PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

パンデミックと韓国ドラマ
韓国ドラマについて・1

PR誌「ちくま」2月号より角田光代さんのエッセイを掲載します。

 もともと韓国映画は好きで、よく見ていたのだけれど、韓国ドラマには興味がなかった。
 二〇二〇年に『愛の不時着』を見る気になったのは、周囲で話題になっていたのと、世のなかがパンデミックに突入していたせいだ。たしかにおもしろくて、のめりこんで見た。北朝鮮の暮らしも興味深かったし、彼らの背負う背景のドラマもしっかり作りこんであるのもよかった。
 終わってしまうともっと見たくなって、話題になっていたり、勧められたりするドラマをかたっぱしから見ていった。『梨泰院クラス』『サイコだけど大丈夫』『トッケビ』『ミスティ』『秘密の森』……と見続けていって、あれ? と思ったのは『サイコだけど大丈夫』のあたりだった。このドラマは、パーソナリティ障害を抱える絵本作家と、自閉スペクトラム症の兄を持つ精神病棟勤務の保護士を中心に描かれる。あれ? と思ったのは、恋愛の扱いかただ。恋愛ドラマに多いのは、主人公たちの過去や背負ったトラウマ、現状の困難さなどが、恋愛の燃料として描かれることだが、これはまったく逆だ。絵本作家と保護士は恋愛をするのだが、しかしそれはドラマの中心でなく、彼らの背負ったものを際立たせるひとつの材料でしかないように、私には思えた。
 このドラマが描くのは、ヤングケアラーでありきょうだい児である青年と、毒親に育てられ生きづらさを抱えた女性の、それぞれの葛藤であり、自身の生を獲得する闘いである。ドラマはたぶんにファンタジックであるし、コミカルに描かれているけれど、芯の部分は、今まで呼び名がなかったがゆえに見過ごされてきた問題を、今あらためて、視聴者である私たちに意識させるところにあるのではないか。しかもその方法はけっして教訓的でも教示的でも説教くさくもない。純粋にストーリーをたのしんで見ているうちに、社会の抱える問題が私たちのうちに投影されるようになっている。
 それが私の「あれ?」の発端だったのだが、そのちょっとした引っかかり故に、韓国ドラマに抱いていた偏見は完全に払拭された。ときを同じくして、パンデミックの波は次々と襲いかかり、緊急事態宣言の発令と解除がくり返され、旅行と飲み会が生きがいの私はそのどちらも奪われて、毎日毎日家にいて、夕飯のあとに韓国ドラマと韓国映画をひたすら見続けた。
 それでふと思い出したのは、佐野洋子さんががんの闘病中、抗がん剤のつらさを「韓流ドラマで乗り切った」と書き記したエッセイのことだ。ベッドには人型ができ、同じ方向を見すぎて顎が外れるほど韓流ドラマと韓国映画を見続けた佐野洋子さんいわく「彼らは愛を信じている」。
 このくだりを読みなおし、大きくうなずいた。佐野洋子さんが見ていたのは冬ソナのころだが、今もってなお、どんな主題の、どんな問題を扱ったドラマであっても、韓国ドラマ韓国映画は、うつくしいもの、純粋なもの、いのちは救えなくてもたましいを救う何かを、ひたすらに信じている。闘病中の佐野洋子さんが韓国ものにハマったことと、闘病とは申し訳ないほど比べものにならないが、パンデミックのさなかに私がハマったことと、韓国ドラマと映画が持つその信念には、疑いようがなくつながりがあると私は思うのだ。

PR誌「ちくま」2月号

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