Re-think 現代写真論――「来るべき写真」への旅

第10回 新世界で写真を撮るということ

ヴォルフガング・ティルマンス

1 ティルマンスの『Neue Welt(ノイエ・ヴェルト)』をめぐって

 この「感覚の変容」を、的確にコトバで言い表すことはまだ発見されていないかもしれない。

 僕はヴォルフガング・ティルマンスを、同時代の最も大切な「写真家」として90年代から並走してきた。

 今、2012年に発行された彼の写真集『Neue Welt(新世界)』のページを繰っている。巻頭には、組まれた腕、車内で振り返る女の写真、エレベーターホールに並ぶ人々の写真から始まり、これが「世界」の姿なのだという事態に、われわれは「いきなり」「突然」没入させられる。まるで唐突に、イメージの高速レーンに侵入する気持ちだ。

 ここでは、写真を「作品」として「鑑賞する」などという静観は許されてはいない。イメージはデジタルで撮影されていて(これはティルマンスにとって、初めてのデジタル写真集である)、その結果、膨大な写真から厳選され、切り詰められた数で構成されているから、なおのことイメージはハイスピードで断続する。われわれは「乗り」に身を任せるしかない。それはティルマンスが、音楽に身を委ねるのと同じように、世界と「同期」するためにとった、写真へのベーシックなアティチュードである。 

 ページを繰る。ニューヨーク、上海、パプアニューギニア…。その旅の「意図」を読み取る隙は与えられないし、彼がtravelingした場所で撮られた写真群の間に、彼が過去に撮影した別の文脈の写真、例えば「silver」シリーズのアブストラクトがリミックスされ、新しい文脈が生み出され、「この同居・並置がまたNeue Welt(新世界)なのだよ」、という新たな「流動」が生成されてゆく。なんという感覚・思考の流れだろうか。

『Neue Welt』はティルマンスの「今・ここ」の写真の基本作法を開示している。 

Wolfgang Tillmans."Neue Welt". TASCHEN.2012.

 

 さらに、そこに写ったものについて考える。

 彼は今までの自らの写真を停止させて、新たな世界に向かった。『Neue Welt』は、スイスのクンストハレ チューリヒのリニューアルオープンに合わせて発表されたが、ティルマンスをコンテンポラリーアートワールドに押し上げてきた、当時の館長であり、辣腕キュレーターであるベアトリクス・ルフに対して、写真集に収録された対談でこう答えている。

「自分が世界の写真を撮り始めてから20年が過ぎた現在、世界はどう見えるのか、世界に対する『新しい』見方というのがあるのか。そして、技術的可能性が大きく広がったという意味でも『新しい』見方があるだろうか、それを知りたかった。近年の政治的・経済的激変そして技術的革新は、世界の様子をかなり変化させてきました」(『ヴォルフガング・ティルマンス』美術出版社刊に収録)

 彼は「新たな旅」に出たのだ。世界は、彼がデビューした90年代よりも制御不能なグローバル経済の嵐が吹き荒れ、一方では、ネットを通して管理されたディストピアとなった。

 彼は誰でもすぐに購入できるデジタルカメラ、その、とっても高度資本主義と共犯性の強いツールを持って、その「目」を持って旅に出たのだ。

 極論するならば、AIと自分の目を合体させて世界を観測しようとするサイボーグ(ダナ・ハラウェイ)のように。

 彼が撮る「スポット」は、彼が新たに選んだ「目」と同じような、変容体だ。都市のジャンクと人工的な表面、自動車のヘッドライトのデザインであり、食品加工やコピー、印刷の見本市のデモンストレーションであり、それらは消費と欲望とテクノロジーの進化の中で生成され変化し続ける、世界の表面だ。

 彼は「変容」に目を等しく向けるから、パプアニューギニアの小屋やエチオピアのバザール、ニューヨークの宝石ショップの前に停車中のリムジンカーも撮影される。これも「新世界」だ。

 オンラインで検索されるイメージと現実世界の混在、も対象となる。ペーター・フィッシュリ&ダヴィッド・ヴァイスがつくった作品「Visible  World」(1986年~)と同じ意図のように、全てのイメージがweb上に溢れて陳腐化するがゆえに、ティルマンスは、「新世界」に「わざわざ」出かけなくてはならない。

 その上、どこで何を撮るかは、ロジックなどより速い。「いいね!」ボタンは、コトバが構築する判断を破壊して、全てがまるで「早押しクイズ番組」のような思考を人々に与えている。しかし、その速度と同じように、ティルマンスはシャッターを押す。考えるだに、そんなことは不可能に思えるのに、彼はそんな最悪な「過密な雑音」まみれの世界の中にワープして、「全般的なノイズの流れから『響き出る写真』が撮れないか」と諦めないのだ。

 神経の反射で撮られた写真は、もちろん決定的瞬間を狙ったものでも、表現主体の造形意思でもなくて、世界に対して、自らをオープンにし続けることで得られる「同時性/同期性」の産物である。

 さらにティルマンスのユニークなところは、ホールアースやグローバルというコトバではなく、「アストロノーマル(天体的)」という鳥瞰するコトバで、その自らの新世界体験=写真行為を統括しようとする。その態度は、まさにヴィジョナリーと呼ぶにふさわしいと思われる。

 

2 「同時性」のためのオペレーション

 そしてもう1つ重要なことは、『Neue Welt』の流れで、複数の写真/イメージが、組み合わされ、ときには並置され、ときにはくっつけられ、またときには重ねられることで、3D的なレイヤーを生成しているということだ。

 これは写真編集において、単なるストーリーテリングのための起承転結的なナラティブからは、遥かに逸脱しているし、ヌーヴェルヴァーグの映画が開拓した、ジャンプカットによって、断続するイメージをぶつかり合わせる「異化効果」のオペレーションでもない。

 ミシェル・ド・セルトーは『日常的実践のポイエティーク』(1980年)で、社会権力とシステムの中で、見えないようになっているデフォルト化、そして文化の均質化に対して、民衆が日常実践でレジスタンス的に行う「ブリコラージュ」を高く評価して、それを行う者を「密猟者」と呼んだ。

 映画史をリ・エディットしてみせるジャン=リュック・ゴダールや、既存のレコードを勝手にミックスするDJたちはまさに、「勝手に」誤用とも思えるオペレーションを生み出してきた確信犯的な密猟者である。

 ここで問題にしなければならないのは、密猟者としてのティルマンスである。彼が『Neue Welt』で行なっているオペレーション、その前提としてどんな「密猟」の手法が生み出されてきたのかを、少し迂回になるが、振り返っておきたい。

 アートでは、20世紀初頭のダダ(クルト・シュヴィッタースやハンス・アルプ)の頃から、「コラージュ」というさまざまな「断片」を接合させたり、またたくさんのモノを集める「アッサンブラージュ」というオペレーションが生み出され、造形美術やデザインに大きな影響を与えてきた。

 しかしその背景には、戦争のカタストロフや、大量消費社会から生み出されてくるゴミ、というクライシスが要因となったものであり、本来的にはきわめてクリティカルなものだった。フランケンシュタインや、放射能によるミューテーションの産物のゴジラが、人間文明に対する批評的存在であるように。

 また、映画における重要な手法である「モンタージュ」は、視点の異なる複数のカットを組み合わせ、独自の意味をもたらす。映画監督セルゲイ・エイゼンシュテインの弁証法的な手法や、フロイト流の無意識を喚起するためのグリフィスによるモンタージュ理論など、映画において先鋭的に「エディットの科学」は発達してきた。しかし、これらのオペレーションは今や、ともにハリウッド流の編集のメインシステムとなり、人々へのイメージ操作の文法を形成している。

 それに対して、徹底して密猟をやめないのが、ジャン==リュック・ゴダールである。ゴダールは初期の『勝手にしやがれ』などでは、単純なジャンプカット(当時は物語が繋がっていないので「繋ぎ間違い」と評された)だったが、中期の政治闘争映画期には、文字・スローガン・ナレーションがイメージと同等にエディットされた。『ヒア&ゼア・こことよそ』 (1976年) は、商業映画にゴダールが復帰する直前の映画だが、まさに「ここ」と「よそ」、つまり、われわれの日常と闘争地の分裂を、図式的に弁証法的に止揚しないまま提示するというやり方が模索されている。「いかに繋ぐか」は、モンタージュの歴史において、きわめて弁証法的な思考の反映と捉えられた。しかし、ゴダールは独自のオペレーションを生み続けようとしたのだ。

 ジル・ドゥルーズは『カイエ・デュ・シネマ』の1976年のインタビューで「ゴダールは弁証法に頼るような男ではありません。重要なのは『二』でも『三』でもないし、それ以外の数でもなくて、接続詞の『と』なのです」(『記号と事件』1990年に収録)と見事に言い切り、重要なのは、「境界」を問題にすることだ、と言う。

 差異を止揚するのでも、多数性や多様性、さらには等価さえも問題ではなく、境界の「と」を問題にするのだと(これはティルマンスの『Neue Welt』において起こっていることにも繋がるのではないか)。

 ゴダールにおけるそのエディットが爆発的に展開されたのが、『ゴダールの映画史』だ。これは1988年からつくり始められ、1998年に完成した、全8章のビデオ映画シリーズ。まさにゴダールによる、90年代の思考のリアルが体現されている。素材となる映画は、ハリウッドはもちろん、ヌーヴェルヴァーグからイタリア、ドイツ、ロシア・アヴァンギャルドを中心に、日本を含む非西欧圏も含まれているが、選択はゴダールの独断と偏見のフィルターによる。

 もともとゴダールは、自分のプロダクションの名前を「ソニマージュ(フランス語のソン〈音〉とイマージュ〈映像〉を組み合わせたゴダールの造語)」としたほどであり、イメージだけでなく、音楽・音のモンタージュもまた重要なオペレーションだった。『ゴダールの映画史』は、ビデオの利点を逆手に取り、イメージのオーバーラップやオーバー・ダブ、リピートなどを駆使してできあがった「同期」と「非同期」が混在した問題作となっている。これは、『ヒア&ゼア・こことよそ』という解決し難いイラダチや、作品が現実世界に対してもつ立ち位置のイラダチを、矛盾のまま放り投げようとするゴダールの「映画」を批評するための「メタ映画」ではあるが、今からすれば、VJやDJの作業を先取りしているところがある。

 ちなみにゴダールはモントリオール大学での「レクチャー/上映」をまとめた本『映画史』の中で、自分が「明晰であるよりも、混ぜ合わせる映画をつくろうとしてきた。それは他者には『混乱』したものと見えるわけですよ。混乱をつくって、その中で明晰であろうとする」と矛盾を告白している。

 イメージの同期、非同期、コンバイン、衝突、分離、ズレ、亀裂……。

 長々とこれらのオペレーションについて書いたが、ゴダールの事例を、脱弁証法の先駆的なエディットとしてあげたかったからだ。

 ならばAI万能の21世紀ディストピアの中で、ティルマンスは、どのように20世紀的なエディットを乗り越えていくのか? それは、ゴダールの意識との共有性を持ちながらも、全く別の「こことよそ」についての「解」を提出することになる。その実戦の表れの1一つが『Neue Welt』なのだと僕は考える。 

 写真における同期、結合とは何なのだろう。ティルマンスにおけるそのオペレーションとは、何なのだろう?

 それは、もちろんグラフィックなエフェクトではない。デザインでもない。それよりも、その「感覚」の出自が、90年代クラブカルチャーの音楽や、DJたちのブリコラージュ感覚だと指摘することは単純に見え、意外と意味が深いかもしれない。

 ティルマンスにおいて、音楽が重要な感覚のモデルであることは明確だ。New Orderの「Blue Monday」こそが、「音楽のレイヤーを完璧に音で視覚化している」と語り、「レイヤーの共存とも言うべきものは、世界に対する僕の理解の核をなしている要素」だと)と雑誌『i-D』(2017年)のアンケートでも答えていた。

 そこには、音楽を含めた全てのイメージそのものがレディ・メイド化することで起こった「感覚」のシフトがティルマンスにおいて露出しているということが見て取れる。

 さらに言えば、『Neue Welt』のエディットに、最も似ているのはPCの画面だ。

 ゴダールは、映画を、世界を解釈した産物としてではなく、世界そのものを衝突させ提出できた稀有なアーティストである。ティルマンスもまた、その点では共通している。ゴダールの映画が、映画についての批評であるように、ティルマンスの写真もまた、写真への批評なのだ。

 ゴダールは言った。「見せるのだ! 語るのではない!」(『ゴダールのリア王』においてゴダール扮するブラギー教授の台詞)と。

 ティルマンスもまた、写真を「語る」のではなく、デビュー以来一貫して、いかに「見せるか」にこだわってきた。

 1993年のデビューにおいて、彼はマスキングテープによって壁面に直に大小のプリントをレイアウトするスタイルを「発明」し、世界中にそれを真似た若手写真家たちを発生させることになった。

 それは、単純な発見に見えて、写真のインスタレーションによって、意味がまるで変わるという重大なオペレーションの発見であった。彼は写真にどんなモチーフが写っているかによって「語る」以上に、写真というメディウム自体を世界として「見せる」アートに、シフトすることができたのだ。

 だからこそ彼は、2000年に写真家で初めて、コンテンポラリーアートの重要な賞であるターナープライズを受賞したのだ。

 しかし、ティルマンスのオペレーションは、破片を集め異質な美を生み出すコラージュではない。

『i-D』誌でのアンケートでも彼は、こう答えている。

「違うことが同時に起こっている、というその音楽の構造は、人生や世界そのものの構造と同じだと僕は思うんだ。視覚的にも僕はその視点から物を見てる。だから違った被写体や違ったジャンル、違ったフォーマットのものをひとつの世界に共存させるんだ。切り離すのではなくね。視覚的なものを音楽的にリズムやサウンドで考えるときがある」

 彼は展覧会にあたっては、たくさんの写真を持ち込み大音量で音楽をかけながら、インスタレーションを行う。それはイメージの意味を説明する文脈をレイアウトするのではなく、観客と共有できる感覚のレイヤーをつくる作業なのだ。

 

3 「Truth Study Center」とは何か?

 彼が1995年に出版した処女写真集『Wolfgang Tillmans』(Taschen刊)には、巻末に、1993年の初個展のインスタレーションヴューの写真が入っている。それを観るとわかるのだが、この時点からすでに、プリントと等価で、テキストの入った印刷物のページが切り取られ、壁にレイアウトされている。

Wolfgang Tillmans."Wolfgang Tillmans".TASCHEN.1995.

 また、1999年のロンドンのインテリウム・ギャラリーでの個展「SOLDIERS: The Nineties」を観る機会があったが、壁にインスタレーションされていたのは、インターナショナル・ヘラルド・トリビューンやニューヨーク・タイムズ、ドイツの新聞などに載ったさまざまな戦争の「報道写真」。あるものはカラーコピー、またあるものは複写され、インクジェット方式で拡大された出力だった。彼は写真の当初から、自らの写真とそれら「printed matter」を同等のものとしてきた。

 そのオペレーションが全面展開したのが、『Truth   Study  Center』(2005年)である。これは、この時代において「真実」を発見しようとすることのジレンマとパラドクスを、いかに問題提起できるかという現在のティルマンスに直結する作業である。

 とりわけ重要なのは、そのインスタレーションの方法である。木製のそっけない水平の平台(テーブル)の中に、自分で撮った写真、新聞の切り抜き、コピー、ネットの出力など、さまざまなマテリアルがミックスされレイアウトされている。

 僕が最初に見たのは、2009年のベニスビエンナーレの展示「Kepler / Venice Tables」だと思う。その後、2011年のポーランドのザヘンタ国立美術館での大規模な個展においてもこのテーブルシステムは発展する。2015年の大阪・国立国際美術館のソロ、2017年のテート・モダンのソロなどで対面してきた。

 壁面での写真の「垂直展示」は、大小、フレームの有無、写真と等価のprinted matterなどのオペレーションが進化し、写真としてティルマンスにより提出された世界をトランスディメンショナルに「見る」体験を更新してきたわけだが、一方で「水平展示」としての「Truth Study Center」は、まさにティルマンスの21世紀的な新たなエディットのオペレーションを示すものなのだ。

 とりわけ必見は2015年のハッセルブラッド賞に合わせて出版された写真集『Wolfgang Tillmans: What's Wrong with Redistribution?』だ。これは、2005年から15年までの、テーブルを撮影した写真の全てが収められている。「Manual for table construction」と書かれた巻頭には、テーブルのサイズから木の指定、アクリルガラスの厚さ指定まで厳密に指示されている。また、ティルマンス自らの1テーブルずつのレイアウト指示書、部屋の中でのレイアウト指示も挿入されていて、この作業が仮設的なものではないことがよくわかる。写真集と同等に、「エディット自体」が作品であることを示しているのである。

 重要なのは、この平台の作品が文字通り、進化した「プラットホーム」であるということだ。前項で、ドゥルーズの「と」という接続詞、「境界」そのものを提示することのラディカルさを、まさにこの『What's Wrong with Redistribution?』は、そのことを核心的に表現している。

「Truth Study Center」は世界各地の展覧会ごとに増殖し、日本の原発問題のテーブルもある。「redistribution」とは「再配分」を意味する。それは、富や情報や報道、権力の集中から、それを取り戻すのだ、という表明と考えてよいが、しかし明確な、白か黒か的な批評やレジスタンスを扇動しているようには見えない。

 それよりもまさに政治家によって、「トゥルース」があやふやにされ、価値の多様化という詐術による「世界の均質化」に抵抗するための密猟、ブリコラージュなのだ。

 PCの画面が、ヴィジュアルとテキストのハイパーレイヤーでできていることを批評的にハックしていることも重要だ(それも写真と紙と木で!)。テーブルはさまざまなディメンションを駆使してエディットされる。そのティルマンスのプラットホームは、そのような語りで、「再配分の何が問題か?」と、われわれに「問いかけて」くるのである。

 

4 オープンであること

 ちょっと振り返ってみよう。

 1968年生まれのティルマンスは、90年代に活動を開始し(1990年にイギリスへ移住)『i-D』マガジンなどでのファッションフォトやポートレイトで知られるようになった。その一方で1993年に初個展を行い精力的に作品を発表し続けてきた。しかし何と言っても重要なのは、2000年にコンテンポラリーアートの重要な賞であるターナープライズを受賞したことだ。

 僕は偶然にも、彼の初個展をロンドンで見て以来、その後も、ロンドン(テートやサーペンタイン)、ニューヨーク(PS1やツヴェルナー)、ベルリン(ブッフフォルツ)、チューリヒ(クンストハレ)、バーゼル(アートバーゼルのunlimited)、ベニス(ベニスビエンナーレ)、日本(ワコー・ワークス・オブ・アート、金沢21世紀美術館、国立国際美術館)などで彼の展覧会を見続け、何度もインタビューを繰り返してきた。2017年には、間をおかず行われた2つの重要なショーも観た。1つはロンドンのテート・モダン、もう1つは、アートバーゼルに合わせて開催された、ファウンデーション・バイエラーのそれである。

 2001年に『エスクァイア』日本版での写真特集で、ロンドンでインタビューしたときに、僕はこう書いた。

「1990年代、なぜか写真が時代の無意識を形にすることに敏感な季節が始まった。僕もそのことに惹きつけられた一人だった。多くの写真家と一緒に旅をし、写真集を編集した。冷戦の時代が終わり、湾岸戦争が勃発し、誰かが、すべての世界、歴史が終わってしまったと言った。しかし僕らは相変わらず生きていて、コトバが事態をつかまえられなくなった混乱の中に放り投げだされた。でも、微細な異和、見えないものを、いろんな人が見えるようにしようとした。それが写真だったのだ。だから僕にとって、ウォルフガング・ティルマンスは全くの同時代人だった」

 90年代に彼の写真に多くを学んだくせに、彼に初めてインタビューできたのは1999年、ターナー賞受賞の直前だった。それからもずっと彼のレーダーは、時代の中で写真というメディアの位置、なすべきことを再考するとよきに、今も僕にとって重要であり続けている。彼との長いインタビューをここに書き連ねたいところだが、最も印象的だった2004年のインタビューの発言を、ここに引用しておきたい。(以下SG=後藤、WT=ティルマンス)

SG テート・ブリテンの展覧会は、本当に素晴らしいものだった。その時に君が出したカタログがここにある。タイトルは『if one thing matters, everything matters』(もし1つのことが重要なら、すべてのことが重要)。鍵の束が表紙になってる。これは、君が今までに撮った「重要」な写真がすべてインデックス化されている。普通、写真家はいろんな事情で写真を撮る。コマーシャルだったり、記念写真だったり。そのつどそれらの写真は使われるけど、それ以外の写真が日の目を見ることはもうない。だけど君のやってることは、自分にとっての重要な写真がファイル化されていて、時間がたってゆくと、それがあるきっかけで再び成長していき、また違うインスタレイションとして発表されるということ。自分のすべての写真を等価に見ようとしているのを感じる。 

WT 今ここで感じている重要性の程度というのが将来において、もっと重要になるか、そうじゃなくなるかというのは、今の時点ではわからない。でもきっと重要だと思える時がくるという確信はあるんだ。1枚のスナップであっても、1杯の水を飲むことだって、やっぱり重要なことなんだと思う。そういう小さなことは、もっと大事なものになる可能性、ポテンシャルを秘めている。だから、将来それがどういう重要性を持つかは、その時点では決してわからない。僕は「現在」に対して自分をオープンにしていたいし、「将来」に対しても、 「過去」に対してもオープンでいたい。今、将来それが重要になるかわからないと言ってしまったけれど、でもやっぱり往々にして直観みたいなものがあって、その瞬間、これはいいと思ったものはやっぱり重要になってゆく場合が多い。どの写真が重要かというより、その 瞬間瞬間に「これだ!」という感覚。その時、その時の重要さを大切にしたいんだ。 

 僕が彼から学び続けていることの1つは、ここで語られている「オープンであること」だ。流動化し続ける「新世界」の渦の中で、それは狭義のアートを超えて、この時代をサヴァイブヴするために必須なことだ。

 そしてもう一つの大切なこと、それは「問い」だ。

SG 君の写真集の中には、消費とは違った「美しさの力」のさまざまが存在している。 よく友人としゃべるんだけど、君はファッションの仕事からスタートしたけど、消費されないで、ちゃんと写真の力を社会化したし、アートにすることができた。「どうしてティルマンスだけができたんだろう」ってね(笑)。 

WT (笑)。「質問」し続けることじゃないか。自分には「答え」はないからさ。たえず撮り続ければ動いていける。っていうか、先に進んで行けるような気がする。同時にそれは、 自分に対しても問いかけていかなきゃいけないこと。僕は自分の写真ってものを、もっと客観的に大きな視点から見るっていう真面目な見方もするけど、その一方で、とってもバカでドジで、いつまでもヘンなことをやってる自分っていうのもいるわけだしさ(笑)。

 彼との対話は、いつだって楽しく、そして示唆に満ちている。よく見ると「Truth Study Center」の中も、シリアスなものだけじゃなくて、可笑しなものも入り込んでいる。そう、彼がつくり続けるプラットホームはオープンな「対話」なのだ。それは未来にも続いてゆくだろう。

 

5 ポストトゥルースの時代にすべきこと

 2016年の3月に僕はG/P galleryとして、国際フォトフェアPhoto Londonに参加した。そのとよき、会場外の正面入り口に複数のポスターが貼られていた。それはイギリスのEU離脱反対運動という「問い」を投げかけるティルマンスによるメッセージだった。彼の写真の上に、メッセージがデザインされていた。

 彼のインタビューもネットで読むことができた。彼はこう言っていた。

「自由社会を奪い、権威主義の時代へと突き進もうとしている外国人排他主義的にして反EU的な右翼思想への反対運動に多くのエネルギーを注いでいこうと思っている」と。

 EUの価値観を解体しようとしている人物として「マリーヌ・ル・ペン、ドナルド・トランプ、ウラジーミール・プーチン」の3人の名前が明記されていた。 

 彼は、近年ますます「アクティビスト」としての活動に力を入れている。特定の政党のために立場を使うのではない。彼の動きは、自分の小さな力でできること。その力による変化を信じることに貫かれている。

 そのアクティビズムの活動は、2017年2月に発足した、200名を超すアーティストたちによる同盟「Hands Off Our Revolution」へと発展している。

 世界のポピュリズム、ファシズム、レイシズム、セクシズムへ対抗するための同盟だ。その最初の行動がUAL(University of the Arts London)で行われたが、ティルマンスはパネラーとして参加した。

「Hands Off Our Revolution」は、ポピュリズムに異論を唱える展覧会シリーズを開催する予定だというが、今後、われわれが予想する以上にアートシーンに影響ある動きになるのではないか。

 そんな予感と同期してあるのが、ティルマンスによるInstagramの展開だ。Instagramを積極的に「作品発表」の場として使うアーティストはスティーブン・ショアやシンディー・シャーマンなどいるが、ティルマンスは、全く異なっている。

 彼はまさに「新世界」を移動するときにキャプチャーした写真・イメージのタグとして、きわめて長文のテキストをつけるのだ。ときには、反ポピュリズム、あるときは反セクシズムの。

 彼はミシェル・ド・セルトーの言う密猟/ブリコラージュを、Instagramにおいても積極的に遂行しようとしているのだ。それは、SNSという与えられたシステムをハックし、再分配を企てる活動と言ってよい。

 ヴォルフガング・ティルマンスの写真への、単なる美学的批評は、再考されなければならないだろう。

「新世界」をいかに体験し、リアクションしていくのか。ティルマンスの活動が今、われわれにそう問いかけている。