移動する人びと、刻まれた記憶

第5話 「幸福の国」を探す①

韓国フォークの開拓者、ハン・デスの旅(前半)

韓国史・世界史と交差する、さまざまな人びとの歴史を書く伊東順子さんの連載第5話前篇です。1960年代末にアメリカから独裁政権下の韓国へ戻ってきて歌い始めたフォークシンガー、ハン・デスについて。ぜひお読みください。

韓国で最初のシンガーソングライター 
 1968年春、ハン・デスは震える心でソウル行きの飛行機に乗った。父親に会うために米国に渡ってから4年目、こんどは母親と暮らすために韓国に戻った。10年ぶりの涙の再会だったが、母親は成人した我が子の姿に驚愕したという。長髪にひげにぼろぼろのジーンズ。ベトナム反戦とヒッピームーブメントは世界を席巻していたが、韓国には届いていなかった。
 でも、若者たちは世界の動きを嗅ぎ取っていた。街の小さな音楽茶房では学生たちが、大豆で作ったコーヒーもどきを飲みながら、ビートルズやローリング・ストーンズを聞いていた。彼はニューヨークにいた時と同じように、そこで「自分の歌」を歌いたいと思った。
 「その歌を作ったのは誰なの?」
 「私です」
 自作の詩に曲をつけ、ギターを弾きながら歌い、ハーモニカを鳴らす。音楽関係者たちは初めて見るスタイルに驚き、店の客たちは絞り出すような声でシャウトするハン・デスに熱狂した。テレビ出演に続き、1969年秋には「初リサイタル」(当時の韓国ではライブやコンサートをそう呼んだそうだ)も開かれた。『鯨とり』の大ヒットで知られるソン・チャンシク(1947~)や、まだソウル大の学生だったキム・ミンギ(1951~)なども彼の後に続き、韓国にフォークソングブームが到来した。

1970年代、若者文化は弾圧された
 日本でも「シンガーソングライター」といえば、同じ時期にデビューした岡林信康(1946~)や高田渡(1949~2005)、あるいは吉田拓郎(1946~)のようなフォークシンガーを指す言葉として使われた。それは1970年代の日本ではメインストリームとなっていくのだが、韓国の場合はそうはいかなかった。
 軍事独裁政権は彼らの歌はもちろん、若者の長髪やミニスカートすらも許さなかった。1970年代の韓国で「自由」は徹底的に抑圧され、韓国の「シンガーソングライター第一世代」は、歌うことすらできなくなってしまう。
 そして1971年6月、ハン・デスには「入隊令状」が届く。彼は丸々3年間の軍隊生活を強いられ、一切の活動は停止に追い込まれる。韓国男性にとって兵役は当然の義務ではあったが、「シンボル的な存在である彼は生贄になった」と言う人もいる。
 その頃から朴正熙政権は一気に凶暴化する。1972年10月には維新憲法が発布され、大統領直接選挙制が廃止される。人気の野党政治家だった金大中は、73年8月に東京のホテルで拉致される。75年6月の大統領緊急措置法では、ボブ・ディランの『風に吹かれて』やビートルズの『レボリューション』などの外国曲も含めて、内外のフォークやロックの多くが禁止曲とされてしまう。ハン・デスのアルバムも2枚とも発売禁止、2枚目にいたってはマスターテープまで没収されしまう。周辺ではKCIAに連行される人もいて、ハン・デスも徐々に精神を病んでいった。

(後半につづく)

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