ちくま文庫

ちくま文庫と私  『小泉八雲コレクション』に導かれて
ちくま文庫30周年記念

 わが故郷、松江ゆかりの小泉八雲の朗読を続けているので、ちくま文庫『小泉八雲コレクション』を参考にすることも少なくない。朗読は『約束』などテーマを決めて構成し、高校時代の級友、ギタリストの山本恭司の音楽と共に八雲の幽玄の世界を立ち上げる。
 朗読シナリオはこれまでに七作品。加えて昨年は小泉八雲~ラフカディオ・ハーン~の生誕地、ギリシャ、レフカダ島での公演のため、それまでに取り上げてきた作品のベスト版ともいうべき構成で『望郷』と題し、公演を行った。
 文庫には収録されていない作品などは、幻想怪奇文学の翻訳で親しんだ平井呈一訳を使うこともあるが、ここ数年は平易な言葉遣いの池田雅之訳を使わせていただくことが多い。
 ちくま文庫の『小泉八雲コレクション』は三冊。『妖怪・妖精譚』『さまよえる魂のうた』『虫の音楽家』。
『怪談』で知られる小泉八雲の怪談、奇譚の数々は『妖怪・妖精譚』に収められ、巻末には妻、セツの回想記「思い出の記」も収録。八雲にとって語り部としても、なくてはならなかった存在、セツの眼差しから語られる夫、八雲もまた八雲が綴る世界と溶けあって掌に蘇る。
 この一冊だけでも、十分に小泉八雲の文学を堪能し尽くせると思うのだが、『さまよえる魂のうた』では、父の故郷、アイルランドで過ごした少年期の繊細な心情の思い出が綴られ、ハーン文学のキーワード“Ghostly”にまつわる世界観がどのようにして身についていったのかがわかる。また、日本ではそのほとんどを英語教師として暮らした八雲らしく、ポー、イエイツ、シェイクスピアなどを引用して英米文学を紹介し、読書、執筆を生活そのものと絡めて語り、文学を通して物事の本質を問う。これらを講義録として読めば、読者は時空を超えて直にヘルン先生(教師として最初の赴任地、松江ではそう呼ばれた)の生徒として学ぶことができるのだ。
 そして、ここでもまた巻末の、詩人、萩原朔太郎の綴る「小泉八雲の家庭生活」に於いて、小泉八雲の作家としての姿勢を家族とのエピソードや時代背景を丁寧に記しながら紹介し、八雲文学の魅力を伝えている。
 昨年はハーンの生誕地、母の故郷、ギリシャでの公演を行ったが、今年は父の故郷、アイルランドでの公演を予定している。幼い頃に別離し、その後終生会うことのできなかった母への想いをテーマに構成した『望郷』だったが、今年は『稀人~まろうど~』と題し、母を追いやった父への複雑な想いを背景に、それでもアイルランドの妖精譚に親しみ、ケルト文化のなかで育まれたハーンの、救いの“Ghostly”観を現したいと意気込んでいる。『さまよえる魂のうた』は必読だ。
 実は翻訳の池田雅之先生とは、八雲の曾孫、凡さんご夫妻と共に、昨年ギリシャでご一緒させていただいた。レフカダ島に開設されたラフカディオ・ハーン記念館のオープニングに併せ“THE OPEN MIND OF LAFCADIO HEARN”と題されたギリシャでのシンポジウムの一環として我々の朗読公演も行われたのだが、凡さん、池田先生もパネリストとして参加なさっており、ハーンの生まれ故郷の空気を皆で存分に吸い込んだ。
 想えば、平井呈一訳では『日本瞥見記』『怪談』『骨董』『東の国から』『心』などハーンが上梓した当時の構成から抜粋していたが、池田訳はあらかじめテーマを決めたアンソロジーから選んだものがほとんどだ。朗読シナリオを記すにあたって、この、テーマに沿って作品を構成する……というアイデアは、実はちくま文庫のコレクションからヒントを得ていたようだ。
『虫の音楽家』も然り。八雲作品からひとつを選べと言われれば迷うことなく『露のひとしずく』を挙げるが“露”と共に“虫”を観察する博物学者の眼差しは「漂流」における感動的な奇跡の漂流生還者をも同様に“人”として捉え、そしてそれを綴る自らをも“人”として“露”のなかに放り込み、“Ghostly”として音になぞらえ、今に伝えるのだ。