紙子と学校

都心の一等地にあり、帝に仕えるための特殊技芸者を養成する中高一貫の女子校・玉笛女子学園。中等部に入学し寮で同室となった紙子と陽子は、不思議な先輩や先生たちとの交流を通じて成長していく。気鋭の詩人による和風学園ファンタジー、ここに開幕!(カット:鯨庭)

 電燈の下で、胴の長い女郎蜘蛛が糸を紡いでいく。
 あたりをつけるように、素早く縦糸を周囲に張り付けた後、横糸を重ねる。その動きを見ていると、縦糸はあくまで素描で、横糸こそが、蜘蛛の繊細な意匠を表しているように見える。
(父さんと同じ。わたしとも)
 これは紙師に限ったことではない。いかに素早く、祖型(注:プロトタイプ。原型のこと。)を仕上げるかが、実のところ、宮中の技師にとっての腕の見せどころだと、父は話していた。
 蜘蛛は、横糸から巣網を作ることはできない。縦糸を張らないまま、横糸、つまり意匠の部分ばかりこだわっていては、いつまでも紙細工は出来上がらない。一流の紙師は、まず祖型を早々に仕上げ、自らの意匠を施す時間を、最大限に確保するものだ。
 陽子が寝た後も、紙子はカーテンを開けて、窓の外に張り付いた女郎蜘蛛の巣を眺めていた。女郎蜘蛛は、窓の桟の陰に隠れている。紙子は振り返って、陽子の寝顔に光があたらぬように、カーテンを少し引いた。
 電燈に近いために、都内の虫がよくかかる。夜が明けて、日が白々と辺りを照らし出しても、風にでも吹きつけられるのか、大小の羽虫が引き寄せられてくる。獲物がかかれば、蜘蛛は喜びと興奮を抑えきれず、長い足をよたよたともつれさせながらとびかかる。捕食者と獲物の闘争で、巣が揺れる。命の律動とも見える。
 学校から帰ると、巣は汚れていた。持ち主の消えた翅。小さな枯葉。糸が絡まって、泥団子にようになったもの。見ると、窓の桟でまだ蜘蛛が身を隠している。女郎蜘蛛の腹部は、固く膨らんでいる。その眼は満腹を知らず、ただ巣を見つめ続けている。
(蜘蛛は、いつ眠るのか)
 そんな呑気な問いが、胸に浮かんでくる。
 老練な蜘蛛は、眠らないのだろうか。巣は、獲物を食うための道具でしかない。それなのに、いつしか自分が張った巣に、身も心も支配されるようになる。昼も夜も、獲物がかかれば一目散にとびかかる。それは、とびかからずにはおれないのだろう。眠れなくなる。醜いほど、一喜一憂する。
 父はまだ四十代だが、腹が大きく膨れている。顔も膨れている。髪は白髪が目立ち、頭皮は赤くただれている。黒縁の眼鏡は、おそらく、紙子が生まれてから一度も買い替えていない。文鎮のように重いレンズは、日に焼けた古い写真のように、茶色く変色している。
 父に甘えたくて身体を寄せた時、眼鏡が床に落ちて、黒いつるが、根本から折れたことがあった。翌朝にはいつも通り、父の鼻先にかかっていた。眼鏡のふちから、白い糸のようなものが、わずかに見えた。紙縒(こより)を釘のように打ち込んで、レンズと眼鏡のつるを繋いでいるのだった。
 宮中から注文があれば、時刻に構わず、紙子にも構わず、アトリエに身を隠してしまう。紙子が弁当を買ってきても、仕事の間は、飯も食わない。生きているのか、不安になる時がある。夜に庭に出ると、アトリエには電灯がともり、その中で父が動く影が見えた。
 食わずに、眠らずに、父は紙細工に夢中になる。父の、大きな腹。何が入っているのか。自分の眠りを食っている。昼も夜も、眠らずに獲物に取り掛かる、巨大な蜘蛛のように。仕事を終えて、巣が汚れる。アトリエから出てきた父の眼鏡のレンズは、手垢と屑にまみれている。
 紙細工は、見た目は「張り子」と呼ばれる工芸品に近い。もともとは「紙細工」ではなく、「紙子」と呼んでいたと父は言う。娘に紙子と名付けてから、「紙子」ではなく「紙細工」と呼ぶようになったらしい。
 張り子は、人形の形を決める木型が最初にある。木型の上に、糊を含んだ紙を水で濡らして、幾重にも貼っていく。それを火の熱にあて乾燥させてから、小刀で切り込み、中の木型を取り出す。切り込み口は、目立たぬよう糊で接着する。そうして彩色し、また火の熱にあてる。干からびた張り子は、頑丈とも言えるほど固い。中に生き物を入れたとしても、動かないだろう。「動く」ことは、期待されない工芸品なのだ。張り子は、ある瞬間に現れた美を、立体写真のように切り抜いた、「静」の美だと思う。
 一方で、紙細工は「動」の美である。木型を中に込めて成形することはない。「白玉」と呼ばれる、紙細工の魂のようなものを、中に込める。その白玉に、注文に応じた種の紋様を刻み入れ、塩を混ぜた水を含ませながら紙を重ねることで、ある瞬間に紙細工の命が宿る。ねじを回すよりも滑らかに、木偶(でく)は歩き始める。
 白玉を作るための紙を、揉んでおく作業は、幼い頃から紙子に任されていた。
 宮中にある文具店から、紙細工に使用する和紙をわざわざ取り寄せている。父と紙子が暮らす鄙びた家は、地元の製紙場で働く紙漉き職人たちの寮だったようだ。特殊な祭礼で使用する紙細工の場合には、紙漉きから自ら行うこともある。年中行事などの定例品であれば、宮中にいる紙漉き師の品で十分なのだという。パルプを使用していない、楮(こうぞ)のみで作られた和紙は、今は宮中からしか手に入れることができない。
 和紙には、「筋」と呼ばれる箇所がある。陽の光に透かした時に、葉脈のように浮かび上がる部分である。天然の素材でできていることの証でもあるが、これをそのまま白玉に混ぜてしまうと、祖型を作る際に飛び出したり、筆が引っかかって彩色が歪むことがある。この筋を薄い木串で掬い取り、あらかじめ除去しておくのだ。わずかに塩水を含んで、白玉は艶やかな肌に仕上がる。表面には、繊維の毛が生えている。質の良い白玉は、紋様を描き入れずともぶるぶると震える。木桶いっぱいの白玉を眺めていると、紙子は根拠のない悪寒を感じるのだった。