脇田玲

第6回:企業はアーティストを雇用すべき

いま「ラボ」や「リサーチ」を冠した組織が、アフターインターネット時代のビジョンを作りあげつつある。彼らはスピード感と軽やかさを武器に、新しい技術の可能性を社会に問い続けているのだ。ラボやリサーチをイノベーションの駆動力とする「ラボドリブン社会」とはどのようなものか。ビジネスからアートまで、最先端の現場からラボの新しい姿を解き明かす。

創造性の外注

前回のコラムで企業と大学のコラボレーションの話を書きましたが、私の研究室には様々な共同研究の話が舞い込みます。製造業が中心で、通信、自動車、印刷、ファッションなど様々な業界からお声がかかります。ありがたいことです。

共同作業を通していつも感じるのは、大きな企業ほど創造的な人材に困っているということです。そういう人が少ないので、革新的なものが作れず、尖ったデザインファームや大学と共同作業することになるのでしょう。

見方を変えると、大きな企業はクリエーションを大学やデザインファームに「外注」している訳です。クリエーションは外部に依頼し、自らはその管理をすることが中心的な仕事になる。そのような仕事ばかりして歳月が過ぎ、気がつくと書店で「イノベーションを生み出すホゲホゲ」みたいな本に群がっているオジサンになってしまうんじゃないでしょうか。

私自身、創造性を外注される立場としては自由に使える研究資金が入って嬉しいのですが、その一方で、社会全体の創造性の問題として捉えると、やや微妙です。あれ、大きな企業って色々な人材を毎年雇用してますよね? 新しい才能が毎年門を叩いてくれるはずなのにどうして外注してしまうのでしょうか?という疑問が生まれます。

 

創造性は数値化できない

少し話は変わりますが、学生の就職活動を見ていると、優秀な人ほど就職活動に苦労しています。私の研究室での優秀な人とは、これまで存在しなかった全く新しいものを作り出せる人のことです。そのような人は大体一癖持っており、コミュニケーションも上手ではありませんが、なんとも形容しがたい新しいものを作り出す怪しい力を持っています。基礎学力はあまり高くないこともありますが、魂を込めてものをつくるので人を感動させることができます。しかし、大きな会社から内定を取る人は、彼らとは異なる人種であるように見えます。独創性という面はあまりなく、しかし、しっかりとした基礎学力があり、言われたことを無難に実行でき、社会性がある人が多い。

しかし、私は思うのです。私の研究室にクリエーションを依頼してくるのであれば、なぜ創造性という尺度から見て優秀な学生を企業は雇用しようとしないのだろうか、と。

この問題に対する私の提案は、企業はアーティストを雇用すべき、というものです。アーティストこそがこの不確実な時代に新しいビジョンを描ける唯一の人材ではないでしょうか。そしてそのような人材を一番求めているのは日本の大企業なのではないでしょうか。

現状は、数値化できる能力や誰でもわかりやすい能力を見ているのではないでしょうか。そのような指標であれば、雇用の理由が作りやすく社内での合意形成も楽に進みます。しかしそれでは似たような能力を持った人ばかりになってしまいます。みんなが理解できることしか提案しない人ばかりになってしまいます。サン・マイクロシステムズのチーフサイエンティストだったビル・ジョイは「いちばん優秀な奴はたいてい外にいる」と言ったそうですが、実はそれ以前の問題で、創造性について、優秀かどうか判断すらできないという問題が存在しているように思います。

日本の製造業は異質なものへの雇用のチャレンジを放棄してきたように感じます。例えば、デザイン系であれば、最近はコーディングや電子工作ができる学生への声がけも増えてきましたが、最終的には美大的造形能力で雇用が決まっているような現状があります。これは雇用する側のほとんどが美大出身者であり、近年現れたコーディングによるデザイン能力やアルゴリズミックな創造性を正しく判断することができないからだと私は思っています。

デザインであれば企業活動との親和性はまだ理解されやすいでしょうが、これがアートとなった時、多くの人は理解することが困難なのかもしれません。もしくは企業活動とアートの関係性を考えることを放棄してしまうのかもしれません。しかし、前述したように、不確実な時代であるからこそ、アーティストの能力が求められているのです。

 

インハウス・アーティストの時代

私の研究室ではアート&サイエンスというテーマで活動をしています。コラボレーションする企業の多くはこの視点に共感し、共同研究を依頼してきます。アートを軸足にプロトタイピングすることで、常に実験的なスタンスを維持でき、かつ美しいプロトタイピングが可能になります。テクノロジーにも理解があるため、実際に動作するワーキングプロトタイプが可能になり、新しいビジョンを多くの人と容易にシェアできるものが作り出せます。そして、サイエンスの要素が加わることで、実存的な問いが加わり、知的好奇心をそそるアウトプットが出来上がります。

このような作業を通して、企業の方からは「学生さんのアイデアは尖ってて面白いね」とよく言われます。確かに若い人ほどアイデアは湧き出てくるものではありますが、それが尖っていて面白いかどうかは別問題です。その理由は若さとは別の軸から解釈すべきでしょう。学生だからではなく、アーティストであるから尖っているのです。そのようなアイデアを出せない企業は、若く優秀なだけな人を雇用するのではなく、アーティストを雇用すればいいのです。

これからはインハウス・アーティストの時代になって欲しいと個人的に思います。インハウス・デザイナー(企業内デザイナー)のように、企業内アーティストが増えることで会社の創造性が高まる時代を期待したいのです。アーティストは、テクノロジーの全く新しい使い方を考えることができます。技術者が当初想定していなかった用途や組み合わせを開拓できます。問題だと考えられていなったところに問題を見出すことができます。このような種類のクリエーションが現在もっとも求められているのではないでしょうか。

私の友人でもある福原志保さんは、第一回のコラムでも登場したGoogle ATAPのProject Jacquardの中心人物として活躍しているアーティストです。このプロジェクトは導電糸(電気を流す糸)を用いたウェアラブルインターフェイスを開発しており、リーバイス社との協業によりスマートフォンを操作できるジーンズを作り出しました。これにより、衣服は体温を保持する装置から、情報をやり取りするためのプラットフォームへと変化することになります。身体情報を使った頑健なセキュリティやセルフメディケーションにもつながっていく可能性に満ちたプロジェクトとして注目を集めています。

このようなウェアラブルインターフェイスの世界では、普通の技術者であればテキスタイルの織り方や構造から問題解決を試みます。しかし、彼女はマテリアルそのものにこだわり、秋葉原で何ヶ月も最適な導電糸を探し続けたそうです。そして、ついに最適な導電糸を探し当てることに成功し、システムの実現に大きく貢献をしました。一見普通の人には理解できない行動であっても、それに確固たる確信を持っているのがアーティストであり、そのような人材がプロジェクト内にいることが重要だと思います。なお、このプロジェクトは2016年のカンヌライオンズ国際クリエイティビティ・フェスティバルのプロダクト・デザイン部門でグランプリを受賞しています。

いまや、企業の中にはデザイナーやストラテジスト、テクノロジストに加えて、サイエンティストまで当たり前にいる時代です。それであればアーティストを排除する理由はありません。そして、あえて明示的にアーティストという立場で活動してもらうことで、社内に実験的なスタンスが容認され、新たなクリエーションが生まれるのではないでしょうか。

歴史を振り返ってみるとあの人はアーティストであった、というような人は案外多いように感じます。アップル・コンピュータのスティーブ・ジョブスがエンジニアではなくアーティストであったことに異論を唱える人は少ないでしょう。ベジェ曲線を生み出したルノーのピエール・ベジェは数学者であると同時に画家であり彫刻家でした。彼らは組織の中にあって、普通とは異なる視点で仕事に取り組み、新しい世界を切り開いたアーティストでした。

今回はややプロボカティブな内容でしたが、ラボドリブンとは実験的であり続けることであり、最も実験的な生き方をしている職能たるアーティストとの相性はとても良いように思います。クリエーションを他者に外注するのではなく、自らの内に創造性を育む組織づくりに真剣になれば、アートから目を背けることはできないはずです。

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