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生命誕生の条件は「増えて遺伝すること」だけ、しかしそれは46億年でたった一度の奇跡だった
『増えるものたちの進化生物学』本文を一部公開!

原始地球において生命はどのように生まれたのでしょうか? 生命誕生に必要な性質は「増えること」「遺伝すること」のたった2つです。この2つの能力が生物を進化させ、人間に自由と生きる喜びを与えた一方で、不安や迷いを植え付けました。生の悩みから生命の起源と未来を見つめる『増えるものたちの進化生物学』より本文の一部を公開します!

増えるものと増えないものの違い

 実は、進化が起こるには増える能力が前提として必要です。つまり、増えなかったら進化することはあり得ません。

 たとえば、増える能力を持たない岩石を考えてみましょう。岩石にも多様性があります。河原にある様々な石を思い浮かべてみてください。丸い石、ごつごつした石、平べったい石など形もいろいろですし、石のでき方によって種類も、チャート、砂岩、石灰石、蛇紋岩など様々です。この違いによって、石ごとに硬い、柔らかい、脆いなど性質が異なります。つまり性質に多様性があります。この性質の違いにより自然選択がおこり、何年も経ったあとの残りやすさに違いが生まれます。たとえば、砂岩などは比較的柔らかいので他の岩石よりも早く風化してなくなり、ほかのもっと硬い岩石はずっと形を保って残り続けることになるでしょう。

 ここまでの現象は、必要な時間は違いますがミジンコと同じです。しかし、ミジンコとは違って岩石は自らを増やすことはありません。したがって、どんなに生き残りやすい丈夫な性質を持っていたとしても、その性質が次世代に受け継がれることはありませんし、集団内に広がることもありません。いつかは砕けてしまって、また上流から新しい石が流れてきて、元の状態に戻るだけです。

 ここに増えるものと増えないものの違いがあります。ミジンコは増えて、どんどん性質がその環境に適したものに変化していきます。1億年前のミジンコは現在のミジンコときっと異なる性質を持っていました(少なくともDNA配列は大きく異なるはずです)。一方で増えない岩石は変化することはありません。1億年前の河原にあった石の性質は、現在の河原にある石の性質と変わることはないはずです。

 このように増えることは進化という現象をもたらします。ただ、今まで述べていませんでしたが、進化という現象のためには、増える以外にもうひとつ条件が必要です。それは「増えるときに性質が遺伝する」という条件です。

 たとえば、火は可燃物があれば燃え広がって増えることができますが、もとの火の性質は増えた火には遺伝しません。どんなによく燃えている火から広がっても、広がった先でよく燃えることにはなりません。青い炎が燃え広がっても、広がった先でも青くなるわけではありません。燃えやすさや炎の色は、元となった炎の性質とは関係なく、何を燃やしているかとか周りの環境によって決まります。このように性質が遺伝しない場合にもやはり進化が起きません。

 まとめますと、進化が起こるためには前提として「増える」という性質と「子孫に性質が遺伝する」という2つの条件が必要になります。そしてこれはただの必要条件ではなく、十分条件でもあります。つまり、どんなものでも(生物でなくても)増えて遺伝する性質があれば進化という現象が起こるということです。ふつう進化の話が出てくるときは生物を対象としているのでこんな条件を気にする必要はないのですが、生命の成り立ちを考えるときには、この進化する条件の有無がとても大事になります。

生命誕生に至る進化

 原始地球で生まれた最初の生命の元は、進化する条件をみたした物質、あるいは物質の集合体だったと想像されています。それがどんな物質からできていたかは諸説あります。少し前に述べたように、RNAだったとする説が人気ですが、アミノ酸がつながった「ペプチド」だったという説もありますし、今は生物に使われていない物質だったという説もあります。また単一の物質ではなくて複数の物質があつまったものだったかもしれません。ただし、いずれの場合もその物質(あるいは物質の集合体)は進化する性質をもっていたことはおそらく間違いありません。なぜなら、進化する性質がなければ、岩や石のようにいつまでたっても同じ物質のまま変化することはないからです。

 逆に進化することさえできれば、RNAやペプチドは増えるにつれて、どんどん増えることに有利な機能を獲得し、増える能力を向上させていくことができます。たとえば、今までは使い道のなかった物質を自分の材料へと変化させるような化学反応を起こすことができるようになるでしょう。また、外界と自分を分離する物質を作ることにより、細胞をつくって、材料を集めることができるでしょう。このようにして、もともとただの増える物質だった原始生命は、私たちが今日、目にする最も単純な生物である細菌のような生物へと進化していったと想像されています。

 これが現在、多くの研究者が信じている生命誕生のシナリオです。私がこれを初めて聞いたときにはにわかには信じられませんでした。それ以外に妥当な説明がないのはわかるのですが、増えて遺伝する能力を持った物質が生まれただけで本当に私たちのような生物へと進化するなんて容易には想像できません。この本を読んでいる人も同じ思いをされているかもしれません。

 そこでもう少し、この進化の様子を具体的に説明してみたいと思います。原始的な生命のことはほとんど何も分かっていなくて説明しにくいので、ここではロボットを材料にして説明してみたいと思います。本当に、増える能力を持つ物質が生き物になっていくのであれば、増える能力を持つロボットだって生き物に進化していくはずです。本当にそんなことが起こるでしょうか?

自己複製ロボットの進化

 よくできた未来のロボットを想像してみてください。ちゃんと手足がついていて、自由に動けて、器用で賢くて、見本とその材料を渡せばどんなものでも作ることのできる万能ものづくりロボットです。このロボットがいろいろな材料がすべてそろっている巨大な工場にたくさん配備されています。

 与えられた命令はただ1つで、「とにかく自分と同じものをつくれ」です。材料とエネルギーは豊富にあります。ロボットたちは自分の身体をよく観察して、自分と同じものを作ることによってどんどん増えていくでしょう。しかし、このロボットの工作は完璧ではありません。ときどき違う部品を使ってしまったり、部品が見つからなかったりすると、よく似た別の部品を使ってしまうこともあります。

 そのほとんどの場合では、新しく作ったロボットはまともに動かないでしょう。でも、ごくまれに間違えた部品がうまく働いて、もっと速く動けたり、もっと細かい作業ができるものが現れます。こうしてロボットの性能に多様性が生まれ、そのなかで一番自分を速く増やすものがどんどん増えていく自然選択が起こるはずです。

 そのうち材料が足りなくなれば、少ない材料で作ることのできる小さいロボットが増えてくるかもしれません。あるいは工場を飛び出して周りにあるものから材料を作り出す能力を持ったロボットや、他のロボットを壊して材料を調達する捕食者のようなロボットも現れるかもしれません。エネルギーが足りなくなってくれば、ソーラーパネルを作って太陽光からエネルギーを獲得する植物のようなロボットがでてくるかもしれません。あるいは、徒党を組んでお互いだけを選んで作りあうような社会性をもったロボットたちがでてくるかもしれません。

 さらに、ロボットに与えられた命令も変わるかもしれません。ここでは最初の前提としてロボットに「とにかく自分と同じものをつくれ」という命令を与えていましたが、この命令もロボットが変えられるように設定しておけば、命令にも多様性が生まれます。「自分と同じものをつくれ」という命令が壊れてしまってはもう増えることはできないのでダメですが、この命令に追加して「そしてそのうち、壊れないように身を守れ」という命令も新たに獲得する可能性もありそうです。なぜならこの命令を獲得したロボットは持たないロボットよりも、壊れかねない危険な行為を避けることで自らのコピーを残すチャンスが増えるからです。

 こうしてどんどん子孫を残すことに有利な命令をもつロボットが増えていくことになるでしょう。さらにこの命令が増えるために効果的であればあるほど、もう書き換えられないようになっていくはずです。そうしてまるで生物のもつ本能のようにすべての子孫のロボットに定着していきます。

 さらにロボットは思考能力も獲得することでしょう。なぜなら、ロボットがなにかしらの思考能力を獲得し、「増えろ」という命令に従って臨機応変な行動をとれるようになったならば、そのロボットは意思を持たないロボットよりも有利に増えることができるからです。そうした意思をもったロボットは、きっと増えるためにいろいろなことを考えて実行に移すでしょう。他のロボットを観察して、有利な性質を真似するなんてこともするでしょう。それはただ増えることに有利な性質がたまたま生まれることを待っているほかのロボットに比べて、ずっと有利なはずです。

 つまり、万能ロボットが達成可能なことで、増えることに有利な性質は何でも生まれる可能性があります。こうして、ロボットたちはいろいろな能力と戦略を生み出して、工場を飛び出して世界中に広がっていくことでしょう。もし、私たち人間が、こんなふうにロボットが暮らしている惑星を見つけたとしたら、きっと機械の体を持った生き物だと思うのではないでしょうか。

 ここでロボットには最初は何の意思もなかったことに注意してください。彼らはただ自分を作る能力があって、それを発揮しているだけです。このロボットたちの進化は、いわば増えることにともなう物理現象です。その能力の結果、どんどん増えて、どんどん変わっていき、生物界に見られるような一次生産者、捕食者、社会性といった生命現象を起こすことになります。

 以上で述べたロボットには、最初に「とにかく増えろ」という命令が与えられていましたが、実はこの命令も必要ではありません。全くランダムな命令を与えていたとしても、十分にロボットの数が多ければ、中には「自分と同じものをつくれ」という命令を持っているロボットが現れます。そのようなロボットが1台でも出現すればどんどん増えていって、上に書いた現象が起きることになります。これがまさに生命誕生前に起きたことだと想像されています。

地球の歴史上で一度しか起きていない現象

 生命誕生前の原始地球において、何の命令も持たず、増えて遺伝する能力だけを持った物質が出現したと考えられています。ひとたびそのような物質が出現しただけで、上記のロボットのように様々な能力を生み出し、私たちが現在目にする生物へと進化したと想像されています。最初の物質はRNAでも別の物質でも構いません。増えて遺伝する能力を持つ物質がひとたび出現すると、同じような進化現象がおそらく起きます。この物質によらず同じことが起こるという意味で、生命の誕生は増える性質が引き起こす物理現象です。

 ただ、この物理現象は、地球上で一度しか起きていないとされる極めて珍しい現象です。おそらく、「増えて遺伝する」というのが条件として厳しいからでしょう。増えることは炎のようにときどき観察されますが、遺伝のしくみはきわめて起きにくく、地球上で今のところ一度しか起きていないようです。

 ここで、「私たちはなぜ生きているのか」という最初の質問に対するひとつの答えが得られます。それは「増えて遺伝する物質が地球上で生まれたから」です。その結果、もっと増えたいという本能をもった生物がうまれ、増えたいという本能を強化していった結果、38億年後にサクラマスやハサミムシや人間のように、増えたくてしかたのない生物が誕生したというわけです。

 ただ、この答えは私が望んでいる答えの一部でしかありません。なぜなら、この答えはすべての生物に当てはまりますが、人間以外のほとんどの生物は生きることに悩んでいるようには見えないからです。池の中のミジンコも、散歩中のイヌも同じように増えたくて死にたくない本能を持っているはずですが、特に生きることに悩んだり疑問を持ったりしているようには思えません。私たち人間が生きることの意味に悩むのは、ほかの生物とは異なる人間の特別な事情があるように思えます。

 これについては本書内で、人間のもつ特別な生存戦略に焦点を当てて、「私たち人間はなぜ悩みながら生きているのか」を考えてみたいと思います。

増える性質のおかげで惑星や宇宙が滅びても生命は存在し続ける

 人間とはあまり関係ないですが、最後にすこしだけ、もうひとつ、増えるという現象のすごさを紹介したいと思います。

 先にロボットの例で説明したように、ひとたび増えるものが現れるとどんどん増えやすく、死ににくくなるように進化していきます。増えやすくなる方法には制限がありません。ありとあらゆる戦略で増えよう増えようとしています。その結果、とても頑強で絶滅させることは極めて困難な存在になってしまいました。私見ですが、たぶんもう生物を宇宙から根絶することは不可能なのではないかと思います。たとえば、地球上にはほぼどんな場所にも生物がいます。成層圏から深海、地中奥深くの岩石のなかにも生物がいます。そのほとんどは細菌などの単細胞生物です。これが地球中に約10の30乗匹ほど存在していると見積もられています。全宇宙に存在する星の数が10の26乗個だそうですから、それよりも1万倍も多いことになります。また納豆菌などの一部の細菌は栄養状態が悪くなると「芽胞(がほう)」と呼ばれる休眠カプセルを作ります。この状態になると極めて丈夫で、凍結や乾燥はものともしませんし、乾燥状態であれば150度の熱にも1時間程度は耐えることができます。また一部の細菌は太陽がなくても、地中に含まれる栄養素だけで生存ができます。

 こんなに丈夫で大量に存在する生物(主に細菌ですが)を絶滅させることができるでしょうか。隕石の落下や火山の噴火くらいでは恐竜のような大型生物は絶滅させられても、地中奥深くに棲む細菌はほとんど無傷でしょう。しかし、太陽は今も少しずつ明るくなり続けていますので、そのうち地球は熱くなりすぎると言われています。15億年後には地球の平均気温は100度を超え、そしてさらに約25億年後になるとすべての水が蒸発して宇宙に放散されてしまうとされています。そのころにはさすがに細菌も増えることができないでしょうが、それでも地中深くでは生きのびられるでしょう。そのうち完全に地球が太陽に飲み込まれてしまえば、地球自体が太陽に吸収されてしまい細菌もすべて死んでしまうでしょう(*)。

 ところが、細菌には宇宙空間でも少なくとも1年くらいは生きていけるものがいます。芽胞であれば多分もっと生きのびられます。つまり、宇宙に逃げ出すことができます。地球には火星や月からも隕石がやってきています。これは火星や月に大きな隕石が衝突した際にはじき飛ばされたものが飛んできたと考えられています。そんなふうにほかの星からやってきた隕石があるなら、逆に地球由来の岩石も隕石となって宇宙に飛び出していくこともあるはずです。その岩石には細菌も必ずいますので、細菌は地球を飛び出していくことができます。

 そうして長い間旅をして、もし生存可能な惑星にたどり着けばまたそこで増えることになります。きっとそんな可能性は低いでしょうが、チャンスは今まで38億年間もありました。地球上の水がなくなってしまうまでにさらに25億年あります。もしかしたらもうすでに地球由来の細菌がどこかの星にたどりついているかもしれません。

 そんなふうに宇宙を渡っていけば、生物はこの宇宙の終わりまで生きのびるかもしれません。そしてこの宇宙が終わるときになっても、そのときに最も発展していた知的生命体が別の宇宙に移動する方法を編み出しているかもしれません。そうなれば生命は別の宇宙で引き続き増えていくかもしれません。そんなことになったらもはや生物は宇宙の寿命を超えて存在できるようになります。もしかしたら地球生物もそうやって増えてきた末裔かもしれません。

 若干妄想めいた話ですが、増えるという性質のおかげで、惑星や宇宙が滅びても存在し続ける可能性が生まれたわけです。増えるという性質は世界を一変させるような恐ろしい性質だと思います。

*:Kaplan,H., et al. (2000). A Theory of Human Life History Evolution: Diet, Intelligence andLongevity. Evolutionary Anthropology 9 (4), 156-185.



目次

第1章 なぜ生きているのか …そもそもの始まりと進化の原理

第2章 なぜ死にたくないのか …命がとにかく大事な私たち

第3章 なぜ他人が気になるのか  …やさしくなければ生きていけない

第4章 なぜ性があるのか …子孫を残したいという「時代遅れ」の本能

第5章 何のために生まれてきたのか …人間として生きることの価値とは

『増えるものたちの進化生物学』

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