ちくま学芸文庫

自由という重荷に耐え「開かれた社会」に向かって
小河原誠著『ポパー(第2版)』(ちくま学芸文庫)刊行に寄せて

哲学者ポパーの信頼できる伝記として、また最新研究に基づくポパー哲学全体を俯瞰できる最良の入門としても広く読まれてきた定番書、小河原誠著『ポパー』が改訂のうえ、待望の第2版としてちくま学芸文庫になりました。文筆家で、アトリエシムラ代表の志村昌司さんが、本書の評を寄せてくださいました。ぜひご一読ください。

 

 20世紀最大の哲学者の一人であるカール・ポパー(Karl Popper 1902-1994)が改めて注目されている。戦後、東西冷戦下において、ポパーは左右の全体主義の批判者、西洋自由主義を擁護する知識人として知られていたが、冷戦終結後、特に日本ではポパーの思想はその歴史的使命を終えたとして、忘れられる傾向にあった。しかし2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻を目の当たりにして、独裁主義、全体主義の脅威は決して過去のものではない、ということを私たちは痛感させられた。報道によると、世界でいまだに100カ国以上の国が独裁国家と分類されている。まさに今、ポパーの思想が問われるようになっているが、その全体像を理解する格好の入門書がポパー研究の第一人者である小河原誠氏の『ポパー(第2版)』(ちくま学芸文庫)である。

 本書は、もともと講談社の「現代思想の冒険者たち」シリーズの一冊として1997年に刊行されたものである。ポパーの思想は認識論、科学哲学、確率論から政治哲学、社会哲学に至るまで多岐にわたっているため、全体像を理解することは容易ではないが、本書では専門用語や数式をほとんど使うことなくわかりやすく説明されており、初学者も十分に理解できる内容になっている。特に、後期ポパーの非決定論、三世界論、進化論的認識論などに関しては、他書での解説がほとんどないので重宝するだろう。近年、草稿や未公刊の原稿、書簡などを集めた米国スタンフォード大学フーバー研究所の膨大なポパーアーカイブの公開(1990)や、Mohr Siebeck社によるドイツ語版ポパー全集の完結(2022)によって、ポパーの一次文献に非常にアクセスしやすくなり、世界的に水準の高い研究論文も数多く発表されている。『ポパー(第2版)』も改訂にあたって、そうした最近の研究動向がきちんと踏まえられている。

 『ポパー(第2版)』に従って、ポパーの生涯と思想を簡単に紹介しておこう。ポパーは1902年、オーストリア=ハンガリー帝国の首都ウィーンのユダヤ人家庭に生まれ、世紀末から戦間期にかけてのウィーンの政治、文化、思想——とりわけ、同化ユダヤ人コミュニティ、オットー・バウアー率いるオーストリア社会民主党と「赤いウィーン」、オーストリア学校改革運動、カール・ビューラーらヴュルツブルク学派、異端的なカント主義の潮流であるフリース学派、シュリックやノイラートらウィーン学団など——に大きな影響を受けつつ、独自の思想を形成していった。その最も大きな成果は、科学哲学の記念碑的著作である『探求の論理 Logik der Forschung』(1934)にまとめられている。

 『探究の論理』におけるポパーの立場はしばしば「反証主義」と呼ばれる。その特徴は、「反証」を実証と反証の非対称性という論理的側面と、相互主観的な経験的テストによって理論を可能な限り反証にさらすという方法論的側面に区別し、その両方を併せ持った理論体系が科学としての資格があるとしたところにある。「反証主義」の立場に立てば、科学は常に反証にさらされ、永遠に仮説的な立場にとどまる。その意味では、科学は「不動の岩盤」ではなくむしろ「沼地」の上に立っていると言えるだろう。こうしたポパーの主張は、絶対的な真なる知識の体系という私たちの従来の科学観のコペルニクス的転回を促すものであり、可謬主義(Fallibilismus)に基づいた非正当化主義的な認識論をもたらすものであった。

 科学と形而上学をどう区別するか、言い換えれば科学性の規準とは何かという哲学的問題は「境界設定問題」と呼ばれるが、ポパーは当該理論体系が反証可能性を持つかどうかを規準にすることによって、その問題を解決した。ただ、科学が実際に機能するためには理論体系が反証可能性を持つだけでは十分でなく、科学者たちが理論体系を反証にさらそうとする批判的態度を持つことによって初めて機能する。科学者集団が倫理的に守るべき反証主義の方法論的規則は、『開かれた社会とその敵 The Open Society and Its Enemies』においてより一般化され、市民による公共的批判を基礎とする「批判的合理主義 Critical Rationalism」と呼ばれる立場につながっていく。

 1933年にドイツでナチス政権が樹立されると、ポパーはユダヤ人であったがゆえに身の危険を感じ、1937年1月に妻とともにニュージーランドに移住しカンタベリー大学の講師となる。ポパーはかろうじて難を逃れたのであるが、ヨーロッパにとどまった16人の親戚がナチズムの犠牲になった。ポパーが遠くヨーロッパから離れた亡命地で自らの全体主義との闘いと位置づけた著書が、『ヒストリシズムの貧困 The Poverty of Historicism』と『開かれた社会とその敵』であった。当時のポパーの決意がいかほどのものであったかは、以下の言葉を見ればわかるであろう。

「民族主義的あるいは共産主義的形態をとっているのであれ世界史は呵責なき法則にしたがって進むという誤った信念のもとで犠牲になった、あらゆる国、あらゆる民族、あらゆる信条の無数の男女、子供たちの追憶のために。」(「献辞」『ヒストリシズムの貧困』)

マルクス主義に代表されるように歴史の必然的展開を信じ、そのためには犠牲もいとわないというヒストリシズムをポパーは『ヒストリシズムの貧困』において徹底的に批判すると同時に、『開かれた社会とその敵』では、全体主義の起源を部族的な「閉ざされた社会」へ戻ろうとする人間の本質的欲求にみて、プラトン、ヘーゲル、マルクスをヒストリシストとして徹底的に批判し、自由と民主主義を擁護した。ポパーの民主主義論は解職主義的民主主義とも言われるが、それは政治哲学の最も重要な問題を「誰が統治するか」から「いかに悪しき統治者を取り除くか」へ転換し、解職メカニズムを制度的に保証しようとする考え方である。「統治者が誰であるか」という問題ももちろん重要であるが、それ以上に、統治主体論が陥る主権のパラドックスを回避するという点において、「いかに悪しき統治者を取り除くか」という問題の方が喫緊の課題である。これは現在の独裁国家のあり方をみても明らかである。

 民主主義と全体主義――「開かれた社会」と「閉ざされた社会」――の戦いは、「閉ざされた社会」が人間の本質的欲求に根ざすがゆえに容易に解決されるものではなく、むしろ人類にとって永遠のテーマでありつづけるであろう。私たちが自由という重荷に耐え「開かれた社会」に向かって不断に歩み続けなければならないのは、それが人間らしくありつづける唯一の方法であり、私たちに課せられた倫理的な要請だからである。ここに私たちはカント倫理学の正統な継承者としてのポパーを見ることができるだろう。最後に、『開かれた社会とその敵』の結論的部分を引用してこの文章を終えたいと思う。

「人間でありつづけようと欲するならば、ただひとつの道、開かれた社会への道しか存在しない。われわれは未知なるもの、不確実なるもの、危ういもののなかに進んでいかねばならない。われわれは手もとにある理性を用いて、なしうるかぎり、二つのこと、すなわち安全と自由のために計画を立てねばならない。」(第10章『開かれた社会とその敵』)

 

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