ちくま文庫

アナーキー・イン・ザ・ニッポン
ちくま文庫『痛みの作文』解説

7月のちくま文庫新刊、現在の日本語ラップを代表するラッパー・ANARCHYさんの自伝『痛みの作文』より都築響一さんによる解説「アナーキー・イン・ザ・ニッポン」を公開します。

 二〇一一年に文芸誌「新潮」で「ヒップホップの詩人たち」を連載した。毎月ひとりのラッパーを選び、そのひとの本拠地に訪ねてインタビューし、音源から聴き取ったリリックとあわせて記事にしていった。並行して彼ら(女性ラッパーはRUMIひとりしか入れられなかった)のライブにも足を運び、ステージを撮影させてもらった。長い時間をかけてのインタビューはいつも刺激的で、リリックの聴き取りはいつも大変だったが、いちばん苦労したのが実は「ライブ撮影」だった。
 これを読んでくれているみなさんがどれだけヒップホップのライブに親しんでいるかわからないが、ふつうのロックやジャズとヒップホップのライブには、かなりちがう空気感がある。それはなにも客層が怖そうとかではなくて、まず時間が遅いこと。ライブハウスによっても異なるが、最初のラッパーが出てくるのが午前一時、メイン・アクトは午前三〜四時などという時間帯が珍しくない。「ライブを観て終電で帰る」のではなく、「ライブを観て始発で帰る」人間たち、つまりそのあと午前中寝ていられる人間たちのための音楽であるということを、それは意味する。
 そしてカメラマンを往々にして悩ませるのが、「ステージが低い」ことと、「舞台照明がない」こと。特にヒップホップに特化した小さなライブハウスでは、ステージとフロアの段差がほとんどない場合がしばしばで、そうなると観客が邪魔で後ろから撮影することは不可能。最前列にしゃがみ込むしかない。
 それが音楽でも演劇でも、ステージにはスポットライトなどの舞台照明が当たるのが常識だが、大バコは別として、ふだんのヒップホップのライブでは最低限のスポットもないのがふつうだ。つまり、とても暗い。しかもラッパーの動きは意外にダイナミックなので、高性能のデジカメをめいっぱい高感度に設定しても、動きを追尾していくのがすごく難しかったりする。
 深夜のライブハウスの、ねちゃねちゃする床にしゃがみ込んで汗をかきながら、どうしてヒップホップのライブはこんなことになってるのだろうと、よく考えさせられた。
 痺れた足を伸ばしがてら水分補給にバーカウンターに行くと、出番を終えたばかりのラッパーやDJがそこで、お客さんと見分けがつかない感じで飲んでいる。ロックのライブなら「楽屋で盛り上がる」のがふつうなのに。ヒップホップ系の小バコには楽屋すら存在しないし、出番が来たらフロアからステージに上がり、終わったらフロアに降りて、客をかき分けてバーに向かうというのがいつものパターン──当たり前のことをなんでこんなにくどくど書いているんだとヒップホップ・ファンは怒るだろうが、こうしたスタイルはライブ・ミュージックの世界でもけっこう特殊なあり方だと、僕は思うのだ。
 それはつまり、ヒップホップの世界では「演じる側」と「観る側」のあいだの敷居が、ものすごく低いことを意味する。そこに集うだれもがステージに立っておかしくないし、演者もまた観客のひとりである、そういう音楽の場の成り立ち方が、ヒップホップの本質を象徴している気がする。
 連載では十五人のラッパーを取り上げたが、渋谷とかではなく、なるべく地方在住のラッパーを選び、それぞれに「いちばんリラックスできる場所を指定してください」とお願いして、現地に足を運んで話を聞かせてもらった。「いつもそこでひとり練習してるから」カラオケボックスに呼んでくれたひと、「いつもそこで仲間とだべってるから」ファミレスに連れてってくれたひと、「いつも散歩してるから」公園のベンチで話を聞かせてくれたひと……いろいろなケースがあったが、京都在住のアナーキーが指定してきたのは「河原町にオープンしたばかりの自分のショップ」で、それは日本のヒップホップ史上ほとんど最速でスター・ラッパーへと駆け上がった彼の地位を示すものでもあった。
 アナーキーがファーストアルバム『ROB THE WORLD』でいきなり話題をさらったのが二〇〇六年のこと。それから十年あまりの年月が経ち、インディーズからメジャーへと移籍し、このような自叙伝も早々と出版され、ドキュメンタリー映画がつくられるまでになった。十年間で六枚というアルバム数は「多作」とは言えないが、アナーキーは他のラッパーとの共演やゲスト・アピアランスも数多く、それだけいまも求め続けられる存在であることを示している。
 デビューした最初の曲から、アナーキーが歌ったのは団地という「ゲットー」のリアリティだった。片親の、あるいは親無しで生きる子どもたちのこと、少年院のこと、暴力のこと、女のこと、仲間のこと……マスメディアの言う「下流生活」からはいあがろうとするエネルギーのことだった。
 そうして十年経ったいまもアナーキーは「下流生活」のことを歌っている。団地のことや女のことや仲間たちのことを。もう、ずっと前に「下流」を脱出したはずなのに。二〇一一年のインタビューで僕がいちばんこころ打たれたのは、「ラップで食えること」について聞いたときだった──
 

 当時からいっしょにやってて、いまでも食えないやつ、いっぱいいます。でも、それもヒップホップやと俺思うんですよね。売れてるやつだけがヒップホップじゃなくて、別に土方やってラップやってるやつでも、カッコええやつなんかなんぼでもいるし、それを俺は恥じたらあかんと思てるんです。その、いまの現状を。俺、若いやつとかにもみんな言うけど……ラップで売れることは夢じゃないですか。それに向かってることがヒップホップやから、土方やってようがぜんぜん恥じることないって。それがいつか土方やめれるときが来るって、信じてやるのが俺はヒップホップやと思うんですよね。
 俺だってグレーな仕事も、土方もやってたことあるし、そんなんをやめるためにもヒップホップやってたし、それが団地とかゲットーのドリームやと思うんです。みんなそれしかないんです。大学も行けへんかったし、高校も行けへんかったし、環境も悪かったし、会社員になることも無理じゃないですか。しかたないんです、みんな。
 ただ、俺はその現状を壊したくてやってる。俺がほんまにぶっちぎったったら、ほんまにヒップホップに光が当たれば、俺らの同志は全員メシ食えるかもしれないじゃないですか。だれかが切り開くしかないんですよね。いまの現状で上のやつらは満足してるかもしらんけど、俺はもうそんな上のやつらはどこかにやってでも、もっと切り開きたい。


 一緒の境遇で、一緒に育って、一緒に音楽の道を目指しながら、表現者としての優劣、成功と挫折、そういうものが仲間をいつのまにかバラバラにしていく。けれどアナーキーに一貫しているのは、かたくななまでに自分の出自とフッド=仲間たちにこだわる精神性だ。
 昨今のマイクバトルブームや、硬派なギャングスタ・スタイルでもパーティピープル系でもない、さまざまな領域に踏み込むラップが花開こうとしている現在、アナーキーのオールドスクール的なこだわりが新世代のラッパーやヒップホップ・ファンにどう映るのか、僕にはわからない。でもそれは、完成されたポップ・ロックの根底にいつもチャック・ベリーのロックンロールがあるように、ヒットチャートのブラック・ミュージックの根底にジェームズ・ブラウンがいるように、きわめて日本的な表現の形を獲得しつつあるヒップホップの、最初期のモチベーションを常に突きつけてくる刃であるように、僕には聞こえる。

 

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