移動する人びと、刻まれた記憶

第3話 釜山のロシア人街②
赤いカーディガンを着た女性とヴィクトル・ツォイへの思い(後半)

韓国から、世界へ。世界から、韓国へ。人が激しく移動する現代において、韓国の人びとはどのように生きてきたのか? 韓国史・世界史と交差する、さまざまな人びとの歴史を書く伊東順子さんの連載第3話後半です。映画『LETO』でも脚光を浴びたソ連のロック・ミュージシャン、ヴィクトル・ツォイが登場します。

20世紀のロシアはあまりにも大変だったから
 「日本にいると、外国人は良くも悪くも特別扱いされますよね。子どもの学校の先生も、特別な配慮をしてくれようとする。それは親切心なんでしょうが、私はお願いだから何もしてくれるなと言ったんです」
 あの映画のような空気を吸って育ったキセーニヤさんが、日本に来てびっくりしたことは多かっただろうと思う。また彼女を私に紹介してくれたのは、TBSでドキュメント番組のディレクターをしていた井澤紀子さんだが、井澤さんも留学や取材で何度も訪れたロシアについて同じような印象を持っていた。
 「米国や欧州の国にも行ったけど、アジア人として普通に嫌な思いをすることがあるじゃないですか。でもロシアではそういうことはなかった。うん、やはり違ったと思う」
 彼女がすごいのは大学でロシア語を勉強していた1985年に、旧ソ連のすべての共和国を回る旅に出たことだ。横浜港からナホトカへ、ハバロフスク、イルクーツク、そしてモスクワ。社会主義体制下のソ連で、女性の一人旅である。
 「15共和国のうち、キルギスタン、ベラルーシ、トルクメニスタンは許可が下りずに断念。本当にいろいろな人種の人がいるんですよ。モスクワやレニングラードなどの都会もそうだったし。またバルト三国とグルジア、あるいは中央アジアなど、地域によって住んでいる人々が違って……」
 井澤さんは90年代にもモスクワ留学して、そこで知り合った韓国人と結婚して今はソウルで暮らしている。キセーニヤさんも井澤さんも「移動する人々」である。
 「20世紀のロシアは変化が激しすぎました。二つの戦争と革命に翻弄されて、庶民たちは民族や人種どころではなかった」(キセーニヤさん)
 「80年代のロシアは本当に貧しかった。特に農村はひどかったのですが、それでも行く先々でみんなとても親切にしてくれたんです」(井澤さん)
 それは高麗人の強制移住の物語でも読んだことがある。
 「放り出されたカザフスタンの荒野で、カザフ人が新来の未知の民であったコリョサラムを助けてくれた」(『ノレ・ノスタルギーヤ』)
 ところがソ連邦崩壊後、各共和国で民族問題は大きなテーマとなった。また市場経済がもたらす貧富の差は社会に分断をもたらした。
 「だからみんなが、ずっとツォイのことを思い出すのかもしれません。彼はお金にも関心がなく、本当にピュアだったから」(キセーニヤさん) 
 ユーチューブの彼の動画を見ると、その下には彼の純粋さとあの時代を懐かしむロシア語のコメントが、今も書き加えられている。
 この高麗人の物語には続きがある。彼らの移動は今も続いていて、たとえば韓国の光州にあるウズベキスタン出身者のコミュニティでは、ウクライナの高麗人を迎え入れるための活動が行われているという。それらについては、稿を改めたいと思う。

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伊東順子さんが編集を担当されている雑誌『中くらいの友だち』(皓星社)の最新号である13号がついに発売! 今回も読みどころが満載です。ぜひお読みください!
https://www.libro-koseisha.co.jp/literature_criticism/9784774408170/

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