十二月三十日、ぼってりふくらんだ封書が届いた。宛名の文字を見ただけで、「あ、ダダカンさんからだ!」とわかる。
いろんな片付けをぜんぶ放り出して、そっと封を開けると、いつものようにセクシーなグラビア写真の切り抜きが数枚、それに細長い短冊が一緒に入っていた。短冊には「何度でも脱ぎます、今年もアト四日!」と書いてある。添えられた手紙には、「……健康一番にお願いします。来年はどんな年になるのでしょう。平和な、あらそいのない年になりますよう……」とあった。伝説のハプニング・アーティスト、ダダカンこと糸井貫二さんは一九二〇(大正九)年生まれ。御歳九三歳のご老体に「健康に気をつけるように」と言葉をかけられて、どう感謝の気持をお返しすればいいのだろうか。
太平洋戦争をからくも生きのび、三〇歳を超えてからアーティスト・ダダカンとしてデビュー。絵画や立体など、かたちある作品を残すことよりも、みずからの肉体を使って行動するダダイストの道を選び、それが「全裸で町を走り抜ける」というハプニングに結実。我が国、というかたぶん世界最強の「ハプナー」として一世を風靡したあと、一九八〇年代からは雑誌などをペニス形に切り抜いて、手紙とともに送る「メールアート」に専念する生活を、すでに三〇年あまりも続けるとともに、九〇歳をとうに超えたいまも、毎日の全裸三点倒立を「わたくしなりのヨーガです」と言って欠かさない。
仙台市郊外の小さな一軒家にダダカンはひとりで住んでいる。ご両親の残してくれた戦前の平屋で、ちゃんと自炊して、本を読んだりテレビを見たり、雑誌のグラビアを切り抜いたり、全裸三点倒立をしたりする日々。
二カ月にいちど四万六四五〇円のお金が振り込まれて、それがダダカンの生活費のすべてだ。ときにはお金が足りなくなるが、そういうときは「庭のタンポポをおひたしにして食べたり……年寄りはそんなに食が進みませんから」と平然。「でもこないだ隣の奥さんが、雑草だと思って抜いてくれちゃって困りました」とこちらを笑わせておいて、「なにもしないでいられたら、それでいいんです」と最後に教えてくれた。
ダダカンのような人物を、世間は仙人と呼ぶのかもしれないが、その仙人ぶりを知らないひとにとっては、ただの負け組独居老人だろう。
いま、世の中でいちばん情けない種族は「独居老人」ということになっている。いっしょに住んでくれる家族もなく、伴侶もなく、近所づきあいもなく、最後は孤独死したまま気づかれず、残ったものはゴミ屋敷……みたいな。
そういう独居老人一六人を訪ね歩いてできたのが『独居老人スタイル』だ。望んでひとり暮らしを続けているひと、伴侶を失ってひとり暮らしになったひと、いろいろな事情でひとり暮らししかできなかったひと……だれひとりとして豪華な家に住んでもいなければ、「安心な老後」と言えるような資産も持っていなかったが、全員に共通しているのは「他人の言うことなんか気にしないで、好きなことをやり続けている」という生きざまだった。
それはひたすら絵を描くことでもあるし、毎日庭の木で「首をくくる」という異様なパフォーマンスでもあるし、見せるあてもないエッチな写真を撮ることであったりもする。没頭する対象はバラバラだが、没頭する深さはみないっしょだ。
そして脇見をしない。他人から褒められようともしないし、けなされても苦にしない。お金には恵まれないかもしれないけれど、ストレスもない。だからみんなすごく元気で、ようするに「ちょっと年取った若者」なのだった。
ダイエット、舌を噛みそうな名前のサプリ、ジョギング、エステ、若作りファッション……カネを儲けることや、有名になることと並んで、「いつまでも若くいること」はもはや現代人の三大強迫観念となっている。まる一年以上かけて、一六人の若年寄……じゃなくて「若い年寄り」と巡りあい過ごした長い時間は、僕にとってはそういう強迫観念からの解放をもたらしてくれる福音でもあった。