心温まる、それでいてかならず落ちのある、しかも読むのに時間がかからない短編小説の名匠としていまなお多くの読者をつかまえているアメリカの作家にO・ヘンリーがいて、ぼくも訳者として編者としてちくま文庫で2冊ほど作品集を出させていただいているが、O・ヘンリーの作品によく登場するのが浮浪者である。20世紀初頭のニューヨーク、かれらは公園に住みついて、浮浪罪で挙げようとする警官の目を盗みながら、心優しいニューヨーカーになにかとお世話になっている。
浮浪罪で挙げるのは簡単で、警官の気持ちひとつだ。O・ヘンリーと同時代を生き、じっさいに挙げられたジャック・ロンドンは、浮浪者は警官の生活を助けていたのだとばかりに、『ザ・ロード』にこう書いている。
「もし放浪者が突然この国からいなくなったら、そのあと多くの家庭に不幸が広がってしまうだろう。放浪者がいるおかげで多くの人間たちがまともな生活費を稼ぎ、子どもたちを学校に通わせ、そして、信心深く勤勉な子どもに育てることが出来るのだ。私にはわかっている。かつて私の父は警官をしていて、生活費を稼ぐために放浪者狩りをしていたからだ。放浪者を捕まえると、1人につきいくらと手当が支払われた。(中略)私はいまでも、毎朝、期待と不安をもって、昨夜父は苦労の甲斐があったかどうか――放浪者を何人捕まえたか、有罪にすることが出来るかどうか――その結果を待ったことを覚えている。」
さらには、いったん捕まえると裁判も簡単だった、とやはりロンドンはこう書いている。
「ホーボーの裁判にかかった時間はわずか15秒だった。次のホーボーの裁判も同じように迅速に行なわれた。廷吏が「放浪罪です、裁判長」というと、判事が「30日」という。こうして自動的に進んでゆく。1人のホーボーにつき15秒――判決は禁固30日。」
「ホーボー」とは「hobo」で、「浮浪者」は「bum」で、厳密にはちがいがあり、ちくま学芸文庫のロングセラー『英語類義語活用辞典』では最所フミが辛辣に真実を明かしてくれているが、警官にしてみれば、ちがいなどどうでもよくて、捕まえたければ捕まえる。それが「vagrancy」(浮浪罪)だ。20世紀半ばになっても事情はいっこうに変わらず、ジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード』(これは河出文庫)のヒーローたるbumことディーンはスピード違反で罰金をとられると、こう悪態をついている。
「いったいなんの罪でつかまえようってんだ! たぶん放浪罪(ヴァグ)だな、全財産をふんだくって放浪罪でしょっぴくんだ。あいつらは楽なもんよ。がたがた文句を言うやつがいたら撃っちまえばいいんだから」
ケルアックはジャック・ロンドンのファンだった。ロンドンの伝記『馬に乗った水夫』(アーヴィング・ストーン著)が出たのは1938年だが、このときハイティーンだったケルアックはそれを読んでロンドンの人生に衝撃をうけ、なにかと真似をした。ホーボー的生活を試み、1日1000語(日本語にすれば約2500字)を書くのを義務にしていたロンドンに倣ってだろう、なんでもかんでもまめにメモするようになった。
ロンドンがホーボーをやっていたのは10代のときで、そのときのことを書いたのが『ザ・ロード』。物乞いが日課だったから、同情を誘う話をとっさにつくる術を身につけた。一日千語のノルマ&話術である。40歳で亡くなった短い生涯だが、多作だったのも納得がいく。
ちなみに、O・ヘンリーも刑務所で長年過ごしてから作家になった。こちらも短命で、ロンドンが亡くなる6年前に逝去、47歳。ちなみに、ケルアックも短命で、47歳。