遠めの行路に印をつけて

イスファハンのゴルメサブズィ

イスファハンで食事に招かれ、リクエストした料理、ゴルメサブズィ。これが下ごしらえに途方もなく時間のかかる料理だった・・・・・・。

 イランで歴史建造物を観光しようとすると、広大な敷地のために歩く前からぐったりしてしまう。夏に来たのが間違っていたのだろうか。猛烈な暑さの中を全身布で覆ったまま動くため、少しでも歩き過ぎれば呼吸が荒くなり、フラフラしてくる。

 マシュハドでもイマームレザー廟の敷地内を随分歩かされたのだが、ここイスファハンのイマーム広場も負けていなかった。全長510メートル幅163メートルの空間が噴水と芝生の広々とした公園となっていて、その四方を取り囲むように宮殿や寺院、博物館などの錚々たる建造物が建っている。このがらんと空いて強い日差しに晒されている空間はなんのためにあるのか、半分くらいに減らしたらそれぞれの施設に辿り着くのが楽になるのに、と昼間に来ると考えてしまうのだが、日没を過ぎてから来ると、様子は一転、公園の敷地内いたるところにびっしりとイラン人ファミリーが敷物をしいてピクニックをしていた。

 広場を囲む施設はどれも荘厳なモザイクタイルやペルシャ文様装飾が施された見どころ満載の建築なので、三日ほどかけて見学して、ようやく回廊に軒を連ねる土産物店に足が向いた。絨毯や小箱、ランプや皿やネックレス、布などがみっしりと店内空間を埋め尽くすように積み上げ並べ立てられて、お客を誘う。キラキラしたディスプレイに目を奪われフラフラと歩くうちにいつのまにか回廊からイマーム広場の北側に広がるバーザールに迷い込んでいた。商品と同じくらい目を引くのは職人たちの製作実演だ。熟練の手作業によって膨大な時間をかけて作られることをアピールしている。寄木細工の店をチラリと覗き、銅や銀の打ち出し細工の店の前で足を止めた。

 つるりとした銅や銀の器に金槌で鏨(たがね)を打ちつけ、少しずらしてまた打ちと繰り返して文様を作り出していく。リズミカルにカンカンカンカンと打ち込む音が続いていくので簡単そうに思えるが、唐草文様のとても小さなカーブを迷いなく作っていくのは相当高度な技術が必要だ。カンカンと打った分だけゆっくりだけど確実に文様が浮き出て来る様子が面白くて吸い込まれるように眺めていた。

 大抵の場合はこうして職人さんの手技に引き込まれたところで背後から「フロムジャーパーン?」と声がかかり、工程の説明から流れるように価格交渉へと誘う店主なのかマネージャーなのかわからないが販売担当の男性がいるものなのだが、なぜかその日のその店は職人の年配男性二人だけしかおらず、私に声をかけて来るひとはいなかった。

 スケッチブックを取り出して製作しているところを描いてもいいかと訊ねると、男性はにっこり笑って奥から小さな椅子を持ち出してここに座って描きなさいと言う。

「私はアフマド。彼もアフマドだよ」作業している様子を夢中で描いて水彩で色をつけて見せると、とても喜んでスケッチが欲しいと言う。二人にそれぞれ差し上げる分と自分のための分とを描いているうちに、十二時になった。ホテルに帰る時間だ。帰り支度をしようとすると、片方のアフマドに引き留められた。

「どうかうちで昼ご飯を食べなさい。なにが食べたい??」

 本当に大丈夫だろうか。全く迷わなかったわけではない。けれど仕事中なのに親切に絵を描かせてくれた上に商品を売ろうともしなかった彼らが悪い人にはどうしても思えなかった。

「……ゴルメサブズィ?」つい本音で大好きな煮物料理を口にした。

「ん、よし分かった。ゴルメサブズィだね。わたしは先に帰って準備するからアフマドの車に乗って送ってもらってくれるか」

 そうしてアフマドの家まで送っていくよと出てきた車は、トラクターのような屋根もドアもないボロボロの作業車だった。公道をノロノロと時速二十キロくらいで走り、道中何十台もの自動車に追い抜かれた。これは悪だくみをする人が乗る車じゃないよな……。もしかして先に帰ったアフマドは、自転車通勤なのかもしれない。

 深く考えなかったけれど、イランの工芸職人の賃金はあまり高くないのかもしれない。ご厚意に甘えて良かったのだろうか。悩みながらノロノロ運転に耐えていると、車は住宅街に入り、ここで降りてと言われたのはごく一般的な家の前だった。

 家に入るとわっとたくさんの女性に迎えられ、送ってくれたアフマドも昼ご飯を食べていきなさいよと引き留められ、いや私は家族が待ってるからもう行くよ、などというやりとりがあって、私ひとりがリビングルームに通された。さあさあもうスカーフを取ってもいいのよ、この人少しペルシャ語がわかるんだって、あらまあ、そのスケッチブックを私にも見せて、まあ素敵。

 先に着いていたアフマドさんはニコニコしてうちの妻と母と従妹と娘と……と全員を紹介してくださる。みなさんほとんど英語を話さないので、辞書を引きながらペルシャ語で会話を交わす。騙されるのではなどと考えていた自分が恥ずかしくなるくらい、素敵なひとたちだ。

「良かったら娘を描いてほしい」そういわれてひとり、ふたりと描かせてもらって、気が付いたらものすごくお腹が空いていた。ごはんはどうなったのだろう。もう一時をゆうに回っている。台所を見ると女性が二人、なにやら逼迫した面持ちで作っている。

 ようやく私は自分がやらかした過ちに気が付いた。ゴルメサブジイは、恐ろしく時間がかかる料理なのだ、きっと。それか珍しい材料の入手に手間取ったか。その両方かもしれない。圧力鍋らしきものが見えるし。

 イランには繊細な煮込み料理やスープがたくさんあるのに、街中の気軽に入れるレストランで食べられるのはケバブばかりだったから、つい口にしてしまったのだけど。

 きっと家族で食べるために用意していた昼ご飯をなしにして、私のために手間のかかるゴルメサブズィを作っているのだ。ああああ、どうしよう。みなさんがじりじりと空腹に耐えながら笑いかけてくれる。私がゴルメサブズィと言ったばかりに。申し訳ない気持ちでいてもたってもいられなくなってきたけれど、今更なんでもいいと言っても失礼にあたるだろうし。ここで今私ができることはない。せいぜい笑顔で皆さんの似顔絵を描きまくった絵に丁寧に色付けして差し上げるくらいしか、できることはない……。

 胃袋がねじれてひっくり返って空腹を訴えて来るのを必死に我慢して、我慢して、我慢して、気が遠くなりかけたときに、ようやくサフランライスとゴルメサブズィが運ばれてきた。長かった。本当に長かった。みんなが心からホッとしている。そして私にさあ食べなさいとすすめてくる。

 いただきますと手を合わせて緑色のスープにスプーンを差し込んでパクリ。ハーブの香りと羊肉の香りがじゅわっと口の中に広がる。ほのかなレモンの香りは、丸ごと乾燥させたレモンを使うと聞いている。ああ、これこの味。固唾を飲んで見守る女性たちに応えた。

「美味しいです。とっても美味しいです。今までで一番おいしいゴルメサブズィです。ありがとう」

 みなさんの顔がぱあっと明るくなった。

 日本に帰ってすぐにゴルメサブズィの作り方を調べた。羊肉と玉ねぎを炒めて煮込むその前に乾燥ハーブと金時豆をそれぞれ一晩水に漬けねばならず、さらに水で戻した乾燥ハーブを弱火で水気が抜けるまで時間をかけて炒めねばならないことがわかった。ただの煮込みじゃなくて、とても手間がかかる料理だったのだ。気軽に食べたいなどと言ったことを深く恥じた。

 あれは、なにかしらのショートカットを交えた簡易バージョンで作ってくださったゴルメサブズィなのかもしれない。それでもあの時のゴルメサブズィは、腑に染みる美味しさだった。私にとって不動のナンバーワンイラン料理である。