ちくま新書

聖徳太子にまつわる、もう一つの「歴史」

救う太子、呪う太子、嘲笑う太子……。彼はメシアか、怨霊か、超能力者か。その封印された謎に迫る、オリオン・クラウタウ『隠された聖徳太子』。こちらの「まえがき」を公開します。

聖徳太子は実質的な意味におけるところの、わが国の建設者である。それ以前の日本は、いくつかの有力な豪族の支配の下に分割されていた。ところが聖徳太子のときから、日本は統一国家を形成するようになった。それとともに、日本は世界史の流れのなかに棹さして進むようになった。
中村元『聖徳太子――地球志向的視点から』(東京書籍、一九九〇年、一一頁)


 仏教学者の中村元(一九一二―一九九九)のこの言葉のように、聖徳太子(五七四―六二二)は日本における偉人の中の偉人だ。今から約一四五〇年前の飛鳥時代を生きた皇族の彼は、冠位十二階を制定した実力主義者、遣隋使を派遣した外交の推進者、「憲法十七条」を作成した日本的デモクラシーの父として知られている。その肖像画とされるものは半世紀以上にわたり高額紙幣に使われてきたのみならず、教科書でも取り上げられており、その人物像は一般社会に広く浸透している。

 彼は、日本を代表する「歴史上の人物」と認識されると同時に、日本仏教の各宗や神道
諸派においても信仰の対象として位置づけられている場合も少なくない。修学旅行で有名な観光地の法隆寺や四天王寺を建立したのもその聖徳太子だ。現代的な基準では決して長いとはいえない生涯の中で彼は様々な事業を成し遂げ、仏教経典を講じ、今も残る立派な寺院の創建に直接かかわった。このような人物なら、十人の話を同時に聴くことができたといった伝説が生まれたのも不思議ではない。

 この興味深い存在についてもっと知りたい、詳しく書かれた本を読んでみたいと考えたとき、現代人の多くはまずオンライン上の書店の検索キーワードに「聖徳太子」と打ち込むだろう。その結果、上位に挙がってくるのは、聖徳太子の伝記の古典というべき坂本太郎の『聖徳太子』(吉川弘文館、一九七九年)に、吉村武彦の『聖徳太子』(岩波新書、二〇〇二年)、東野治之『聖徳太子――ほんとうの姿を求めて』(岩波ジュニア新書、二〇一七年)、そして大山誠一による編著『聖徳太子の真実』の文庫版(平凡社ライブラリー、二〇一四年)や、石井公成の『聖徳太子――実像と伝説の間』(春秋社、二〇一六年)であろう。いずれも古代史あるいは仏教学を専門とする研究者による著書で、中にはかなり熱い議論を巻き起こしたものもある。現代の私たちは、これらの書籍を手に取ることで、太子の生涯だけでなく、「学界で聖徳太子はいかに語られているのか」あるいは「語られてきたか」を知ることができる。

 検索結果にはさらに、梅原猛『聖徳太子』の文庫版セット(集英社、二〇一六年)、または田中英道の『聖徳太子――本当は何がすごいのか』(育鵬社/扶桑社、二〇一七年)のように、かつて大学教員だった者によって書かれてはいるが、今日の学界の常識を反映しているとは言えないような著作も挙がってくる。だが、著者の地位や立場性を考えれば、これらの著作が一般社会における太子像にもたらす影響も無視できない。

 一方で、聖徳太子関連の書籍には、彼に関する何らかの「秘密」を読者に告げようとするタイトルのものも少なくない。例えば、歴史評論家の関裕二による『鬼の王権・聖徳太子の謎』(日本文芸社、一九九八年)や『聖徳太子の秘密』(PHP文庫、二〇〇五年)、中山市朗『聖徳太子の「未来記」とイルミナティ』(学研プラス、二〇一七年)、井沢元彦の『聖徳太子のひみつ――「日本教」をつくった』(ビジネス社、二〇二一年)、そして他の人物との関係を語る西孝二郎『安倍晴明と聖徳太子の秘密』(彩図社、二〇〇三年)など、タイトル自体に「秘密」を掲げているものもあれば、そのような雰囲気をまとったタイトルの書籍もある。

 その他、太子ゆかりの場所のミステリーを解くような書籍―久慈力『聖徳太子と斑鳩京の謎』(現代書館、二〇〇七年)、中山市朗『聖徳太子 四天王寺の暗号』(ハート出版、二〇一三年)―などもある。これらはごく一部にすぎないが、特に一九九〇年代以降に誕生した、太子にまつわる様々な「謎」を探りながら彼の「真相」を読者に解き明かそうとする「ノンフィクション」を謳う書籍はとにかく数が多い。

 聖徳太子にまつわる秘密や謎を取り上げたこれらの書籍の根底に流れるのは、日本人が教育機関で学ぶ「聖徳太子」のイメージは実は「真実」と異なる、との意識だ。そして、隠された「真実」がわかれば、太子という存在や彼のしてきたことの真の意味もおのずと浮き彫りになり、さらには日本の歴史全体についても明らかとなる、とされる。そのいわば、隠蔽されてきた歴史を、多くの著者たちが独自の資料調査や分析方法、そしてアカデミックな研究者にはない鋭敏な洞察力で発見し、それを読者に公開してきた。例えば、謎を解く「秘密」の鍵は、聖徳太子と誰々との関係にある、暗号として彼ゆかりのどこどこの寺院に隠されている、あるいは、「偽書」とされる某資料に書かれている、などだ。
〝隠された真実〞を追う書籍の基本的なプロットは以上のようなものだが、ヴァリエーションも多い。例えば、関裕二の『聖徳太子は蘇我入鹿である』(ベストセラーズ、一九九九年)や木村勲『聖徳太子は長屋王である』(国書刊行会、二〇二〇年)のように、歴史の教科書で記されている太子の正体は実は、別の人物であり、その事業も異なる存在によるものだとする著作など。そうした書籍が一九九〇年代末頃から増えていくのは、大山誠一の「虚構説」の発表と無関係ではないようである。古代政治史が専門で中部大学教授だった大山は、『〈聖徳太子〉の誕生』(吉川弘文館、一九九九年)などの書籍で太子の虚構説を唱えた。簡単にいえば、斑鳩で宮や寺を建立した有力豪族の「厩戸王」の実在は認められるが、その人物の事績を踏まえた「聖徳太子」という聖人は、『日本書紀』の作者の創造である、との説である。

 大山の太子虚構説は、学界の中でも、賛否両論の嵐を巻き起こした。大山説はある時期にアカデミズム史学で注目され、それに触れる教科書も出てきた。そして、大山のもともとの意図がそうでなかったにせよ、彼の説は太子陰謀説を掲げる多くの「トンデモ本」にも直接的なインスピレーションを与えたのである。いわゆるトンデモ本は、アカデミズム―あるいは「科学」―の権威を借り、その成果の意味を場合によって曲げつつも、自身の物語の根拠として好都合なところだけ用いる。これは、いわゆる「偽史」の特徴の一つであると言えるだろう。

 しかし、これは偽史のみならず、アカデミズムの中で極めて水準の低い歴史研究に見られる特徴でもある。ここで強調したいのは、いわゆる正統な歴史研究とそうでないものを明瞭に区別するラインというよりも、むしろその二つの関係性である。アカデミズムから生まれた発想が、いわゆる「偽史」として語り直されることで話題性を増し、そのテーマの大衆化が、アカデミックな研究の推進力となっていく場合は珍しくない。本書で確かめていくように、二〇世紀の聖徳太子研究とはまさに、そのラインの曖昧な性格を物語っている。〝隠された(オカルト)太子〞を検討することは、その「実像」の形成史を考えるのと不可分な作業であり、正統とは、異端があってこそ初めて明らかなものとなる。
 六世紀から七世紀にかけての「聖徳太子」の歴史的実在はどうであれ、少なくとも八世紀以降、聖徳太子という存在は、日本列島の人々の心を動かし、その存在に数多くの偉業が託されてきたことは事実である。そして、その物語は今も続いており、近現代の太子にまつわる「偽史」もまた、その時代の人々の何らかの表現だったことも確かだ。つまり偽史を含む「異説」が成立する背景に、近現代人が「歴史」を物語る際の推進力ともなる強烈な願望があるため、異説の形成を考えるのは最終的に、歴史と人間の関係性そのものの検討にもつながる。すなわち本書では、異説を「トンデモ論」として切り捨てるのではなく、その裏面に秘められる意図を考慮し、日本列島の人々のある特殊なニーズに応えるために示された聖徳太子のもう一つの「歴史」を描きたい。