ちくま文庫

ブコウスキーは、人間の業の肯定だ
チャールズ・ブコウスキー『ありきたりの狂気の物語』解説

大好評、ちくま文庫のブコウスキー第3弾は、カルト作家の本領発揮の過激で哀しい短篇集。『のろい男 俳優・亀岡拓次』の戌井昭人さんによる巻末エッセイを公開します。だんご屋の女主人にブコウスキーの本をもらったという出会いから始まり、ブコウスキーと戌井さんの人生が交差する、まるで自伝的小説のようなエッセイです。お楽しみください!

 二十代の半ば、わたしは浅草のだんご屋でアルバイトをしていて、そこの女主人に、「面白いから、これ読みなさいよ」と渡されたのが、ブコウスキーの『町でいちばんの美女』だった。女主人は、お酒と本と生まれ育った浅草が大好きで、読んで面白かった本があると、いつもわたしにくれていた。ブコウスキーと同時に、だんご屋の女主人からもらった本の中には、深沢七郎の『言わなければよかったのに日記』があって、二十代のわたしの人生には、まともな生き方の指針にはまったくならない、ヘンテコなおっさん二人が同時に飛び込んできたことになる。とにかく、このときがわたしのブコウスキー初体験で、以降『ありきたりの狂気の物語』も手にして読んだのだった。    

 そんなこんなで、初めてブコウスキーを読んでから、その後のわたしは、就職もせずに、アルバイトを続けながら、結局のところ、人生がどんづまっていく。三十歳を過ぎても、定職もなければ、結婚もできず、金はなく、自転車に乗って競輪場に行き、もつ煮込みばかり食べていた。まだ小説を書こうとは思っていなかった。 このような時期にふたたび『町でいちばんの美女』と『ありきたりの狂気の物語』を読んで、心の慰めにしようとしたことがある。「まあ、こんなもんだけど、いいんだよな」と、わたし自身の人生に対する諦めを肯定したかった。  

 しかし読んでみるとブコウスキーは、適当な諦めを提唱したりなんかしていなかった。「世の中にはバカなことが多くて、バカな奴も沢山いて、自分自身もバカだけど、なんとかやっているんだ」と言われている気がした。人生のどうにもならない瞬間を切り取り、それをあからさまに提示しているのがブコウスキーの作品だが、決して諦め提唱本などではなかった。    

 わたしは勘違いをしていた。ヤバいと思った。自分自身が、ブコウスキーの本に出てくる、いけ好かない間抜けに思えてきた。最初にブコウスキーを読んだときは自堕落賛歌のような気がしていたけれど、まったく違った。さらにブコウスキー本人のことを考えてみると、彼は決して人生を諦めていなかった。酒を飲んで、酔っ払い、吐いて、ひっちゃかめっちゃかなことになりながらも、とにかく書き続けていた。糞だめに足を突っ込んでも、「ふざけんな」と文句を言いながら引き抜き、それを作品にしてしまうよ うなタフさがある。世間を鋭くとらえる目があり、そこにユーモアがある。そして、ブコウスキーは書き続けた。彼は、書くことに救われていたのかもしれないと思った。  

 わたしの場合は、糞だめに足を突っ込んだまま、死んだ目で世間を眺めているだけだった。自分はなにをやっているのかと思った。そこからすぐに小説を書こうなんて、おこがましいことは思わなかったが、とにかくヤバいと思った。    

 そんなこんなで、いろいろあって(ここは省きます)、三十代半ばを過ぎたころから、自分も小説を書くようになった。しかし自信はなかった。そんなとき写真家の長島有里枝さんと話をした(長島さんとは、二十代のはじめ、バックパッカーでヨーロッパを旅してたときに、船の中で知り合って以来の友達なのです)。    

 わたしが「小説を書いてるけど、やっぱ、どうなるのかわからない」などと弱気なこ とを言うと、「ブコウスキーを見てごらんよ」と言われた。「認められるのは遅かったけど、そのあとは楽しそうだよ。男はデビューするのが遅い方が良いんだよ」。    

 このように言われて、俄然やる気が出た。小説を書くには経験がものをいうのかもしれない。わたしは自堕落に過ごしていた期間、いろんなバカな人間を見てきた。そして自分自身もバカを繰り返していた。それを材料にすればいいのだ。もちろん世の中には、経験なんて関係なく素晴らしい小説を書ける人もいるとは思う。しかしブコウスキーの小説は、彼自身の経験から創作されているものが多い。たとえば猿が爆弾を抱えて空を飛ぶ話や、本書にある「狂った生きもの」のような突飛な話も、根底には、ブコウスキーが見た世の中を垣間見ることができる。だから空々しくないのだ。    

 そこでまた自分の書こうとしている小説の参考になるのではないかと思い、『町でいちばんの美女』と『ありきたりの狂気の物語』を読んでみた。あいかわらず酒を飲み、二日酔い、吐いて、セックス、喧嘩、また飲んで、吐いて、競馬に勝ったり負けたりだ。    

 昔読んだときは、そのエキセントリックさに痺れているばかりだったが、そのときは、ブコウスキーは日常を書くのがとんでもなく上手いと感じた。

 世間から見たら、無駄なことを書いていたり、破綻もしているように思えるが、改めて読んでみると、文章に無駄がないのだ。さらに、核心にスパンといきつく潔さがある。このように書けるのは、とんでもない観察眼がブコウスキーにあるからで、「こりゃ敵わない」と思った。だが敵わないと思いつつも、自分もとにかく書いてみたいという欲 求が湧いてきた。    

 そして今回、無駄なことを書き続けて十年弱経ち、本書の巻末エッセイを書かせてい ただくことになり、ふたたび、『ありきたりの狂気の物語』を読んでみた。    

 新たな感想として、ブコウスキーは、なんだか落語みたいだと思った。ちょっと頭のイカれた熊さん八っつあんが出てくる、あの感じだ。「ハリウッドの東の瘋癲屋敷」なんてまさしくそうで、最後のオチも、「トルストイの『戦争と平和』をとって読み始めた。何も変わっていなかった。相変わらずひどい本だった」ときたもんだ。肩すかしを食らうようで、いろんなことがどうでもよくなってくる。    

 落語家の立川談志は「落語は、人間の業の肯定だ」と言っていたが、ブコウスキーもそうなのではないかと思った。「ブコウスキーは、人間の業の肯定だ」、ほら、なんだか しっくりくるような気がしませんか?  

 「日常のやりくり」という作品では、主人公が娘に、「しあわせな人っているの?」と訊かれ、「しあわせなようにふるまってる人はたくさんいるね」と答える。「どうしてそんなことするの?」「しあわせじゃないってことが、恥ずかしいんだね。認めるのがこわいんだ。勇気がないんだ」。    人間は、己の愚かさをなかなか肯定できない。しかし、それを肯定しつつ「どうしようもねえな」と愛しい視線で見ると、そこにユーモアや哀愁が生まれる。これが、ブコウスキーや落語の真髄ではないだろうか。    

 ブコウスキーは、くどくどと人生の深遠さなど語らないが、彼の短い言葉からは真実が見えてくる。さらに途中で挟まれる自身の考えにも嫌味がない。好きなクラシックのこと、着用しているBVDの下着、ウィスキー、ビール、馬券、空缶、ポートワイン、 オランウータン、ベーコン、煙草、中古車、ヒマワリの種、バロウズ、ギンズバーグ、ボブ・ディラン、ジョニー・キャッシュ、いろいろな物や固有名詞が無秩序に出てくる。 でも、ブコウスキーの手にかかると、それぞれが何かしらの風景を作りだす。    

 ジョニー・キャッシュといえば、本書にある「レノで男を撃った」には、「アット・ フォルサム・プリズン」というレコードを聴く場面がある。わたしは、このレコードが好きで、よく聴いていた。これは、ジョニー・キャッシュが刑務所で開いたコンサートを録音したものだ。    

 そこでジョニー・キャッシュは、「フォルサム・プリズン・ブルース」という歌を唄う。つまり刑務所で刑務所の歌を唄うのだ。囚人は盛り上がる。「おれがレノで男を撃ったのは、やつの死ぬところを見たかったから」という歌詞がある。「うわわ、ここで、これ唄っちゃうのか」とわたしは興奮した。囚人の歓声もすごい。けれども、それを聴くブコウスキーはあくまで冷静だ。「私にはジョニーが囚人を相手にバカをいってるようにしか思えなかった」とある。さらに、「ジョニーが清らかだとか、勇敢だとか、そんなふうには断じて思えない。刑務所にいる男たちにしてやれることは、ただ一つ。そこから出してやることである。戦場にいる男たちにしてやれることは、ただ一つ。戦争をやめることである」。    

 この斬れ味、これこそブコウスキーだ。結局のところわたしは、このようなブコウスキーの文章に憧れているのだ。    

 だが、あるとき、これは翻訳者、青野聰さんの文章への憧れでもあるように思ったことがある。さらに、青野さんのあとがきを読むと、『町でいちばんの美女』が本になったあと、青野さんは、ブコウスキーに会う予定で、日本語に翻訳したものを英語に訳し戻し、ブコウスキーに読んでもらい、驚かそうとしていたらしい。でもその前に、ブコウスキーは亡くなってしまう。「原文からいちばん離れるのは、私の日本語版だろうと思う。彼は腹を立てはしない。日本語が世界でも一、二をあらそうふしぎな言語で、英語とのあいだに、無傷でいったりきたりできる通路などないことをよく知っている。彼は、こんなものをおれは書いたのかと大いに喜ぶ。そのくしゃくしゃになった顔の真ん前で、持参したワインを注いだグラスをぶつけあって乾杯するはずだった」と青野さんは書いている。    

 原文を読めないわたしは翻訳版しか読んだことがないのに、ブコウスキーの文章に憧れるなんて公言していいのだろうかと思えてきたのだ。そこで、ネイティブスピーカーで原文と日本語の翻訳どちらも読んでいる人に訊いてみた。「ブコウスキーって日本語版だと、バサバサって感じの簡潔な文章だけど、原文はどうなの?」、すると「原文も翻訳と同じ感じだよ」とあっさり言われた。安心した。  青野さんが、ブコウスキーの魅力を最大限に引き出して、孤軍奮闘し、できあがったのが『ありきたりの狂気の物語』だ。「原文からいちばん離れ」ているかもしれないが、「同じ感じ」、これだと思った。青野さんに感謝しなくてはならない。ブコウスキーのある人生と、ブコウスキーの無い人生は、まったく違うものになっていた。そして、ブコウスキーは人間の業の肯定である。

(いぬい・あきと/作家)

 

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