遠めの行路に印をつけて

ピックアップ・アレクサンドリア(1) 
出航

失意の中、エジプトのアレクサンドリアに向けてヴェネツィアを発った著者。乗船を待ちわびていたその船にも、気持ちを明るくするようなことはなかったが、ある日甲板で出会ったのは・・・・・・。

 船がヴェネツィアを出航した。これでやっとリラ紙幣を見なくて済む。船がゆっくりと、けれども確実に波間を切って滑り出すのを足の裏で感じて、肩の力が抜けた。さらばヨーロッパ。じゃないか。まだしばらくイタリアだ。でもまあとにかく出発できた。

 天候不順で2回も出発が延期となり、合計で8日間も遅れたのである。旅程70日の半分以上をアフリカや中東を旅するつもりだったので、物価が高いヨーロッパに8日も余計に居続けねばならないのは辛かった。しかもヴェネツィアはイタリアの中でも物価が割高な都市。さらに悪いことに季節は12月後半から1月で、店も施設も銀行も休みが続く。寒いし宿でふて寝したいところなのだが最安宿であるジューデッカ島のユースホステルは朝10時から夕方5時までは室内にいられない。外を彷徨い教会に入ったり、駅前のスタンドでサンドイッチを食べたりして時間を潰しては、フェリー会社を直接訪ねてスケジュールを確認していた。

 キャンセルして飛行機でエジプトに行くことも考えないでもなかったけれど、日程的にも予算的にもどうにかなるのであれば、船で行ってみたかった。そんな機会は今後もそうそうないだろうから。どんな船なのかも何の知識も情報もないまま、ただただ船で地中海を縦断するという思いつきに縋り付いていた。

 そもそもはイタリアに住む恋人と二人でまわる予定だったのだ。それが直前でひとりになってしまった。そういうことが私の人生では多発する。突然裏切られる前になんらかの予兆があるはずなのだが、感じ取る能力が欠落している。怒りと失望と自己嫌悪にまみれながら、それならひとりで行くまでのことと自分に言い聞かせて、ヴェネツィアの薄暗い石の道を歩きまわり、残りのリラを数えながらひたすら出航の日を待っていた。

 フェリーはアドリア海の奥に位置するヴェネツィアを出発し、ブーツの形をしたイタリア半島の踵の部分にあたるバーリに寄港してから地中海を東に進んでキプロス島を経由してエジプトのアレクサンドリアに到着する。全行程で1週間強くらいだったろうか。今は存在しない航路だ。かなり以前になくなったようだ。

 船は1991年当時の感覚からしても、少々中途半端だった。それなりの大きさはあったけれども豪華客船と呼べるような規模にはまるで届かず、なのに無理矢理客船気分を出そうとしていた。甲板にあったプールは子ども用かというくらい小さなものだったし、一等客専用のラウンジはなく、学生食堂のような空間の片隅を衝立で区切って一等の乗客がタキシードを着てサーブを受けてコース料理を食べていた。衝立のすぐ横では大勢の二等乗客がセルフサービスの料理をトレーに載せようとガサガサ歩き回っているのだから、ムードもへったくれもない。遅れの影響なのか、キプロス島への寄港は取りやめになったので周遊気分もほとんど味わえない。一等をとった人にとっては、物足りなさが先に立つんじゃないだろうか。余計なお世話だろうが気になって仕方がなかった。

 一方でこの船を図体の大きな連絡船とみなして二等をとる乗客は、食堂の賑わいからして少なくないことがわかった。価格も片道航空券よりちょっと高いか同じくらいだったと記憶している(当時はLCCは存在しない)。二等船室は寝台車のコンパートメントのように狭い二段ベッドが向かい合わせになっていて、起きると何をするにも狭苦しかったけれど、連絡船だと思えばそんなものだろう。三食ついて暖かい寝床があって、エジプトまで運んでくれるのだから、悪くない。とりあえずは宿の予約更新に朝からレセプションに並んだりとか、いくら換金するか悩んだりとか、銀行の営業時間を気にしたりとか、そういったことから解放されるのだし。

 と思ったのは、最初の二日間までだった。飛行機以外の手段でゆっくり移動することにあれだけ憧れていたというのに、あっという間に飽きてきた。

 イタリアに来ることはしばらくないだろうと、手元にリラを残さず綺麗に使い果たして乗船したのが仇となった。チケットには一日3回の食事代金は入っていたが、ラウンジでお茶やお酒を飲むのはお金がかかるのだった。船内で使えるのは現金リラのみにも関わらず、換金はできない。寄港地のバーリでも換金できそうなところは見つけられずで、合間の時間に喉が渇いたら水を飲むしかなかった。

 小さな船室でゴロ寝しようにも同室となったエジプト人母娘の元に父親が頻繁にやって来て居座るので、非常に居づらい。となると居場所は甲板の上しかないのだった。まあ、渡ってみたかった地中海なんだから、飽きるまで眺めようではないか。

 ヒュウッ 

 風を受けて甲板に立つ。あれ、奥に男の人たちがいるなと思ったのと同時に彼らの元から大きな黒い塊が飛び出した。こちらに向かってすごい勢いで走ってくる。二匹の犬だった。男の人が叫んでいるのは犬たちの名前なんだろうか。

 おいでー。腰を低く降ろして、両手を広げて、犬たちに歓迎の意を伝えると、ギラギラしていた顔がフワッと和らいで、ハフハフと腕の中におさまった。尻尾をパタパタさせている。よしよしよし。久しぶりに触る哺乳類だ。暖かさが心地よくて抱き寄せるとぺろぺろ頰を舐められた。

「ソーリー、大丈夫だった?」

 大きな男の人が近づいてきた。ゲルマン系だろうか。

「全然。大きいけど賢くて可愛い子たちだね。名前は?」

「ヨーヨーとヤマ。母娘なんだ」

「フェリーに犬も乗船できるんだね。犬と一緒に旅してるの?」

「そう。僕はオイレ。ミュンヘンから来た。君は?」

「私は日本のヨコハマから」

 ノロノロと男が二人近づいてきた。一人は金髪で大柄の、おそらくオイレの連れだろう。もう一人は小柄でもじゃもじゃした黒髪を長く伸ばしていた。中東の人だろうか。

「彼は僕と一緒に旅しているマヌエル。それとユーシフ。エジプトに帰るところだって」

 私たち四人の共通点は、お茶やお酒をオーダーするイタリア紙幣を持っていないのか、それとも頼む気がないのかよくわからないが、ともかくラウンジに座る権利を持たずに甲板で暇つぶしをしなければならないということだった。甲板に上がれば必ず三人のうちの誰かがいた。ヨーヨーとヤマはいたりいなかったり。ヨーヨーとヤマがいれば、一緒に遊ばせてもらって、お互いポツポツと旅に出るまでの経緯などを語り合った。みんな退屈していたためか、私の下手くそな英語にもよく耳を傾けてくれた。