丸屋九兵衛

第31回:長州力の怒りと、報道メディアの死。「BTS=ヒップホップ」&ヤンキー禁止令の彼方に

オタク的カテゴリーから学術的分野までカバーする才人にして怪人・丸屋九兵衛が、日々流れる世界中のニュースから注目トピックを取り上げ、独自の切り口で解説。人種問題から宗教、音楽、歴史学までジャンルの境界をなぎ倒し、多様化する世界を読むための補助線を引くのだ。

 日本にとっての昭和とは、前漢にとっての武帝時代、オスマン帝国にとってのスレイマン時代、ブリティッシュ・エンパイアにとってのヴィクトリア時代である。

 ……いや、日本は昭和前半にボロボロの敗戦という未曾有の惨事を経験したし、先の3帝国の3時代のような「絶頂」感を昭和に期待するのも無茶かもしれない。だが、「その国が空前絶後の存在感を発揮した」という意味では、昭和の後半は世界史上に記録されるべき時代ではないか。
 そして、「その後に下り坂が待っていた」という点でも、武帝・スレイマン・ヴィクトリアに通じるものがあるのだ。

 わたし自身、昭和という時代にはある種の思い入れがある。主に、「商店街」と「プロレス」という二つの分野で。
 だからこそ、長州力の名がツイッターで散見されると思わず反応してしまうのだ。先に「ハッシュド・タグ」「井長州力」という強力無比なヴォキャブラリー(?)で我々のマインドをブロウした長州力が、再びインターネット上で時の人となったのは9月1日のことだった。

 同日、東京・赤坂で開催された「ブラックサンダー リニューアル&新WebCM発表会」。
 詳しくはリンク先の記事を読んで欲しいが……大雑把に要約すると、準チョコレート菓子「ブラックサンダー」の新WebCMに登場した長州力が関連イベントに出たものの、記者団からの質問に気分を害した、ということ。
 特に、「長州さんは山口出身。安倍晋三総理が退陣を表明されましたが、同郷としていかがですか。サンダー級の衝撃がありましたか?」という質問に対して、「大変立派な総理だと思いますよ。その質問が本当に関係あるかな、質問するほうもおかしいんじゃない?」と返答した部分がハイライトだったようだ。

 アベちゃんを「大変立派」と心の底から思っているとしたら、「長州もセルアウトしたな」と感じずにはいられないが、そこは本題ではない。
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 世を去りし我が"姉"、中尊寺ゆつこ作のコミック『マダム陰&陽』には、イチローが記者会見で「昨日の晩ごはん何でしたか」「朝メシの方は何食いましたか」「パンツの色、何色ですか」と問われ、内心憤る場面がある。
 ことほどさように、日本の記者団の質問力は今一つ。それはわたしも認める。
 だから、長州力の苛立ちも、わからんでもないのだ。

 しかし。ひとつ引っかかるのは、先ほどのブラックサンダー記事にある「そもそもこの質疑応答では発表会に関すること以外は触れてはいけないルールだった」という部分。
 確かに、ルールを守らない輩ばかりの社会は困る。だが、報道陣がそういうルールを金科玉条のごとく遵守するような社会がいいのかどうか。
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 今でも原爆Tシャツ騒ぎを思い出す。
 あの時、そのTシャツそのものとは別に日本で話題になったのは「世界的な人気を誇る韓国のヒップホップアイドルグループ、防弾少年団(BTS)のメンバー」という表現だ。

 けーだぶ某の「謝罪の気持ちはわかったけど、あの子たちヒップホップではないよ。明らかにティーンポップだろ」というツイート(今は削除。鶏肉)を引用するまでもなく、日本の一部――ヒップホップ・ファンを自称する人たちの間――では「どこがヒップホップなんだよ」「ヒップホップなめるな」というアンチBTSセンティメントが噴出! そこから「BTSみたいな連中をヒップホップと形容するマスゴミが悪い!」というような理屈が展開されたと記憶している。

「BTSの本質はヒップホップか否か」はさておき、なぜ日本のメディアはBTS――普通なら「K-POPアイドル」と形容するであろうグループ――を「ヒップホップアイドルグループ」という枕ことば付きで報じたのか?
 答えは単純だ。
 それが、BTSの所属会社による「公式・枕ことば」だからである。

 ちなみにわたしは、彼らBTSこと防弾少年団(防彈少年團)ことバンタンソニョンダンの音楽を(ヒップホップというよりむしろ)完成度の高いR&Bとして楽しんでいる。が、それもこれも含めて「K-POP」というくくりでいいのではないかと思う。
 我が友人のウチナンチュ系アメリカ人美人姉妹(日本の事情には全く詳しくない)がわたしに投げかけた「K-POPの曲はほとんどR&Bかヒップホップなのに、なんでJ-POPはそうじゃないの?」という質問に象徴されるように。

 とはいえ、この話の教訓は全く別のところにある。
 日本の報道メディアは「公式」に弱い、ということだ。ほとんど言いなりである。
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 もう一つ例を書いておこう。
 あれは、『FINAL MISSION』だったか、『湯けむり純情篇』だったか……とにかく、何作目かの劇場版『HiGH&LOW』の時のことだ。

 EXILEというアーティストをどう捉えるかについては議論を放棄するとしても、『HiGH&LOW』シリーズを「ヤンキーの世界」と形容することに異を唱える人は多くないだろう。おそらく、あの映画/TVシリーズを見た人100人に訊けば、99人は「ヤンキー要素」を肯定するのではないか。
 しかし! そのころ手元に届いた『HiGH&LOW』試写状には――大胆不敵にも――「報道にあたって、ヤンキーという表現の使用はご遠慮ください」等と書いてあったのだ。

 その後、「ヤンキー報道でモメにモメた」という胸躍るニュースは聞かずじまい。やっばり日本のメディアは「公式」に弱いらしい。
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 特にピエール瀧の一件以来、電気グルーヴのことはとても気になっている。だから、昨年勃発した石野卓球と小学館の雑誌『Maybe!』編集部との一件も、興味深く見守ったものだ。

 発端は、石野卓球による全く関係ない内容のツイートに、同編集部がこんなリプライを送ったこと。

はじめまして。小学館の雑誌Maybe!編集部です。突然ツイッターで申し訳ございません。Maybe! にて取材のご相談があり、メッセージをお送りしました。企画書をご覧いただきたいと思っているのですが、事務所宛がよいでしょうか。もし可能であれば、DMにて一度やりとりさせていただけると嬉しいです。

 ……こういうものを阻止するために、ツイッター社は「返信できるアカウント」選択システムを開発したんやろな~と思えるトンチンカンさである。そもそも、それはメッセージやなしにツイートやし。
 対して石野卓球は、「俺まだSONYと契約あるのはご存知ない?」「まずは連絡先調べるのが最初の取材じゃない?」と応じている。それに対する『Maybe!』編集部のリプライは「ごめんなさい。SONYさんのメールフォームに企画書をお送りさせて頂いたのですが送信できず、ほかの手段を探してご連絡差し上げたく思います。送信できなかったのは、こちらのPCの設定のせいかもしれません。申し訳ありませんでした」……控えめに言っても、なんのこっちゃ。
 当然ながらツイッター上では、その『Maybe!』編集部への非難が吹き荒れた。「小学館内に知っている方が確実にいます。まずは身内に聞く。鉄則です」という優しい忠告から、「挙げ句の果てに、直接本人にアポ取るとか愚の骨頂。お前みたいのがいるから、マスコミ全体が舐められんだよ。小学校からやり直せ、カスが!」という荒ぶる怒髪天まで。
 だが、対象たるアーティスト本人に対して直に取材を申し込んでしまうことが、「愚の骨頂」と断じられるほどの大罪だろうか?

 かくいうわたしも、音楽雑誌『bmr』編集部の出身である。
 かなり昔、こんなことがあった。アメリカ在住の日本人ライターが現地のレコード会社(ユニバーサル系)に「bmrに依頼されています~」と偽って、某アーティストへの取材ワクを確保。独占インタビューを敢行したうえ、我々『bmr』編集部には(事前にも事後にも)何の連絡もよこさず、別の雑誌に書いたのである。その間、日本のレコード会社から「あれ? インタビューは?」と言われた我々は、青天の霹靂、寝耳に水、周章狼狽、五里霧中、天網恢恢疎にして漏らさず……と、さまざまな感情の噴出に苦しんだ。
 名前を使われた当方にとっても、アメリカからの知らせを信じていた日本のレコード会社にとっても、ほとんど詐欺。愉快な虚言癖を持つ人物には妙な親近感があるものの、この件に関しては迷惑以外の何物でもなかった、という記憶がある。

 とはいえ、昔は昔、今は今。我々が生きているのは、SNSが発達し、アーティスト本人に直接コンタクトを取るチャンスが天文学的に増加した時代である。この2010年代以降に「取材は正規ルートだけ」と限定するのも、面会を求める息子・中川圭一に対して「秘書を通しなさい~」を繰り返す中川龍一郎を思わせはしまいか。キアヌとネコ映画『キアヌ』の一件のように、本人のもとまで届けば即座にゴーサインが出る案件を会社やマネージャーが阻んでいた例もよく聞くではないか。
 だから、SNSでうまく本人に接触し、取材までこぎつけられればラッキー。そう考えた雑誌『Maybe!』編集部の気持ちもわかる。その手法、石野卓球には全く通じなかったが。

 わたしの持論。
 報道メディアというものは、示された正規ルート、正しいプロトコルに大人しく従うのではなく、努力を重ね、目標達成のため手を尽くすべきだと思うのだ……悪の組織のように。石野卓球に対して、ではない。権威・権力・体制側のモロモロにとって、まつろわない、厄介な存在であるべきだ、ということ。

「この質問は禁止」「掲載前に文章をチェックする」。そんなルールが必須ならば、正規ルートの取材とは御用聞きの別名、向こうが望む情報を望む形で広める手段でしかない。
 それは報道ではなく拡散、ニュースメディアではなくプラットフォームではないか。
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『じゃりン子チエ』21巻に、こんな話があった。

 大阪のヤクザ業界では、自分たちにとってのネメシスであるテツ(チエの父親)を含む竹本家(ヤクザではなく、親子孫三代でホルモン焼き屋を営む民間人一家である)に関するパンフレットが配布されている。題して「マジメなヤクザを生きるために」、副題は「絶対かかわりを持ってはいけないテツの地獄の周辺交友図」。その中には、竹本家と親しいカルメラ兄弟に関して、こう書いてあるのだ。
「自分の意見を持たないスカ屁野郎。つまりテツの言いなりになる危険分子」。
 カルメラ兄弟に対する形容として正しいか否かはともかく、言い得て妙である。自分の意見や批判力や懐疑精神を欠いた存在は、簡単に煽動されるから。
 朝鮮人が井戸に毒を入れた。
 犯人は畑近くの工場で働いてる外国人。
 ね?

 トランプ大統領が「ANTIFAは一つのテロ組織だ! そう認定する!」と言い出した時も、多くの米メディアは「この件にANTIFAは関係ないのでは?」「そもそもANTIFAは一つの組織なのか?」と自分たちの良識と意見ありきで伝えていた。一方、日本のメディアはトランプのツイートを垂れ流すだけだった。批判もなし、自分たちの見解も挟まずに。これが御用聞きスピリットだ、と言わんばかりに。

 その姿勢を「ありのままの事実を伝える」と賞賛できる人は、たぶん幸せに死ねるのだろう。FAUXニュースでも見ながら。

 追伸:「オバマゲイト」はどうなったのかね。