数者への理解がここ数年で急激に進んだことも無関係ではあるまい。だがその切実さを扱う一方で「まだアマチュアだしダメなら落選するだろう」という甘えが自分の中に確かに存在していたことは、時代を問わず、そしてプロアマ問わず、物書きとしても人としても怠惰であったことを否定できない。
この作品は太宰治賞に応募する直前、ひとりの友人に読んでもらってある。彼女は自身も小説を書く人で、また、性的少数者の当事者でもあった。私は彼女にこう伝えた。
「もしあなたが不快に感じる部分があったら、この小説は新人賞には応募しない」
投稿する前から私は、この作品が少なからぬ人々を傷つける要素をいくつも含んでいることを覚悟していた(それはどんな表現も例外ではないという事実にまでは、まだ考えが及んでいなかった)。だが、それが大切な友人である彼女であってほしくはなかった――と書くと美しく響くかもしれない。だが実際のところ私は彼女に「性的少数者」というレッテルを貼り、その代表としての判断を求めたのだ。もちろん日頃から親しくしている相手として、そして同じ書き手としての信頼があった上でのこととはいえ。しかも、その発想の暴力性にまるっきり無自覚だった。最低だと思う。
彼女は私の目の前で、原稿用紙二百三十枚相当の名もなき作品――「変わらざる喜び」という応募当初のタイトルは、ぎりぎりまで適切な題名が浮かばず封筒に入れる直前に手書きで加えたものだ――を黙々と読みつづけた。そして最後のページまでめくり終えると顔を上げ、対面で待つ私にきっぱりと告げた。
「私は、この作品に世に出てほしいよ」
おそらく彼女は私が「性的少数者だから」自分に判断を委ねたこと、その傲慢さを感じ取っていたはずだ。それでもそう言ってくれた。私は彼女のアドバイスを受けいくつかの部分(すべて「性的少数者」ではなく「対等な書き手」の視点によるものだった)を書き直し、締め切りの前日に原稿をポストに投函した。そしていま、こうして偉そうに「自著解題」などという依頼を受けている。
この小説が文庫化に七年もかかったのは、ひとえに実力不足だ。あけすけに言うと作家として私が売れなかったからだ。美談にする気はない。その間悔しい思いもたくさんしたしさせられてきた。それを「全部思い出だしいい経験になったわ」なんて言ってのけたら本の中からメリッサに罵倒されること必至である。だが七年という月日は私に己の無知と傲慢を自覚させてくれたし(むろん未だに足りない部分のほうが多く、日々自戒を続ける所存だ)、この小説がそういうタイミングで、また日の目を見る機会を頂けたことには素直に感謝したい。
文庫化を決断してくれた筑摩書房の関係者各位、私のデビューを強く後押しし、にもかかわらず期待に応えられずに終わった日々を経た再会の折「力不足で申し訳ありません」と謝罪した私にあたたかいお言葉をくださった加藤典洋先生(内容は私だけのものとして一生胸に留めておく)。そして当時、きっとすべてを見抜きながらも「この作品に世に出てほしい」と言ってくれた彼女に、今回の新生『名前も呼べない』を捧げる。
伊藤朱里さんのデビュー作にして太宰治賞受賞作である『名前も呼べない』が文庫化されました。執筆時の舞台裏に存在したある友情秘話が、単行本刊行から7年を経て明かされます。ご覧ください。(PR誌「ちくま」10月号より転載)