移動する人びと、刻まれた記憶

第3話 釜山のロシア人街①
赤いカーディガンを着た女性とヴィクトル・ツォイへの思い(前半)

韓国から、世界へ。世界から、韓国へ。人が激しく移動する現代において、韓国の人びとはどのように生きてきたのか? 韓国史・世界史と交差する、さまざまな人びとの歴史を書く伊東順子さんの連載第3話です。戦後にサハリンに取り残された人びとについて、そして釜山のロシア人街へ――。

対馬から釜山へ
 9月の終わり、対馬から船で釜山に移動した。前日の雨はすっかりあがり、雲一つない空は海と一体化して全てが青い。そこから釜山港までの1時間半ほどの船旅は以前にもまして快適だった。
 「まったく揺れませんねえ」
 「船が新しいからじゃないですか?」
 物知りな人が教えてくれたのは本当で、今回私が乗ったのは韓国の船会社が今年2月に新しく導入した高速船だった。滑るように海を走る。韓国の変化のスピードは本当に速いが、これもまた例外ではない。さらに港も新しい。釜山港の国際線旅客ターミナルも2015年に移転してリニューアル・オープンした。クジラをアレンジしたという流線型のフォルムが美しく、今は釜山駅への連絡通路も完成して、デッキからは港が見下ろせる。
 港には私たちがさきほど対馬から乗ってきた「パンスター対馬リンク」、博多行の「ニュー・かめりあ」と高速船「クイーンビートル」、さらに出港を待つ下関行の「はまゆう」も見える。
 「わー、みんな、いますね!」
 たまたま同じ船に乗り合わせた西日本新聞の記者さんが少し上ずった声で言った。私も馴染みの船が港にそろっているのが嬉しかった。ちなみに釜山港発の国際旅客船はクルーズ船をのぞけば、すべて日本との定期航路である(中国行きの旅客船は仁川から出ている)。

東アジアのハブ港、進化する釜山港
 一方で国際貨物船は世界各国とつながっている。仁川国際空港が東アジアのハブ空港であるのと同じく、釜山港もまたハブ港として海上運送の中継拠点となっている。人々が仁川空港を経由して他の国に行くように、各国のコンテナもここで船を乗り換えてそれぞれの目的地に運ばれる。今や韓国の海上コンテナ取り扱い量は中国、米国、シンガポールについで世界第4位(2021年)となっており、釜山港の取扱い量は横浜や神戸など日本の港が束になってもかなわなくなってしまった。
 釜山港が大きく発展したのは1990年代に入ってからである。これは盧泰愚政権(1988~93年)による「北方外交」の成果だった。それまで軍事政権下の「反共政策」で敵国扱いだった旧ソ連(1990年12月)や中国(1992年8月)と矢継ぎ早に国交が樹立され、空の道も海の道もつながった。釜山港にはウラジオストクや上海からの大型貨物船が入港するようになった。

韓国とソ連の国交樹立
 ゴルビーことゴルバチョフ大統領と盧泰愚大統領が両国の外交関係樹立文書にサインしたのは1990年12月のことだ。他の西側諸国と同じく韓国でもゴルビーは大人気で、「韓蘇修交」への人々の期待は大きかった。ところがその翌年になって事態は急変する。
 「ゴルビーは部下に欺かれました」
 1991年夏、ソウルで日本語を教えていた私に、米国から来ていた留学生が巧みな日本語の例文を披露した。そのクーデターは失敗に終わったものの、ソヴィエト連邦を構成していたロシア・ウクライナ・ベラルーシが「ソ連消滅と独立国家共同体設立」を宣言し、年末にはゴルバチョフが大統領を辞任する事態となった。
 「ソ連崩壊」という事態に世界が騒然となった。日本の大手メディアのソウル特派員の一人は、飲み会の帰りに新村の路上で「いや、ソ連不滅だ」と叫んで周囲を驚かせもした。が、世間一般はそこまで取り乱すことなく、韓国政府もロシア連邦のエリツィン大統領との間であらためて条約を結んで関係強化を約束した。

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