数学が嫌いだった。答えが一つしかないのは不自然に思えたし、そこに至る道筋が決まっているのもおかしい。国語だったら、もっと自由なのに。例え×を貰っても、先生を説得して△くらいにする自信ならあるのに。
理系の父はいきおい不出来な私の勉強を見る羽目になり、屁理屈ばかりこねる娘に何度も「でも数学は美しい。物理は美しい。世の中にこんなのすっきりしていて綺麗なものはないんだよ」と教えてくれた。
学校の勉強を離れた今の方が、数字の世界は好きだ(確定申告の時は、あいかわらずうんざりするけれど)。
表題作「5まで数える」を読んで、父が言っていた「数学の美しさ」とはこういうものかと思った。私たちを取り巻く世界と、頭の中にある世界、それを繋ぐのに、言葉はなくてはならない。言葉というフィルターを通して初めて、私たちは世界を認識できるのだ。数字もまた言葉の一つであり、数字でしか描くことができない世界がある。豊穣で、濃密な数字の世界を垣間見せてくれるのは、松崎有理さんならでは。
いや、それにしてもこの短編集に収められた作品群のバラエティに富んでること! それぞれ異なるオーダー、新しいチャレンジの元に書かれた短編を纏めたのだから、当たり前ではあるのだけど、松崎さんは長編においても一作ごとの味わいをがらりと変えてくる。第1回創元SFの短編賞をとった「あがり」は確かにSFであった。でも、その後書かれるものはほっこり人情ものあり、ジュブナイルあり(そもそも、創元SFの前に、第20回日本ファンタジーノベル大賞候補になってるしね)。個人的にはやはりSFを書いて貰いたいな、とは思うけれど、一作ごとに中身のわからないトリュフチョコレートをつまむような楽しみも捨てがたい。
そして今回はホラー!
そのホラーも、未知の病原菌と戦う研究者たちの壮絶な理系ホラー「たとえわれ命死ぬとも」、砂漠と手錠というオープンなんだけど密室な環境のサイコホラー「砂漠」、少年と数学者を巡る微笑ましいリリカル幽霊譚「5まで数える」。でも、ホラーと言いつつ、抱腹絶倒の疑似科学バスターズ「やつはアル・クシガイだ」「バスターズ・ライジング」、思わずにやりのキレのいいショートショート「超耐水性日焼け止め開発の顚末」もあったりするから気が抜けない。
個人的に好きなのは疑似科学バスターズ。ある意味結末がついてしまっているお話だが、夢オチだったとか、催眠術だったとか、前世の記憶だったとかなんとかうまく理由をつけて、どんどん続編を書いて下さらないものか。世に疑似科学の種は尽きまじ、あの三人に一刀両断に切ってもらいたいネタはまだまだある。
SF、ファンタジー、現代物に、ホラー。ジャンルを超えて生み出される多彩な作品群。でも、どれもきちんと松崎有理なのだ。さきほど中身のわからないトリュフチョコレートの例えを用いたが、中がジャンドゥーヤであろうと、キャラメルであろうと、抹茶であろうと、ベースとなるチョコレートが松崎味。ほろ苦くて、ユーモアが効いていて、丁寧で、温かくて、優しい。この根底にある、人間への信頼感、温かく、透き通った眼差しが、私はとても好きだ。
次は何を書いてくれるのだろう、どんな世界を見せてくれるのだろう、とわくわくしながら続きを待っている。
松崎有理さん渾身の短編集『5まで数える』。その帯に素敵なコメントを寄せてくださった声優の池澤春菜さんによるウェブ限定の書評を公開します。多彩な作品集である『5まで数える』に負けないくらい、カラフルな言葉で魅力を書いてくださいました。必見です。