移動する人びと、刻まれた記憶

第3話 釜山のロシア人街①
赤いカーディガンを着た女性とヴィクトル・ツォイへの思い(前半)

韓国から、世界へ。世界から、韓国へ。人が激しく移動する現代において、韓国の人びとはどのように生きてきたのか? 韓国史・世界史と交差する、さまざまな人びとの歴史を書く伊東順子さんの連載第3話です。戦後にサハリンに取り残された人びとについて、そして釜山のロシア人街へ――。

赤いカーディガンを着た女性
 韓国で遭遇する様々な出来事は、その奥のほうで日本と関係していることも多いので、知らずに何かを言うと恥ずかしい思いをする。ただ、それとは別にやはり掛け値無しで愉快な気持ちになることもある。
 例えば、この米軍用テキサスタウンを瞬時にロシア人用にしてしまった港町の釜山人の商魂。イデオロギーの国境など、そうやって越えてしまえばいいのだ。当初、店のオーナーたちは小型ワゴンをチャーターして、ロシア船が着く港まで客引きに行ったり、釜山市当局に「ここをソウルの梨泰院みたいな観光特区に指定してほしい」と陳情もしていたという。
 「ロシア人の落とすお金はアメリカ人や日本人よりも多い。タンスや台所用品や中古車まで買っていく」
 新聞記事を検索していると、商魂赤裸々な発言がいろいろ出ている。たしかに船は飛行機と違って、大きな荷物も持ち込めるだろう。この抜け目なさは大好きだが、それと同じく一般市民もまた軽やかだった。つい数年前まで「敵国認定」でゴーリキーやショスタコーヴィチすらダメと言われていたのに、それが一気に友好国となるや、釜山人とロシア人はすぐに仲良くなった。ロシア人街には好奇心旺盛な釜山っ子たちも姿を見せるようになった。
 1990年代半ばから、ロシア人街の路地には船員目当てのバーとともに、ウォッカも飲める屋台が軒を連ねていた。メニューはロシア語であり、韓国語はほとんど通じない。ところが、その中に一軒、韓国系の若い女性が切り盛りする店があったので入ってみた。無言でメニューを差し出されたが、見ても何もわからない。勇気を出して韓国語で言ってみた。
 「このお店で一番美味しいものを下さい。それとビールを」
 彼女は韓国語がわかるようだった。少し考えるそぶりをしながら、フライパンでたくさんのエビを焼いて出してくれた。
 赤いカーディガンを着た女性は寡黙で、街の喧騒とは全く不似合いだった。当時、旧ソ連から韓国に出稼ぎに来るカレイスキー(高麗人)が話題になり始めていたけれど、彼女もその一人だったのだろうか。

旧ソ連の高麗人、カレイスキー
 この女性のことはずっと心に残っていたのだが、この原稿を書きながら、とても驚いたことがあった。参考にと見始めた映画『伽倻子のために』のヒロインが記憶の中の女性にそっくりだったからだ。伽倻子も赤っぽい色のカーディガンを着ていた。
 最初にこの映画を見たのは1984年の封切り直後だったと思う。小栗康平監督作品ということで、映画好きの間ではけっこう話題になった。ヒロインの伽倻子役には南果歩。彼女が演じた伽倻子の残像が、記憶の中で屋台の女性と混ざってしまったのだろうか。あるいは……。あの時に抱いたわずかな違和感を思い出してみる。これはもう想像にすぎないが、彼女はサハリンから来ていたのかもしれない。
 韓国政府の「在外同胞庁」によれば、2023年現在の統計で旧ソ連で暮らす韓国系の人口は約44万人となっている。彼らはロシア語で「カレイスキー」と呼ばれるが、その内訳はウズベキスタン17万人、カザフスタン12万人、ロシア12万人(うちサハリンは1万6000人)、トルキスタン2万人、ウクライナ1万人と、圧倒的に中央アジアが多い。
 中央アジアにカレイスキーが多いのは、1937年のスターリンによる強制移住のせいである。4人に1人が亡くなったという過酷な移住を、在外同胞最大の悲劇という韓国人研究者もいる。それを経験しなかったサハリンの人々の歴史は、他のカレイスキーとは大きく異なる。なぜ経験しなかったのか? すでに述べたように、その時のサハリンはスターリン体制下のソ連ではなく、軍国主義下の日本だったからだ。 

(後半につづく)

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