先日、とあるインタビューを担当した時のこと。取材後のなごやかな雑談の中で、田辺聖子の『ゆめはるか吉屋信子 秋灯机の上の幾山河』が話題に上がった。
数多い田辺作品の中でも、『ゆめはるか吉屋信子』は私が最も愛読し、影響を受けている著作である。だが最近は再読しておらず、本棚の奥に仕舞い込んだままになっていた。帰宅後、久しぶりに朝日文庫版の上下巻を手に取り、そのずっしりとした重みを確かめる。手元の本は付箋だらけで、時を経て紙も黄ばみかけていた。だが、山口はるみが描くカバーの吉屋信子のまっすぐで意思的な眼差しは、今も変わらず揺るぎない。眺めていると、初めてこの本を読んだ時の興奮が蘇ってくるようだった。
吉屋信子の熱心なファンである田辺聖子が、敬愛する作家へのオマージュを込めて綴った『ゆめはるか吉屋信子』は、10年がかりで執筆された、原稿用紙にして2300枚という大著である。膨大な数の資料を駆使しながら、冷静かつ愛情にあふれる筆致で吉屋の実人生と作品を辿った本作は、単なる評伝には収まらない奥行きをもつ。吉屋の生涯と交差する歴史的事件や、女性作家たちの交友も活写した、明治・大正・昭和にわたる時代の証言集、そして近代女性文学にも光を当てた書物でもあるのだ。
出世作の少女小説『花物語』から、最晩年の歴史小説『女人平家』に至るまで、吉屋信子は生涯を通じて旺盛に創作を続けた、小説の神様に愛された作家であった。他方、私生活では門馬千代という同性のパートナーを得て、そのかけがえのない伴侶とともに50年間を過ごしている。
女性読者からは熱狂的な支持を受けた吉屋の小説だが、その作品は文芸批評の対象にされることはほとんどなく、それどころか男性作家や批評家たちは、嫉妬と侮蔑にまみれた視線を彼女に向け続けた。そうした偏見はジャーナリズムも同様で、吉屋が死亡した際の訃報記事でも、〈戦前、戦後を通じ、“信者”の多さを誇ってきたが、独身主義を貫き、家庭はさびしかった〉と語られている。
本作を通じて垣間見えるのは、そうした吉屋への過小評価や、偏向した作家像に対する田辺の憤りである。文庫版の解説を手掛ける斎藤美奈子は、それを〈静かな義憤〉と表現した。田辺は吉屋信子とその作品に寄り添いながら、彼女に対する不当な評価や偏見に対して、冷静かつ果敢に立ち向かっていく。その吉屋への敬愛の結晶こそが、『ゆめはるか吉屋信子』に他ならない。
もっとも、田辺は吉屋の仕事を肯定的に描写しているが、いくつかの箇所では疑問を呈することを忘れない。たとえば『私の見た人』に記された、足尾鉱毒事件で犠牲となった谷中村に対する的外れな見解。あるいは『底のぬけた柄杓――憂愁の俳人たち』で吉屋が作り上げた、実像とはかけ離れて歪曲された杉田久女像。
とりわけ田辺は、吉屋によって作られた久女神話の訂正と、彼女の名誉回復に力を注いでいる。これは、『花衣ぬぐやまつわる……わが愛の杉田久女』で女流文学賞を受賞した田辺らしい指摘であり、ここでもまた、不当に貶められている女性に対する義憤が垣間見える。批判的な言及と愛は両立するということも学んだ意味でも、印象深い箇所だった。
本書には、私がものを書くうえで肝に銘じている要素のすべてが揃っている。対象に対する深い愛をもちつつも、俯瞰する視点や冷静さを失わない姿勢。憶測や印象で書き飛ばすのではなく、資料の裏付けにもとづく誠実な記述。そして、何よりも、女性が女性を書く時にみせるやさしくあたたかな眼差し。今回久しぶりに『ゆめはるか吉屋信子』を再読し、襟を正された思いがした。これからも迷った時は、この本に立ち戻ろうと思う。
ちなみに私は吉屋の作品の中では、一連の少女小説と、『自伝的女流文壇史』をとりわけ愛している。『自伝的女流文壇史』は、それぞれの時代に生きた10人の女性作家と吉屋の交友を綴ったエッセイで、これもまた、女性が女性を描いた忘れられない一冊だ。
大変残念なことに、『ゆめはるか吉屋信子』は品切れで、電子化も行われていない。2023年は、吉屋信子没後50周年という節目の年だ。その時にこそ、この名著は復刊されるのだろうか。来たる2023年に向けて、吉屋信子をもっと盛り上げていきたい。