PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

性もなく正体もわからないなにか透明なもの
“トーマ”の末裔たち・1

PR誌「ちくま」5月号より嵯峨景子さんのエッセイを掲載します

 少女を主題にした研究に取り組み、最近では少女小説研究家と呼ばれることもある。けれども、実のところ「少年」もとても好きなのだ。研究者としては少女をテーマに据えつつ、別名義では少年をイメージ源にした服飾小物のデザイナーとして活動する二重生活を続けている。
 こうした事情もあり、周囲にはイメージとしての「少年」に関心を持つ人、またハーフパンツをはじめ少年のようなファッションを好む人が少なからずいる。少女文化における少年表象を長らく観察してきたが、そのなかで一つの様式美として「ギムナジウム的少年世界」の人気の根強さを実感させられることが多い。
 この世界観のイメージ源が萩尾望都の『トーマの心臓』にある。『トーマの心臓』はドイツの寄宿舎を舞台に、少年たちの愛と死を描いた不朽の名作である。この作品に登場するギムナジウム(中等教育機関)というタームやリボンタイなどのアイテムは今もなお愛好され、繰り返し少年表象と結びつけられている。
 ここで同じ24年組の作品として、竹宮惠子の『風と木の詩』の存在が浮かび上がる。こちらはフランスが舞台だが、寄宿舎で暮らす少年たちの学園生活、制服にはリボンタイなど、設定は『トーマの心臓』と重なる部分も多い。しかし私が関わるファッションというジャンルでは、少年像として参照されるのは『トーマの心臓』であり、『風と木の詩』のジルベールではない。
 なぜジルベールではなく、トーマなのか。はだけたシャツから素肌をのぞかせ、しどけない姿で登場するジルベールは、その肉体の魅力と性の匂いを隠さない危険な存在である。冒頭から少年同士のベッドシーンを描き、少女マンガに革命を起こした『風と木の詩』は新しいジャンルを切り拓き、後続の作品に大きな影響を与えている。
 ジルベールが振りまくあやうい魅力は、見る者の心をざわめかせる。同時に彼の肉体や欲望は、硬質なイメージとしての少年性を突き破ってしまう生々しさを孕んでいる。服装を通じてフィクションとしての「少年」が楽しまれる時、求められるのはジルベールの生身の体に刻まれた性の匂いよりも、性が背景に退いた、虚構としての透明な身体であることが多い。一方、トーマが遺した詩には「性もなく正体もわからないなにか透明なもの」という印象的な一節が記されている。『トーマの心臓』では、性の入り口に佇む肉体を有しつつも、傷ついた魂を救済する精神性へと向かう少年たちの姿が描き出されている。透明な少年性のアイコンとして選ばれるのが『風と木の詩』ではなく、『トーマの心臓』であることも、これを踏まえると腑に落ちる。
 女性がハーフパンツを穿き、さらに靴下留めというアイテムを身につける少年的な装いの様式美に強い影響を与えているのが、映画「1999年の夏休み」(金子修介監督)である。この作品は『トーマの心臓』が原案となっており、ここにもまた“トーマ”の影が見え隠れする。
 永遠の観察者でありたいと願い、自分では一度も少年的な服を身にまとったことはない。そんな私だが、少年の影は見えないところに刻まれている。別名義にこっそりと忍ばせた「ユーリ」の響きは、『トーマの心臓』で翼を失ったユリスモールから拝借している。私は“トーマ”を心に抱きつつ、これからもさまざまな形で少年の姿を追い求めていくだろう。

 

PR誌「ちくま」5月号

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