移動する人びと、刻まれた記憶

第3話 釜山のロシア人街②
赤いカーディガンを着た女性とヴィクトル・ツォイへの思い(後半)

韓国から、世界へ。世界から、韓国へ。人が激しく移動する現代において、韓国の人びとはどのように生きてきたのか? 韓国史・世界史と交差する、さまざまな人びとの歴史を書く伊東順子さんの連載第3話後半です。映画『LETO』でも脚光を浴びたソ連のロック・ミュージシャン、ヴィクトル・ツォイが登場します。

高麗人3世、ヴィクトル・ツォイ
  そこには、ヴィクトル・ツォイの話も登場する。
 『安住しない私たちの文化――東アジア流浪』のエピローグには「二人の崔」という小見出しがあり、1980年代のロックシーンに登場した二人のミュージシャンが紹介されている。一人はソ連のヴィクトル・ツォイ、もう一人は中国の崔健(ツイ・ジェン)である。
 「ロックを『資本主義の悪魔の音』として忌み嫌ったソ連と中国に、80年代に登場したロックのカリスマは、実は、二人とも朝鮮系。その姓も偶然ではありますが、同じ『崔』です」(同書)
 韓国では漢字表記はされなかったが、崔健は韓国風に「チェ・ゴン」と発音され、またヴィクトル・ツォイも「ヴィクトル・チェ」と呼ばれていた。当然ながら韓国でも同じ民族の血を引く「二人のチェ(崔)」に対する関心は格別だった。
 崔健は日本でもよく知られていた。1989年3月、香港と台湾で発売されたファーストアルバムのタイトルは『一無所有』。ジャケットの写真の彼は真紅の布で目隠しをしていた。その3か月後に天安門事件が起こり、中国の自由と民主主義は凍りつく。
 ペレストロイカのシンボルとなったヴィクトル・ツォイのことは、韓国に来てから知った。90年代によくあったカセットテープを売る露店で、ふと目についたキリル文字。革ジャンを着た東洋系のミュージシャンが気になった。いわゆる「ジャケ買い」をしたのだが、それを聴いてぶっとんだ。
 誰? それを持って新村(シンチョン)のレコードショップに行ったら、お店の人はとても親切に教えてくれた。
 「それはキノーというソ連の有名なロックバンドです。リーダーのヴィクトル・チェは高麗人」
 韓国の音楽好きの間では、彼はすでによく知られた存在であり、後で知ったところによると、訪韓コンサートも企画されていたという。

でも、コンサートは行われなかった
 今から思うと本当に不思議なのだが、ソ連のペレストロイカと韓国の民主化は同じ時期だった。韓国の人々が民主化とソウル五輪を経て、「ソ連や東側の文化」を自由に享受できるようになったちょうどその頃、ソ連のミュージシャンたちの「西側への進出」が始まっていた。しかもヴィクトル・ツォイは「高麗人」だというのだから、韓国のプロモーターが飛びつかない理由はなかった。
 でも、彼の訪韓は実現しなかった。1990年8月15日、彼は不慮の事故で帰らぬ人となってしまった。私がヴィクトル・ツォイを知った時には、彼はもうこの世にいなかった。  
 この歌手のことが知りたい。それからしばらくの間、レコード店や露店を見かけるたびに立ち寄って、彼のテープやCDを買い集めた。
 一方、崔健は1997年に初訪韓が実現した。「絶対に政治的な質問はするな」という記者会見での彼は、言葉も少なく緊張した面持ちだったが、コンサートは圧巻だった。その独特な「中国ロック」(崔健)を聞きながら、またしてもヴィクトル・ツォイへの思いが募っていた。そして今も彼のことが知りたいと思っている。

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