稽古とプラリネ

オンナの友情って何だろう?【前編】
伊藤朱里『稽古とプラリネ』刊行記念対談

太宰治賞受賞のデビュー作『名前も呼べない』で注目を集めた伊藤朱里さんの待望の第二作『稽古とプラリネ』が刊行されるのを記念して、同書に帯コメントを寄せていただいた加藤千恵さんと伊藤さんの特別対談を公開します。いったん話し出すと止まらない、同世代ならではの盛り上がりを見せた対談から、まずは作品のテーマや登場人物に寄せた作者の思いに迫った前編をお送りします。

新刊のテーマは友情とお稽古事

加藤 いただいたゲラを読ませていただいて、まず意外だったんです。というのもデビュー作の『名前も呼べない』を読んで、朱里ちゃんはこの後、恋愛とか家族に焦点をあてて書いていくんだろうなっていうのをなんとなくイメージしてたので。
伊藤 そうですね。
加藤 だからテーマが「女友達の交流」と「習い事」っていうのがすごく新鮮でした。そして作品を読み込んでいくうちに、みんなが毎日抱えている、喜怒哀楽に入らない感情、簡単にわけられなくて混ざり合っていたり、それ未満だったりっていうものがたくさん詰まっている小説だなと思って。なかでも痛みやもどかしさっていうのが、すごく丁寧に掬いあげられるように書かれた小説だなってことを感じて、帯文を書かせていただきました。
伊藤 ありがとうございます、本当に嬉しいです。
加藤 いつころから書いてたの?
伊藤 8月(2016年)から10月の3か月間ですね。9月あたりにまったく進まない時期があったんですけど。
加藤 じゃあけっこう短い時間に集中して書いた感じだよね。女友達とか習い事っていうのは、全部朱里ちゃんのアイデア?
伊藤 女友達、お稽古事、みたいのはこちらからですね。編集者さんと打ち合わせをしているときに「ゆるふわガールズトーク小説」みたいな言葉がポンと出てきて、そのときは笑って流したんですけどその日の帰りに「書いちゃいけない理由はないな……」と思ってプロットを練ってみようと。私、川上弘美さんの『これでよろしくて?』がすごい好きで。
加藤 なるほど。
伊藤 女同士でしゃべっているあいだに「あのときはわからなかったけど、もしかしたらあれってああいうことなんじゃ?」って見逃していたことに気づかされる、女友達ってそういうとこあるなって。
加藤 プロットはいつもどれくらい書くの?
伊藤 普段あまり書かなくてA4で2,3枚くらい、それも具体的にというよりは、「こういう感じであとは流れで」って感じです。
加藤 女の人がたくさん登場するじゃない? これだけのキャラクターを出して、習い事も出してってアイデアがすごいと思って。それぞれのキャラクターもプロットの時点で考えてた?
伊藤 いえ、それは書きながら大きな流れを決めて、必要な人を浮かべて「こういうことやってる人って、こんな感じかな?」って。
加藤 うんうん。
伊藤 後付けした人も削った人もいます。
加藤 そうなんだ。でもさっき「ゆるふわガールズトーク小説」って言ってたけど、ゆるふわではないよね(笑)
伊藤 ゆるふわでは結果なくなりましたね(笑)かなり頑張ったんですけど。
加藤 そうなんだ(笑)朱里ちゃん流のゆるふわなんだね、これは。

見逃されがちな“尊さ”

加藤 それぞれの習い事はリアルだけど、これは実際に行ったりやったりしてたの?
伊藤 想像だけで書いたのもありますけど、お茶のお稽古は実際に一年くらいやってました。でも、このくらいの年齢になるとまわりの友達でも習い事やったことのない人の方が少ない気がします、体験教室とかもふくめて。
加藤 そんなにみんなやってる?
伊藤 いままでまったく経験がないという人はあまりいないのではと思います。
加藤 出だしとか、タイトルとか、お菓子作りが習い事のメインなのかなって思ったんだけど。ほかの習い事に比べて思い入れがあったりするの?
伊藤 私自身はお菓子をつくることにそんなに興味がなくて、パン作りとかは家でやったことはあるんですけど……。タイトルは結構ギリギリに決まって、結果そこに寄った感じはあるかもです。でも、書いているうちに講師のまりちーが好きになっちゃって。
加藤 まりちーはいいキャラクターだよね。
伊藤 彼女みたいな、別に学校の勉強ができたり、すごい読書家ではないけど、自分の生き方とか、人との接し方とか、どうすべきかを体で知っている人ってすごく尊いなと思っていて。
加藤 うんうん、わかる。
伊藤 その尊さって本人たちが声高に自己主張しない分、けっこう見逃されがちだなっていうのはすごく意識しました。先ほど喜怒哀楽のどれにも属さないって仰っていただいたんですけど、そういうのを書きたいなって。
加藤 そうだね、バカキャラみたいになっちゃうけど、実はものすごく賢くて生きる力に長けていて、まりちーは私もすごく好きなキャラでした。このサイクリングサークルっていうのは実体験?
伊藤 ぜんぜん、実はサイクリングはやったこともなくて。はじめは自分の実体験にもっと近づけていたんですけど、逆にそれだと不自由で書けないことが増えてきちゃって。一回自分から思いっきり突き放して、二人が出会う場所としてどのサークルがいいだろうと考えて。
加藤 最初はけっこう違うところにいる二人だからね。二人の共通項として、サイクリングってちょうどいい感じがした。
伊藤 ちょうどいいものを探していて「囲碁将棋? 違う!」って(笑)色んなサークルの勧誘のサイトとか見て。「映画研究会じゃないし、体を動かすやつがいいけど、ボルダリングはちょっとな……」って考えてました。

 

前作とは違った作風、その幅広さ

加藤 9月に一度書けなくなって、でも10月に一気に書けるようになったのは、やっぱり「この小説を書きたい」っていう気持ちがあったの? 「それとも小説自体を書かねば」っていう感じだったの?
伊藤 これを書き上げたいっていうのはもちろんありましたけど、それよりどこまでできるのか一度振り切ってみたいっていうのがすごく強くて、人の目を気にせずに書いてみようと思って。
加藤 やっぱりそうなんだ。デビュー作に比べて自由に書いているなって思ったの。冒頭のほうの「ハッ。ていうこのスタンス」とか。
伊藤 あ、そこわかってくださいました? すごいうれしい(笑)
加藤 小ネタ的なあれだけど、ちょっと笑っちゃった。
伊藤 そこが書きたかったといっても過言ではないです。
加藤 そんなことはないと思うけど(笑)。
伊藤 絶対通りますよね、綿矢さんは本当に天才だなー。綿矢さんとは別に、白岩玄さんの『野ブタ。をプロデュース』をリアルタイムで読んだとき、最初の文章が「辻ちゃんと加護ちゃんが卒業らしい。」ではじまるじゃないですか。それまでも固有名詞とかその時代特有のものが出てくる小説は読んでいたんですけど、自分の生きている世代の出来事を時の流れに消えていくことを恐れずに書いている人がいて「やっていいんだ」と衝撃を受けたことがあって。しかもそれが他の世代からも受け入れられている。
加藤 そうだね、『稽古とプラリネ』は本当に固有名詞にあふれているなと思った。ラインのやり取りでムーン君スタンプや楽天パンダが出てきたり、カラオケの曲名とか。じゃあ、それはもうやってやろうと思って?
伊藤 そう、やってやろうと、ドヤ顔がすごい(笑)
加藤 私と2学年違いだよね? だから「わかる!」と思って。カラオケのシーンとかしかった。
伊藤 前回はなるべく誤解されたくないとか、なるべくたくさんの人に受け入れてほしいとか、なるべく傷つく人は出てほしくないとか、そういう意識で書いていたんです。結果、それでも誤解されるときはしたし、傷つく人は多分いただろうし。そう思ったとき、その路線で書き続けることはできたけど、一度ブチ破っておいたほうが、色んな人に届けるという意味でも、自分のためにもプラスだなと。
加藤 本当に二作目にして幅の広さを提示した小説だと思う。テーマから一作目とは違う感じになっていて、そこがすごいなと思いました。

状況や立場によって変わる人間関係のリアルさ

加藤 書いているときは誰に感情移入してた? やっぱり主人公の南?
伊藤 南が、私と同じ「いつも見えないものと戦っている」タイプなので、割とそのスタンスに立ちながら。あとは、他人の気持ちはわからないときはわからないままでいい、と思っていたのであまり無理して他の人の気持ちとか事情を書きすぎないようにしました。
加藤 声楽の講師の人の事情とか親友の愛莉が怒った理由も書いてなかったし、純文学っぽさもあるなと思った。エンタメの要素もたくさんあるけど、両方をあわせもっている感じ。
伊藤 そう言っていただけて、嬉しいです。
加藤 あと、やっぱり南と愛莉の関係性がすごくよかった。服装だったりカラオケの部分だったりとか。愛莉の隠しごとについても意外かもしれないけど、それってあるなと思った。
伊藤 高校生のときとかって、友達だったら誰が好きだとか隠し事なく言っておかなきゃっていう空気があると思うんです。
加藤 言うことの信頼感ってあったよね、とくに学生時代。
伊藤 大学ではそうでもないですけど、小中高の頃って決められた生活を送っていて、友情のパターンもある程度一定で「こういうのが友達です」っていうのを学ぶ期間だと思うんです。そこから脱却して、いろんな環境に置かれる友達が出てきたときに、それまでと同じスタンスで友情を考えてると窮屈なんじゃないかって。お稽古事の話じゃないですけど「基礎ができたらあとは応用」みたいな感じでどんどん更新していかなきゃいけないんじゃないのかなって、書いていた時に考えていたんです。
加藤 そうだよね、年齢や環境で変わっていくものもあるし。作中の主婦になったサークル時代の友達とのシーンがリアルに嫌な感じだと思って、学生時代は仲良く話せていたのに、それぞれ大人になって境遇が変わることで話がぜんぜん合わないってことって、どうしても生まれちゃうものだと思うから。
伊藤 それを無理やりわからせようとしても、相手にも生活があるし、大事なものは違うし。南の仕事がいかに大切かって、相手にとっては関係ないことだし。
加藤 そういうところは本当にリアルだなと感じました。読後には爽快感があって。でも痛みもちゃんと残る小説だなって。逆に痛みが帳消しになるような小説は嘘だと思うから。あと多分、気持ちによってその都度ちょっと刺さってくるシーンだったり、セリフだったりが変わったり。キャラクターへの思い入れが変わってきたり、こちらの気持ち次第でいろんな読み方ができる小説だとも思います。作者として「こんな風に読んでもらえたら」とか考えて書いてた?
伊藤 「これ嫌だな、これ辛いな」っていう気持ちを抱えている人が通勤時間や休憩中に読んで「わかるわー」とか「読んだ後、少し楽になったな」とか感じてもらえたら嬉しいと思って書きました。もちろん、性別・年齢にかかわらず色んな人に届くのなら、そんなに嬉しいことはないと思っています。
加藤 社会人として仕事をしたことのある人ならどんな職種であっても共感できることが書かれていたり、それこそ友達が一人でもいる人だったらわかることが書かれているので、多分あらゆる人に当てはまる作品なのではないかと私も思います。

 

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