藪前知子

⑧ 誰が彼らを描くことができるか?

アートとは何か、アートは社会とどう関われるか。気鋭のキュレーターがアートの役割を根源から問いなおす、コラム連載第8回。

大きな波紋を呼んだ一枚の絵

3月半ばに始まった、ニューヨークのホイットニービエンナーレで、一枚の絵が大きな波紋を呼んでいる。1976年生まれの画家、ダナ・シュッツの「Open Casket(開いた棺)」という作品だ。ここに描かれているのは、アフリカ系黒人の公民権運動の歴史においては決定的とも言えるひとつのイメージである。1955年、エメット・ティルという14歳の黒人少年が、白人の女性に口笛を吹いたという理由で、彼女の夫と協力者の二人に連れ出され、惨殺されるという事件が起こった。彼の母は、葬式でその棺を開けたままにし、公衆にその遺体を見せることを望み、こう叫んだという。「こうするしかない。私はただ世界中にこれを見てほしいだけ。」この出来事は新聞や雑誌で大きく報道され、公民権運動を大きく進めたとされる。シュッツの過去の作品には、ジョージ・W・ブッシュの閣僚や、敵陣営に毒を盛られ風貌を変えられたと主張したウクライナの大統領ユスチェンコなど、物議を醸すような社会的なイメージを描いたものが見受けられる。作家の中では必然性のあるモチーフであったかもしれないが、今回ばかりは、白人である彼女が、黒人の苦難の歴史を搾取したのだという激しい反発が持ち上がっている。

例えば、ハナ・ブラックというイギリス人の黒人アーティストは、25人のアーティストの連盟で、美術館に対しこれを撤去すべきだという公開書簡を提出。この絵画を、黒人の苦しみを、白人の利益と快楽に資するというアメリカの長年の歴史に連なるものとして糾弾した。展覧会のオープン直後には、背中に「ブラック・デス・スペクタクル」と書かれた服を着た人物が、鑑賞者の視線を遮るように立ち続けていたり、作家が「撤去に同意する」とするメールが複数のメディアに掲載され、後に美術館がそれをいたずらであるとツイッターで訂正したりするなど、様々な出来事を引き起こしつつ騒動は続き、展覧会の開幕から一ヶ月近く経った現在でも、そのキャリアやトランプ政権に対する思いなど、シュッツの側に取材した長文の記事が各メディアに出されるなど、より多角的にこの出来事を分析する流れが生まれている。

このような事態が起こった原因として、ひとつ言えることは、黒人に対する白人のレイシズムが、しばしばリンチというスペクタクルな形式を取ったという歴史上の事実である。だからこそエメットの母は「棺の中を見せる」という逆方向のスペクタクルによってそれに抵抗したのであり、アートという視覚的な形式が、その構造をなぞってしまうことも不可避であるだろう。黒人側に立つ多くの記事は、これがエメットに対する第二のリンチなのだと述べている。印象的なのは、シュッツの絵画のディテールを描かない抽象的な様式自体が、現実をねじ曲げた、してはならない操作であるということを、多くの人が主張している事実だ。しかし、いくら克明に描いたとしても、それが表象という代理物であり、イメージの操作であるという謗りから逃れることができないだろう。

 

他者を描く権利について
他者を描く権利を持つものは誰なのか。――これは、この例に限らず、アートが社会に接点を持つときに生まれる根本的な問いである。目に見えないものを可視化するアートの力は、しばしば、そこにある隠された問題を露わにする。あるいは、忘れられてはならない過去の出来事を、未来へと伝える媒体となる。地域を舞台にしたアート・プロジェクトの興隆も、この力が、何かしらの変容をそこにもたらすのではないかという期待を伴っている。しかし、それは同時に、その土地、そこに住む人たちを、「スペクタクル」にさらすことになるのだ。それは東日本大震災の時に、「当事者性」をめぐって多くのアーティストたちが経験した苦悩に通じている。

このことにおいて、もっとも峻厳な地点で実現されたと言うべきアート・プロジェクトが、かつてハンセン病の隔離政策に使用された、大島青松園にある。いまも高齢化した回復者が多く暮らす瀬戸内海の島内である。ハンセン病の回復者を他者が描いた作品として、すぐに思い浮かぶものに、詩人・桜井哲夫を描いた木下晋による一連の鉛筆画がある。これが実現されるまでに、画家と被写体の間で交わされた、人間としての厳しいやりとりは、木下の画集などに詳しい。そこで考えさせられるのはやはり、誰に彼を描く権利があるのかという問題である。ハンセン病とは目に見える病であったゆえに、元患者たちは社会の中で過酷な運命に晒されてきた。その人たちを美術の持つスペクタクルな構造に巻き込むことは、社会が犯してきた罪をなぞり一身に引き受けるという、表現者として最も厳しい地点からの発信となるのではないだろうか。

大島に話を戻すと、この地でのアート・プロジェクトの種を蒔いてきたのは、名古屋造形大学で教鞭をとるアーティスト、高橋伸行を中心とする「やさしい美術」プロジェクトである。病院などへのアウトリーチ活動を各地で展開する一方で、大島の人たちとの交流を重ね、数々のプロジェクトを実現してきた。奪われた歴史の存在を未来へ伝えようとする、その意義深い活動の全貌について仔細に述べる紙数はここにないが、なかでも最も心を打つものに、島で使われていた解剖台を設置した一角がある。かつて島では、誰かが亡くなると、遺体を浄めるなどの一連の仕事を入居者自身が持ち回りで担当させられたという。そのつらい記憶にも繋がる解剖台が、捨てられていた海から引き上げられ、ただちに設置の可能性が模索されたときのことを、高橋はブログでこう書いている。

「島内外で当時吹き荒れた感情の渦を何かに喩えることは難しいし、体感したものを私が喩えて表現するのを、許されるかどうか…。一つ確実に言えるのは、「私は何者で、どこに立っているのか」突きつけられ、立っているのも危ういほど揺るがされたということ。遺されたという事実、遺されたものが私たちの前にある。そこから出発するしかない。」(「ディレクター高橋伸行のブログ」より)

このブログで高橋は、東日本大震災の震災遺構の問題から、解剖台の設置した経緯を振り返っている。「喩えて表現」するのではなく、「遺されたという事実」をただ差し出すのみにとどめたとしても、その手つき自体に、他者として引き受けなくてはならない問題が多く含まれていることを、高橋は決して忘れていない。

 

他者の存在から受け取るべきものは
ところで、私が大島のプロジェクトを訪れた直接のきっかけは、何度か仕事を一緒にしてきた現代美術家でホーメイ歌手の山川冬樹が、昨年の瀬戸内国際芸術祭の秋会期の一環として、新作を発表していたからだった。彼は、かつてこの島に暮らした詩人、政石蒙の人生を辿り、その生まれ故郷や戦時中抑留されていたモンゴルの地を訪れ、映像作品を制作した。自らの身体をそこに置き、時間を越えた対話の空間を出現させることで、その人の存在を、「描く」「表象する」のとは異なるやり方で私たちに伝える優れた作品だった(山川冬樹“命の砦”に生きた歌人、政石蒙の足跡を辿って)。

私が訪れた時は、ちょうど政石の姪やそのお子さん、生まれ故郷で彼の存在を子供たちに伝えてきた学校の先生も山川を訪ねてきていた。その温かいやりとりは、作家とその人たちの間で行われた無数の交感を知るに足るものだった。山川が呼び起こそうとしているのは、歌人としての政石が切実に追い求めた、人間が尊厳を取り戻すための芸術の力である。山川は、その政石という他者の存在を、「スペクタクル」として表象するのではなく、その人の軌跡を辿ることで自らの身体に宿し、さらには自らの身体を通した二重の声として現前させようとする(彼が得意とするホーメイという歌唱法は、その構造のメタファーともいえるだろう)。

さて、これらの大島のアート・プロジェクトは現在、再開発が進む東京の中心にオープンした、ささやかなパブリック・スペースに「転送」されている。植物の植え込みの一角に、「永田町現代音」という看板が立ち、ベンチが置かれているだけの空間なのだが、置かれたスピーカーから、かすかに大島で録音された音が流されているのだ。国家の中枢である永田町に、国策によって「隔離」された場所を埋め込むことの意味については改めて言うまでもない。私が訪れた平日の昼間は、向かいのビルの建設工事の音が、大島からのささやかな音を、暴力的に掻き消していた。ちょっとがっかりしながら、その騒音の隙間からかすかにもれ聞こえる音を、耳を澄まして拾い続けているうちに、この聞こえなさ自体が、私たち鑑賞者が引き受けるべきものなのだろうと感じはじめた。「スペクタクル」の構造を自覚しながら、他者の存在から何を作り出し、何を受け取るべきか。作家も鑑賞者も常に問われ続けている。

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