ちくま学芸文庫

「植物の文学」
龍膽寺雄『シャボテン幻想』

倉敷の古本屋『蟲文庫』の店主にして苔愛好家の田中美穂氏が、異端の作家・龍膽寺雄の名著『シャボテン幻想』(ちくま学芸文庫)に寄せた解説。

「草木の中で最も石に近いから」
 鉱物の専門家でサボテン狂いの知人が、自分がなぜサボテンが好きなのかということを、尋ねもしないのにそう話してくれたことがある。硬質で容易には変質しない、そんなものに対する憧れなのかもしれない。たしかに人間というものはじつにやわらかく、うつろいやすい。
 その知人から、もうずいぶん前「2冊持っているから」と譲り受けたのが、この『シャボテン幻想』だった。以来ずっと仕事机の上の本箱に並んでいる。そして、そこからわたしのサボテン多肉趣味もはじまった。
 『シャボテン幻想』は、昭和49年(1974年)に毎日新聞社より刊行された。その後昭和58年(1983年)に北宋社から復刻されているが、装幀以外は、口絵をふくめ、ほぼ同じ内容のようだ。
 サボテン多肉の雑学蘊蓄大全といった趣で、著者の長年にわたるサボテンの栽培、観察、研究、見聞、考察の成果が全編にわたって繰り広げられており、当代随一のサボテンマニアの面目躍如の感を呈している。

 龍膽寺雄は、明治34年(1901年)千葉県印旛郡佐倉町に父橋詰孝一郎、母りくの三男として生まれた。国文学者で中学教員であった父の勤めの関係で、同年茨城県稲敷郡に転居。大正7年(1918年)旧制下妻中学校を卒業後、慶応義塾大学医学部入学、5年在籍ののち中途退学する。
 大学中退の翌年、昭和3年(1928年)雑誌『改造』の十周年記念懸賞小説に「放浪時代」が一等で当選。これが佐藤春夫や谷崎潤一郎の激賞を受け、華々しい文壇デビューとなった。
 この時の転身の理由を『芸術至上主義文芸』7号(昭和56年)での聞き書きで「医者が嫌いになったわけではなく、むしろ科学者は大好きだ。しかし小説ばかり書いていたもんだからとても両立はできなくて、医者のほうをあきらめてしまった」というふうに答えている。
 「アパアトの女達と僕と」「街のナンセンス」「風——に関するEpisode」などを次々と発表。都会の風景や風俗を切り取った、これまでにない、明るく軽やかで斬新な作風や言語感覚から、当時隆盛期であったプロレタリア文学に対する「新興芸術派」の代表格、「モダニズム文学」の旗手として、一躍時代の寵児となる。いわゆる純文学の作品から、ともすれば「軽薄」などと揶揄されるような通俗的な小説も多く書き、ジャンルはファンタジーから歴史小説まで多岐にわたる。詩作も多い。ただ、一貫して細密精緻な写生主義的描写と醒めた諧謔とが、重たい場面にもいくらかの浮力をもたせ、情緒に流されすぎないための足がかりのようなものを残してくれているように感じられる。「明るく、乾いた」と形容されるこういった文体が、龍膽寺特有の、幻想的な、ロマン主義的な雰囲気とあいまって、当時の主に若い世代から熱烈に歓迎されたのだろう。
 しかし昭和9年に発表した「M・子への遺書」による筆禍を境に、以降文壇から距離を置くようになる。このあたりの事情は、いまとなってははっきりしないのだが、龍膽寺自身は「(文壇から)抹殺された」とも書いている。
 その後も文学から離れることはなく創作は続けられたが、以前から熱中していたサボテンの栽培と研究に打ち込むようになる。サボテン研究家として、国内外に知られ、一時期はテレビやラジオの園芸番組に出演していたこともあるようだ。この強烈な印象を残す名前がお茶の間にも知られていたかと思うと面白い。『原色シャボテンと多肉植物大図鑑』(誠文堂新光社)をはじめとした図鑑や栽培指南書などの著作は十数冊にのぼる。
 昭和59年〜61年にかけて、昭和書院から、自身の編集による『龍膽寺雄全集』(全12巻)を刊行。
 平成4年(1992年)に91歳で亡くなっている。

 サボテンがどんなものか想像もつかないという人はあまりいないと思うが、最近まで、多肉植物という言葉にピンとこない人はわりあい多かった。そんな時は「アロエみたいなやつですよ」と答えると、たいていすぐに理解してもらえる。趣味園芸としてだけでなく、「医者いらず」などといい、火傷の手当てやお腹の薬として栽培していたお宅は多いので、むしろサボテンよりもより身近なはずなのだ。どちらも肉厚な葉や茎、時に根にまでも水分や養分を多量にたくわえるのが特徴で、長い期間雨が降らず乾燥したままでも、それに対抗して生きていけるような体の組織を持っている。
 この両者の違いは、刺がはえる刺座(アレオーレ)という白っぽい綿のような部分があるかないかというところにある。刺座のあるほうがサボテン、ないのが多肉植物。たまに刺のないサボテンもあるのだが、それでも刺座は残っている。
 ただ、サボテンは本来、多肉植物の中の一種なので、正確には「サボテンとその他の多肉植物」と表現するのが妥当なのだ、と龍膽寺先生もどこかに書いておられたが、分類上は別の科属であるけれど、生態や形態を考えるうえでは、ほぼ同じものとしても問題はない。
『シャボテン幻想』は、古今東西のサボテンに関する雑学や蘊蓄の集大成とはじめに書いたが、しかし、そのいずれもが「サボテンと人間との関わり」や「サボテンから眺めた人間社会」をテーマにしたもので、決して浮世離れした「サボテンのお話」ではない。むしろ龍膽寺雄という人が、いかに人間というものについて関心を抱き、考えつづけていたかということが浮き彫りになっているもので、ともすれば、サボテンの皮をかぶって自身の内側にある屈託を表しているような部分さえある。とにかく相当に人間くさいのだ。
 サボテンが地上に現れたのは、「地殻の大きな変動が内陸を隆起させて、海の湿気と隔絶したところに、砂漠という奇怪な世界をつくりあげてからのこと」で、「われわれ人間の、直接の祖先であるホモ・サピエンスが出現したのと、奇しくもほとんど前後した時代だ」とある。詳しく調べたわけではないが、現在のわたしの認識もおおよそそんなところだ。
 そして、サボテンというのは植物の中で最も「新しい」「モダン」な植物であり、人間とは切っても切れない間柄の「地上の双生児」のようなものであるともいう。
 本書の中で、サボテンの造型について、
《この精緻をきわめた、まったく無駄なしに、必要ぎりぎりに設計されたのっぴきならぬ造型が、この植物の姿形となったのだ。》
 と書いている。まさにモダニズムだ。
 昭和10年代の商業広告デザインの本を眺めているとサボテンを図案化したものが登場するし、いかにも「モダン」な装幀の一般向け植物図鑑の表紙を球状のサボテンが飾っているなど、当時の尖端趣味に大変なじみのよいものだったのだろうと想像できる。
 「善人なおもて成仏す」という文章の中で、サボテン好きと一般の草花好きとの違いについてのべられている。後者が一般に「悪人はいない」といわれるのに対して、前者は「植物的性格というようりはむしろ動物的性格」の「敵味方の概念が強く、油断ならない働きもの」だ、というのだ。
 これには、わたしも大いにうなずける。草花好きが羊のような草食動物的とすれば、こちらは肉食動物の雰囲気が強い。もちろん、皆が皆というわけではないのだが、実際、声が大きく、主張も強く、活力旺盛な眼光鋭い強面タイプが決して珍しくはないのだ。ちなみに、冒頭の鉱物研究者の知人というのも、おおむねその通りの人物だ。
《悪人とまではいかないまでも、この種の動物的性格の人間の人生は、植物的性格の人間のそれとくらべて、苦渋に充ちている。敵も多い。(中略)成功のよろこびにも失敗の悔恨にも、人一倍心を擦り減らす。この種の性格は、よろこびも悲しみも、激しく強いのだ。》
 サボテンは、孤独とともにある伴侶のような存在であるのだろう。そのような心象は、巻末の詩篇からもかいま見える。
 同様の傾向は、蛇、トカゲ、亀などの飼育や繁殖に熱心な爬虫類好きにもあるように思うのだが、以前、拙著『亀のひみつ』に、なぜ亀が好きなのかということについて、なんとか言葉にしてみようと、考えに考えたあげく、「あの、どこか寂寞たる孤独を思わせる存在が、人の中にもある孤独に触れて、むしろほっとさせてくれるようだ」と書いたことがある。
 これも「サボテン好きの心理」に共通していると思う。

 ところで、わたしはコケ植物の分類が趣味で、2冊ほど関連著書もある。本当はサボテンよりはコケについてのほうが詳しいのだが、このふたつには意外な共通点があることに気がついた。
 コケといってまずイメージするのは、しっとりとしたほの暗い森林に息づくみずみずしい緑の情景や、日陰のじめじめとした場所に繁茂する様子だが、じつは多くのコケは、他の動植物が生育しにくい「極地」で暮らしている。
 身近な場所では、アスファルトの隙間や街路樹の幹。生活圏を離れてみると、森林限界を超えた高山の山頂付近や、文字通りの極地である南極にはえているものまであるのだ。
 さすがに広大な砂漠の真ん中では無理だろうが、岩陰や植物の根元などにはきっと生えているだろう。我が家の、灼熱の太陽が照りつけるベランダでも、カラカラに乾いた植木鉢の中で多肉植物と乾燥に強い種類のコケ(ギンゴケ、エゾスナゴケなど)だけは何くわぬ顔で育っている。やはりコケも極地対応をして生き延びてきた植物なのだ。
 ただ、サボテンや多肉植物が比較的「新しい」植物であるのに対して、コケはまったくその反対。現在地球上に存在する植物の中では最も古いともいわれている。そしてサボテンにくらべて適応範囲が果てしなく広く、乾燥時の対策として、自らの水分をすっかり無くして乾ききったまま仮死状態(休眠状態)でやりすごし、そして雨が降るとあっという間に水分を含み、また何事もなかったかのように活動を再開する。という、これもまたずいぶんと変わった、そしてサボテンとはまったく逆の方法をとっているのだ。
 そしてこれは、龍膽寺の、「荒涼」とは「美」なのであって、生きる知恵とは、ここでは「荒涼の美学」にほかならない」という持論に対して、どこか通ずるものがあると思う。
 ちなみに、小説『虹と兜蟲』には苔太郎という名前の人物が、『風――に関するEpisode』には「闇の苔」という不思議な表現が登場するなど、意識的に「コケ」という植物を登場させているものがあるため、まったく関心がないわけでもなさそうだ。

 ところで、先の「善人なおもて成仏す」の中に、草花好きとはいっても「オモト好きや盆栽好きや観音竹好きや蘭好きなどには、ちょっとそれとは肌合いのちがうのがいて」「自己所有欲を価値観で充たすことで、満足したりしているような場合が、往々少なくない」とも書いている。たしかにあれらの古典園芸は、いったん入れ込むと身代潰すほどの世界なのだ。

 そういえば以前、オモトや東洋蘭に血道をあげている知人が「あんなの(サボテンや多肉などの趣味)は浅い」と吐き捨てるように言っているのを聞いたことがある。もちろん、単にその人の「好みではない」というのが何よりだろうけれども、このように極端な拒絶反応は、新興の、それもサボテンという一種異様な植物群と、それをわざわざ愛好する趣味に対する古典の側のプライドや生理的な違和感、恐怖、そしてある種の羨望もないではないだろうという気がした。
 サボテンについてといえば、他に、昭和30年代に書かれた「焼夷弾を浴びたシャボテン」という随筆がある。鉄兜にゲートルという戦時のいでたちで、懇意にしている近郊のサボテン業者をめぐってサボテンあさりをし、東京大空襲のあとには、そのひとつひとつの消息を訪ね歩くという、鬼気迫る情熱と執心とが描かれている。ほぼ実録と思われる私小説的な作品だが、やはりこれまで同様、視覚的なイメージの連鎖が活写される名作であると思う。全集にはおさめられているので、機会があればぜひ読んでもらいたい。
 戦火を免れた自宅の温室は、その後も維持継続され、砂漠どころかまるでジャングルの様相だったそうだ。
 ご長女である百合子さんの書かれたものによれば、80代も半ばをすぎても並外れた健康を維持し、創作意欲は衰えず、好奇心旺盛で「稚気満々」。4人の子供、8人の孫に囲まれた、ある面ではたいへん幸福といえる晩年だったようである。

 ただ、昭和35年に誠文堂新光社から出された『シャボテン』という、すばらしく立派なサボテン図鑑の序文に、
《私は、ひとはあまり知らない(文壇の諸君はよく知っているはずの)ある魔障にわざわいされて、実は、人生に生きて私の才能に課せられた本当の仕事というのを、まだ、しとげていない。》
 と、自ら「本当の仕事」と任じていた作家としては不遇であったことを率直に述懐している。
 そして、本書にも登場する、自身で栽培しているアガベ属のセンチュリー・プラント。これのいままさに伸びようとしている花梗を中途で切断し、その「育ちも枯れもせずに」いる様子を見守っているという記述とその行為そのものに尋常ならざる悲痛なものを感じ、しばし呆然となった。
 とはいえ、その文の結びには「この道楽のおかげで長生きできているので、これは妻子のためにもよいことだろうから感謝してもらいたいものだ」というようなことも書いていて、ついふっと笑わされてしまうが、しかし、その内にある無念さと孤独とがいかに深いものであるかは、想像に難くない。
《その前に、あるじは今立ち尽して、心のはるかかなたを吹き過ぎてゆく風の音に、耳を澄ましているかのように、じっとたたずんでいる。人の世の昼間の利欲の争いも、勝ったり負けたりよろこんだり悲しんだりした生活のどよめきも、かえって今は、もうはるか遠いかなただ。ここにいるのは、今は彼一人で、シャボテンの孤独と彼の孤独とが、ジッと静かに相対しているだけだ。ここの「時」は一瞬のうちにいわば永劫が流れているのだ。》
 自身の温室で、鬱蒼と繁るサボテンや多肉植物とともにすごす時間こそが、かけがえのない、心安らぐひとときであったろうことを想像すると、なおさら胸に迫ってくるものがある。
 『人生遊戯派』という随筆(昭和54年)に、サボテン図鑑などの著作について
《これは植物学書ではなく、私にとってはファーブル昆虫記同様、文学書のつもりだった。》
 と書いている。こういった意識がもっともよく現れたものが『シャボテン幻想』ではないだろうか。

 昭和21年に発表された小説『美人名簿』に、作者自身と思われる主人公の、こんな言葉がある。
《人生は遊びにきたところであり、人生上「仕事」とは生きるというそのことに他ならない。あらゆる才能、あらゆる情熱、精力の最後の一滴まで、人生というこの一大遊戯のために放蕩する、———これが本当の生きかただ。》
 孤独、諦念というものが通底してはいるものの、しかし決して枯れてしまったりはせず、最後まで純真な遊戯にふけり、ロマン主義者の、かくありたき姿を、わたしたちに示して去っていった人のように思う。

 我が家には、かれこれ20年ほど前から、本書の影響で育てはじめた「万象」「玉扇」に「岩牡丹」がいまも健在だ。一時、ご機嫌を損ねて何年ものあいだ成長が止まったこともあったが、どういうわけか最近はみなたいへん元気がいい。
 わたしももうだいぶ落ち着いた歳になってきたことだし、そろそろ庭に小さなサボテンの温室を作ってみてもいいかなと思っている。

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